【現代語訳】

「宮の上が言い出された、人形と名付けたのまでが不吉で、ひとえに自分の間違いで亡くした人だ」と考え続けて行くと、

「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と不満に思っていたが、詳しくお聞きになると、
「どのように思っているだろう。あの程度の身分の子としてはまことによくできた人を、隠していたことは必ずしも知ることができないで、私との間にどんなことがあったのだろう、と思っているであろう」などと、いろいろと気の毒にお思いになる。

穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるのでお上がりにならず、お車の榻を召して妻戸の前で座っていらっしゃったのも見苦しいので、よく茂った樹の下で苔をお敷物として、暫くお座りになった。

「もはやここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
「 われもまた憂きふる里を荒れはてばたれやどり木のかげをしのばむ

(私もまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら、誰がここの宿の事を思い出

すであろうか)」
 阿闍梨は今では律師になっていた。呼び寄せてこの法事の事をお命じ置きになる。念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。

「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、軽くなることをするように、七日七日にお経や仏を供養するようになどこまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのにも、

「もしも生きていたならば、今夜のうちに帰ったりしようか」とばかりお思いである。
 尼君にも挨拶をおさせになったが、
「とてもとてもただ不吉な身だとばかり思われ沈み込んでいまして、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」と申し上げて出て来ないので、あえてお立ち寄りにならない。
 道中、早くお迎えにならなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間はただもうお心が乱れて

「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったことだ。どんな様子で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。

 

《思い返せば、中の宮は浮舟を、大君を思い出すよすがという意味で人形(ひとがた)と言ったのでした(宿木の巻第六章第三段)が、それはもともとは祓の時に水に流すもの、何と不吉な呼び方であったことかと思うのですが、しかしその後の成り行きは、自分がもっと早く手元に置けばよかったことで、悪いことをしたと、この人は、ひたすらに自分を反省する人です。

 そして母親については、彼女は匂宮とのことなどもちろん知る由もないのだから、きっと「私との間にどんなことがあったのだろう」と、不審を抱いていることだろうと、他人を思いやる人でもあります。

 「(屋敷に上がっても)穢れということはないであろうが」というのは、「浮舟はこの家で死んだのではないから」(『集成』)なのだそうですが、しかし供の者は他の場所で死んだなどとは思いもしませんから、それへの配慮で薫は家に入らず、外で過ごします。見回すと思い出多い場所ですが、そのどれもがつらい事ばかり、そして浮舟が亡くなった今、もうこの地を訪れることはないだろうと思うと、それら一切がなかったことになってしまうように思われて、感慨ひとしおです。

 もっとも、こういう死んだ人への意味のなくなった自責や、残された者への思いやりや、永訣への主観的な感慨をいだく薫を、多くの評者が、浮舟の苦悩に寄り添う姿勢がなく、例えば「すべては浮舟の『死』に出発し、それを条件として現出した情況」(『講座』所収「都の薫―薫論(5)」)であるとして、彼を俗物、冷たいと厳しく指摘するところでもあるようです。

 しかしそれは、あくまでも評者の物差しを前提に解釈された、無数にありうる薫観の一つであって、作者の書き方は、あくまでも薫の気持に寄り添い、そういう薫をよしとして語っているように思われます。同書は別に「失踪した浮舟に関わる薫のあり方が、いかに実直であり、衆人の感嘆するところであったとしても、浮舟の真実、したがって自分自身の真実と交わったとは言えず、薫は自分を失った者であった」とも言いますが、作者の語り口からは、そういう分裂した近代的人格を描こうとしているとは到底思われず、言わば普通に「衆人の感嘆するところ」に立って語っているというべきではないでしょうか。この物語は、「物語」なのであって、小説ではないのです。

 薫は、浮舟の供養のための法事を立派に行うように細かく言い置いて、折り返して帰って行きます。弁の尼にも声を掛けようとするのですが、尼の方が辞退するので、立ち寄らないことにしました。これらも彼の細かな心遣いですが、作者からすれば、あるいは愁嘆の場の重複を避けたのかも知れません。その代わりに、でしょうか、薫の内心の悲哀を語って、この場面を閉じます。》

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