【現代語訳】

 東宮の御方は、実の母君よりもこの御方を親しい方としてお頼り申し上げていらっしゃる。たいそうかわいらしい感じで一段と大人びてこられたのを、心の隔てなくいとしいとお思い申し上げなさる。お話などをとてもうちとけてお互いに話し合われてから、中の戸を開けて宮にもお会いになった。
 ただもうたいへんに子供っぽくお見えになるので気が張らず、年上らしく母親のように、親たちのお血筋をお話し申し上げなさる。中納言の乳母という人を召し出して、
「同じ血筋の繋がりをお尋ね申し上げてゆくと、恐れ多いことですが、切っても切れない御縁と申しますのに、機会もなく過ごしておりましたが、今からはお心おきなく、あちらの方にもおいで下さって、行き届かない点がありましたら、ご注意くださるなどしていただけましたら、嬉しゅうございましょう」などとおっしゃると、
「頼みとなさっていた方々にそれぞれお別れ申されなさいまして、心細そうでいらっしゃいますので、このようなお言葉を戴きますと、これ以上のことはないと存じられます。御出家あそばされた院の上の御意向も、ただこのように他人扱いをし申し上げなさらずに、まだ子供っぽいご様子をお育て申し上げて下さるようにということのようでございました。内々の話にも、そのようにお頼り申していらっしゃいました」などと申し上げる。
「まことに恐れ多いお手紙を頂戴してから後は、何とかぜひお力になりたいと存じておりましたが、何事につけても、人数に入らない我が身が残念に思われます」と、穏やかに年長者らしい様子で、宮にもお気に入るように、絵などのこと、お人形遊びの楽しいことを、若々しく申し上げなさるので、

「なるほど、ほんとうに若々しく気立てのよい方だわ」と、無邪気なお人柄でおうちとけになる。

 それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事がある折につけても、親しくお便りをお交わしになる。

世の中の人も、おせっかいなことに、これほどの地位になった方々のことは噂したがるものなので、初めのうちは、
「対の上はどのようにお思いだろう。ご寵愛はとても今までのようにはおありであるまい。少しは薄れるだろう」などと言っていたが、以前よりも深い愛情が、こうなってかえって勝った様子なので、それにつけてもまた事ありげに言う人々もいたが、このように仲睦まじいまでに交際なさっているので、噂も消えて丸くおさまっていたようである。

 

《東宮の御方は明石の姫君です。実母よりも紫の上を、「お頼り」はともかく、「親しい方(むつまじきもの)」と思っているというのは、普段明石の御方が傍に付いていることを思えばあり得ないことと思われますが、作者は、ここは紫の上を持ち上げるべき所と考えているわけです。前段末の源氏が朧月夜の所に行った話といい、「ためにする」不自然な話だと感じられます。読者(聞き手)へのサービスが過ぎたというところでしょうか。

東面での対面を済ませて、上は、今日の本題、隣の西面、女三の宮の所に出向きます。

そして上と中納言の君との対話になりますが、こういう熟練した女性同士の対話は、ずっと昔の桐壺帝の頃の靫負の命婦が更衣の母を訪ねた時もそうでしたが、情と体面をみごとに合わせ備えていて、読んでいてほれぼれします。作者の生活経験から身についたものなのでしょう。

特に、姫宮に対する配慮も含めて、上の有様はまったく理想の姿と言っていいものです。

姫宮に会う前にはいろいろな思いがあったのですが、実際に会ってみると、「ただもう子供っぽくお見えになる」(さっきまで十二歳の東宮の御方に会って「一段と大人びてこられた」とあったのと対照的です、この方の方が二つくらい年長のはずですが)ので、そうしたもの思いも忘れて(あるいは忘れたふうに)、「年輩者らしく母親のような態度で」向き合うことになりました。何ごとも、多くそうしたもので、「疑心暗鬼」ではありませんが、一人案じている時の姫宮の顔と、目の前のその人は、上から見て別の人のように見えたということもあったかも知れません。それに、もともとこの人自身には何の遺恨があるわけでもありません。

とは言え、「人の不幸は蜜の味」ということで、そうした親しいお付き合いが、また「それにつけてもまた事ありげに言う人々」を生んだというのが、いかにもありそうな話で、なかなか鋭いところですが、しかしむつまじいお付き合いが続いていくことで、その様が噂となって拡がっていくにつれて、ゴシップ好きの世間も、そのタネを失って次第に忘れて行ったのでした。

それもこれも、紫の上の見事な対応のたまものなのです。源氏がスーパースターでなくなったこの物語の中で、この人だけは非の打ち所のないヒロインとして、まだまだ健在です。》

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