【現代語訳】

「どうしてこのように頼りなさそうにばかりしていらっしゃるのですか。ずっと続いて熱がおありだったのはお下がりになって、さっぱりしてお見えになるので、嬉しくお思い申し上げていますのに」と泣きながら、気を緩めることなく付き添ってお世話申し上げなさる。仕える女房たちも、惜しいお姿やお顔を見ると、一所懸命に惜しみ看病したのであった。内心では、

「やはり何とかして死にたい」と思い続けていらっしゃるが、あれほどの状態で生き返った命なので、とても芯が強くて、だんだんと頭もお上げになったので、食事を召し上がりなさるうちに、かえって顔もほっそりとして行く。はやくと嬉しくお思い申し上げていたところ、
「尼にしてください。そうしてだけ生きて行く道もありましょう」とおっしゃるので、
「痛々しいご様子なのに、どうしてそのように致せましょうか」と言って、ただ頂の髪だけを削いで、五戒だけを受けさせ申し上げる。

物足りないが、もともとはきはきしない性分で、さし出がましく強くもおっしゃらない。

僧都は、
「今はもうこのくらいにしておいて、看病して差し上げなさい」と言い置いて、山へお登りになった。

「夢のような人をお世話申し上げることだ」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせながら、お髪をご自身でお梳かしになる。あのようにひどい格好に結んで投げ出してあったのに、ひどくは乱れず、解き終わってみると、つやつやとして美しい。『ひととせたらぬつくも髪(白髪の人)』の多い所なので目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように思うのも、不安な気がするが、
「どうしてとても情けなく、こんなにたいそう大切に思い申し上げていますのに、強情をはっていらっしゃるのですか。どこの誰と申し上げた方が、あのような所にどうしておいでになったのですか」と、しいて尋ねるのを、とても恥ずかしいと思って、
「変な具合だった間に、すっかり忘れてしまったのでしょうか、以前の様子などもまったく覚えておりません。ただ、かすかに思い出すこととしては、ひたすら何とかしてこの世から消えたいと思いながら、夕暮になると端近くで物思いをしていたときに、前の近くにある大きな木があった下から、人が出て来て、連れて行く気がしました。それ以外のことは、自分でも、誰とも思い出すことができません」と、とてもかわいらしげに言って、
「この世にまだ生きていたのだと、何とか人に知られたくない。聞きつける人がいたら、とても悲しくて」と言ってお泣きになる。あまり尋ねるのを、つらいとお思いなので、尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも珍しい気がするので、

「どのような隙に姿が消え失せてしまうのか」と、落ち着かない気持ちでいた。

 

《妹尼とその周囲の人たちの懸命の世話によって浮舟は次第に回復してきます。

ところが、意識を回復した彼女は「やはりなんとかして死にたい」と考えています。前段でも言ったように、自分がそう考えるようになった理由も分からないままに、そんなことをこのようにはっきりと考えるとは思えませんが、その経緯については、作者は読者の知識に依存しているのでしょうか。

あるいは、この一言で、暗に、彼女の記憶がすでに戻っていること言うのでしょうか、ちょっと無理があるような気もしますが、…。

 意識も返り、少しずつ食事もできるようになりました。「かえって顔もほっそりとして行く」は意外な気がしますが、「回復期の病人の様子がよく写されている」と『集成』が言います。そうかなあと思いますが、引き締まっていく、というような感じでしょうか。

それを喜んでいる尼君に、彼女は死ぬことを措いて、出家を希望しました。しかし何といってもこんな病み上がりの状態ですし、せっかく娘の身代わりを得たと思っているのですから、出家という決定的な決断を認めることはしませんでした。「頂の髪を削ぐ」とは「形式的な剃髪」(『評釈』)で、「五戒」とは、「在家の信者の守るべき戒」(『集成』)なのだそうです。

これで落ち着いてくれれば、妹尼にとっては満足です。美しい髪(一瞬の強烈な心労があれば、一夜にして白髪になることもあるそうですが、ここは全く何ごともなかったように美しい髪)を梳いてやりながら、ぽつぽつと話しかけます。いったいあなたはどういう人なのですか、…。

 しかし浮舟は前に話した以上のことは話しません。

 それを「とてもかわいらしげに言って(原文・いとらうたげに言ひなして)」というのが気になる言い方です。

まず「らうたし」は、「無邪気そうに」(『集成』)、「おっとり」(『評釈』)と訳されていますが、そういうのどかな様子はここにはふさわしくないように思います。元来「弱いもの、劣ったものをいたわってやりたいと思う気持ち」(『辞典』)ということで、いかにも同情を引くように、といった感じになりそうですが、そうすると、少々嫌味な感じにます。

また「言ひなして」は、意図的にそう拵えて言ってという意味で、「記憶がはっきりしないという嘘を見破られまいとする用意」(『集成』)をした言い方ですから、作者が記憶はすでに戻っていると認めていることになります。

 そして、続けて「この世に、やはり生きていたと、何とか人に知られたくない」と言わせていますから、ここで実は記憶があることを明らかにしたということのようです。

やはり記憶喪失という手は使いやすいようで、実はなかなか難しいことのようです。

 尼君も、「すっかり忘れてしまった」というのはどうやら嘘らしいと気付いたのでしょうか、さらに聞きたいと思うのですが、この娘がかぐや姫のように思えて(「横川の僧都が竹取の翁、妹尼が『妻の女』に当たる」と『集成』が言います)、消えてしまっては大変と、それ以上は聞かれない気がします。》

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