【現代語訳】

 大将の君が同じ車に乗って帰り、道中お話なさる。
「やはりこの季節の退屈な時は、こちらの院に参上して気晴らしするといいですね。」

「今日のような暇な時を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」と約束し合う。お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
「院におかれては、やはり東の対にばかりいらっしゃるようですね。あちらの方へのご愛情が格別だからでしょう。こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようであるのは、お気の毒なことです」と、よけいな事を言うので、
「とんでもないことです。どうしてそんなことがありましょう。こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさった親しさの違いがおありなのでしょう。宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」とお話しになると、
「いや、おやめ下さい。すっかり聞いております。とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えられないお扱いではないですか」と、お気の毒がる。
「 いかなれば花に木づたふ鶯の桜をわきてねぐらとはせぬ

(どうして、花々を飛び移る鴬は、桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう)
 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。不思議に思われることですよ」と、口ずさみに言うので、
「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
「 深山木にねぐら定むるはこ鳥もいかでか花の色に飽くべき

(深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も、美しい花の色を嫌がりましょうか)
 理屈に合わない話です。そう一方的におっしゃってよいものですか」と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて、それぞれ別れた。

 

《六条院からの帰り道、大将(夕霧)は三条の雲居の雁の所に、柏木は二条の太政大臣邸に、夕霧が柏木の車に(でしょうか)同乗して帰っていきます。若い友人同士二人だけの暫くの時間です。

 最初の二つの対話について、「大将が」と書き出された話の流れからは、初めが夕霧、後が柏木となりそうですが、話の内容からは逆の方が自然で、『谷崎』はそうしています。『集成』は二つをまとめて夕霧の言葉とし、『評釈』もそのようです。いずれにしても、今日は楽しかったね、という普通の対話です。

 ところが、その後の柏木の話は、友人の父親、それも名にし負う準太上天皇の夫婦関係についての批判ということで、非礼この上ないと言ってもいいような話です。

それも、夕霧が否定してもなお、追及をやめないというのは、およそ貴公子の振るまいとは思われません。

『の論』所収「蹴鞠の日―柏木登場」に至っては「彼は、彼がそこに生き生かされている現実の秩序、掟の外に逸脱し、ただ自己の内部にかかえこむ情念に忠実な、言わば狂気びととして発足する」と極言していますが、それはともかく、『光る』もソフトにですが、「丸谷・こういうところを読むと、柏木という人はかなり鈍感というか、あるいは恋心のせいで無分別になっているというべきか、少なくともこの状態ではあまり賢くないっていう感じ。その、一般に男が恋愛するとおかしくなるという状態を大変うまく出していますね」と言います。

柏木としては、恋しく思い続けていた人の姿が見られたという、先ほどの感動と興奮が残っていて、車の中というくつろいだ場でそれを語りたい思いが募って、ついついあらぬ方向から話し始めてしまったということでしょう。

それに対して夕霧は、さすがに非礼な言葉にちょっと腹を立てたのでしょうか、「何と、つまらないおせっかいだ(原文・たいだいしきこと)」と気分を損ねて、「紫の上は特別な人なのだ」反論しますが、そこには、彼の義母に対する憧れも混じっているようです。もちろん彼が感じている女三の宮の至らなさも、口にはできません。

柏木は、いや、自分は情報を持っているのだと、なおも食い下がりますが、こちらは女三の宮への垣間見た生々しい感動が胸の底から彼の口を突き動かすのです。

お互いに自分の本音は伏せたままでの対話ですが、夕霧が、話が「現実の秩序、掟の外に逸脱し」てしまわないように、「それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて」という、大変実務的な配慮をするのが、彼らしいところです。

それにしても、そこで二人で「あまり上手じゃない」(『光る』)歌を交わすというのは、なんとも悠長です。一体こういう議論の締めくくりなどに歌など詠むものなのでしょうか。

いや、歌によって、議論だけでは先鋭になりすぎて収拾が付かなくなることをカバーして、歌でぼかして話を軟着陸させようとするのでしょうか。

いずれにしても二人の話は平行線のままで別れました。とてもこのままでは終わりそうにありません。》

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