【現代語訳】

 朱雀院の御病気がまだすっかり良くおなりでないことから、楽人などはお召しにならない。管楽器などは、太政大臣がそちらの方はご用意になって、
「世の中に、この御賀より他に立派で善美を尽くすような催しはまたとあるまい」とおっしゃって、優れた楽器ばかりを以前からご準備なさっていたので、内輪の方々で管弦のお遊びが催される。
 それぞれ演奏する楽器の中で、和琴は、あの太政大臣が第一にご秘蔵なさっていた御琴である。このような名人が日頃入念に弾き馴らしていらっしゃる音色は、またとないほどで、他の人は弾きにくくなさるので、衛門督が固く辞退しているのを催促なさると、さすがに実に見事に、少しも父親に負けないほどに弾く。「何事も、名人の後継と言っても、これほどにはとても継ぐことはできないものだ」と、奥ゆかしく感心なことに人々はお思いになる。それぞれの調子に従って、

楽譜の整っている弾き方や、決まった型のある中国伝来の曲目は、かえって習い方もはっきりしているが、気分にまかせて、ただ掻き合わせるすが掻きに、すべての楽器の音色が一つになっていくのは、見事に素晴らしく、不思議なまでに響き合う。
 父大臣は、琴の緒をとても緩く張って、たいそう低い調子で奏でて、余韻を多く響かせて掻き鳴らしなさる。こちらは、たいそう明るく高い調子で、親しみのある朗らかさなので、「とてもこんなにまでとは知らなかった」と、親王たちはびっくりなさる。
 琴は兵部卿宮がお弾きになる。この御琴は宜陽殿の御物で、代々に第一の評判のあった御琴を、故院の晩年に一品宮がお嗜みがおありであったので御下賜なさったのを、この御賀の善美を尽しなさろうとして、大臣が願い出て賜ったという、次々の伝来をお思いになると、実にしみじみと、昔のこと恋しくお思い出しになる。
 親王も酔い泣きを抑えることがおできにならない。ご心中をお察しになって、琴は御前にお譲り申し上げなさる。感興にじっとしていらっしゃられず、珍しい曲目を一曲だけお弾きなさると、儀式ばった仰々しさはないけれども、この上なく素晴らしい夜のお遊びである。
 

《こういう場面を、当時の読者はどういう思いで読んだのでしょうか。ここで描かれる楽曲の様子をどのくらい実感しながら読めたのでしょうか。

「またとないほど」、「見事に素晴らしく、不思議なまでに」、「琴の緒をとても緩く張って、たいそう低い調子で」、「たいそう明るく高い調子で、親しみのある朗らかさなので」と至って抽象的な感じなのですが、これだけ書き続けても読んで貰える(場面の素晴らしさを理解して貰える)という確信が作者になくては書けないだろうと思うと、当時の女房たちの趣味の平均的なレベルの高さ、またその共有度の高さが偲ばる、というべきでしょうか。

さて、四十の賀の祝宴ですが、朱雀院の病のことに遠慮して管弦の遊びも「楽人などはお召しになら」ず、集まった人々だけの内輪のものとなります。しかし、もともと何においても専門家よりも高貴な人の技が珍重された時代です(花の宴の巻第一章第一段)から、源氏の周辺ではむしろこのほうがより多くの名演奏が期待できるというものです。

太政大臣親子が和琴の名手であることはすでに語られていました(常夏の巻第一章第四段1節、篝火の巻第三段)。

兵部卿は、例の蛍兵部卿。彼が弾いたのは「きんの琴。これは絃楽器の中で一番オーソドックスなもので、中国から伝えられた」(『評釈』)と言います。彼は例の源氏の弟で、当代きっての風流人ですし、ましてここに出された琴は、代々の帝が相続されていたものだったものを桐壺帝が晩年に、「一品宮(桐壺院の皇女、母は弘徽殿の大后・『集成』)がお嗜みがおありであったので御下賜なさった」という深い由緒のある代物で、それを太政大臣が借りてきた(「大臣の北の方は、弘徽殿の大后の妹。その縁で願い出たのであろう」『集成』)というものでしたから、その演奏もまた見事なものだったにちがいありません。

卿も涙しながらの演奏で、源氏も父の思い出もあわせて感慨に胸を塞がれます。それを察して卿は、その琴を源氏の前にさし出すと、源氏もまた一曲を奏でます。

私的な催しですが、かくの如く素晴らしい管弦の遊びとなりました。》

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