【現代語訳】

 無理を押してお越しになっては、長くもいないでお帰りになるのが物足りなくつらいので、宮はひどくお悩みになっていた。お心の中をご存知ないので、女の側では、

「またどうなるのだろうか。物笑いになりはせぬか」と思ってお嘆きなるので、なるほど、気苦労の絶えない、気の毒なことと見える。
 京にも、こっそりとお移りになる家もさすがに見当たらない。六条院には、左の大殿が一画にお住みになって、あれほど何とかしたいとお考えの六の君の御事をお考えにならないので、何やら恨めしいとお思い申し上げていらっしゃるようである。好色がましいお振舞いだと、容赦なくご非難申し上げなさって、宮中あたりでもご愁訴申し上げていらっしゃるようなので、ますます、世間に知られない人をお迎えになるのも、憚りが大層多い。
 普通にお思いの身分の者は、宮仕えということで、かえって気安そうである。そういう並の女にはお思いになれず、

「もし御世が替わって、帝や后がお考えおきのようにでもおなりになったら、誰よりも高い地位に立てよう」などと、ただ今のところは、たいそうはなやかに、心に懸けていらっしゃるままに、して差し上げるような手立てがなくつらいのであった。
 中納言は、三条宮を造り終えて、

「しかるべき形をもってお迎え申そう」とお考えになる。

「なるほど、臣下は気楽なのであったよ。このようにたいそうお気の毒なご様子でありながら、気をつかってお忍びになるために、お互いに思い悩んでいらっしゃるようなのも、おいたわしいので、人目を忍んでこのようにお通いになっている事情を、中宮などにもこっそりとお耳に入れ申して、暫くの間お騒がれなさるのは気の毒だが、女方にとっては非難されることもないだろうし、ろくにこのように夜をさえお明かしにならないつらそうなようすであることだ。うまく計らって差し上げたいものよ」などと思って、無理して隠さない。
「衣更など、てきぱきと誰がお世話するだろうか」などと心配なさって、御帳の帷子や壁代など、三条宮を造り終えて、お移りになる準備をなさっていたのを、

「差し当たって、入用がございまして」などと、たいそうこっそりと申し上げなさって、差し上げなさる。いろいろな女房の装束は、御乳母などにもご相談なさっては、特別にお作らせになったのであった。

 

《前段までは「九月十日のころ」(第六段)の話でしたが、ここはそれも含めてその後も宮の訪れ一般に、という話のようです。「無理を押してお越しになっては」久々の訪れでも、二人にとって夜明けはいつも早く、匂宮は、もう帰らなくてはならないのかとたまらなくつらく思っているのですが、中の宮は「お心の中をご存知ないので」、「男に捨てられて、世間から笑われないか」(『評釈』)と、そのことばかりを考えています。

 前掲論文「匂宮と中の宮」(第三章第七段1節)は、宮の中の宮に対する愛情の真摯さを言っていて、確かにここでも宮は「無理を押してお越し」なのですが、実はそれに加えて、同論文は「匂宮という人物は、八の宮や姫君たちからはもちろんのこと、母中宮、帝からもその真実の姿を理解されない、という設定になっている」として、「匂宮の内実は…どこまでも姫君たちに響いていかない」ことになると言います。

 そうした中で宮は、この愛しい中の宮をどう処遇してやろうかと、一人思案しています。

 京に迎えるのが一番いいのですが、六条院では夕霧がいて、六の君との話を避けていることで「憚りが大層多い」、後のことを考えなければ宮仕えをさせればいいのだが、いつかできれば正室に迎えたいので、それもできない、…。薫は三条邸ができたら大君をそこに迎えようと考えていて、「なるほど、臣下は気楽なのであった」と作者が言います。

 その薫が、友人の悩みに一肌脱ごうと、さまざまに手を打ちます。案外そっと中宮あたりには話してしまった方がいいかも知れない、ちょっとした一時の騒ぎにはなるかもしれないが、なればなったで、それで既成事実にしてしまうこともできる、とちょっとした策略も混じります。一方中の宮には、匂宮へ送る衣更えの品々を届けもします。万事、手抜かりはありません。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ