【現代語訳】

 若君をぜひ拝見したいと申し上げなさるので、恥ずかしいけれども、

「どうしてよそよそしくしていられよう、道理の合わない一つのことで恨まれる以外には、何とかこの人のお心に背くまい」と思うので、ご自身はあれこれお答え申し上げなさらないで、乳母を介して差し出させなさった。
 当然のことながら、どうして憎らしいところがあろう。不吉なまでに白くかわいらしくて、大きい声で何か言ったりにっこり笑ったりなどなさる顔を見ると、自分の子として見ていたく羨ましいのも、この世を離れにくくなったのであろうか。

けれども、

「亡くなってしまった方が、普通に結婚して、このようなお子を残しておいて下さったら」とばかり思われて、最近面目をほどこすあたりには、はやく子ができないかなどとは考えもつかないのは、あまりに仕方のないこの君のお心のようだ。このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である。
 そんなよくないまともでない方を、帝が特別お側にお置きになって親しみなさることもないだろうに、ちゃんとした面でのご思慮などは、しっかりしていらっしゃったのだろうと推量すべきであろう。
 なるほど、まことにこのように幼い子をお見せなさるのもありがたいことなので、いつもよりはお話などをこまやかに申し上げなさるうちに、日も暮れたので、気楽に夜を更かすわけにもゆかないのをつらく思われて、ため息をつきながらお出になった。
「結構なお匂いの方ですこと。『折りつれば』とか言うように、鴬もやって来そうですね」 などと、やっかいがる若い女房もいる。

 

《『評釈』がここの鑑賞に「薫の変化」という小見出しをつけているように、ここの薫は、これまでの薫とずいぶん違った扱いをされているように思われます。

 何と言っても、匂宮と中の宮の間にできた赤子を見て、「自分の子として見ていたく羨ましい」という気持ちを持ったということが意外で、草子地の言う「この世を離れにくくなったのであろうか」と思わざるを得ません。

 女二宮と結婚した段階で、すでにそのことは察せられるのですが、それは帝のご所望とあればやむを得ないとも言えますが、これは彼自身の内面からの自然な思いなのですから、俗世出離の気持ちは、もはや完全になくなっていると言えそうです。

 さらに、「亡くなってしまった方」、大君が自分にこういう子を残してくれていればとまで思ったとあっては、その気持ちは、本物としか思われません。

 次に、大君についてそう考えながら、「最近面目をほどこすあたり」、女二宮のことをまったく思い浮かべない、と言われると、これまでの彼の周囲に対する気配りや律義さはどうなったのかと思われて、別人を見るようです。

 語り手も、言い過ぎたと思ったのか、「このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である」と、弁解しなくてはならないほどです。

 そして、夕方になって、薫は帰っていくのですが、彼のトレードマーク、まずはそれによってもてはやされた、彼の匂いを、「やっかいがる若い女房もいる」となるに至っては、彼の今の名声が、何やら危うくなってきたような気さえしてしまいます。

それまでスーパースターだった源氏が、若菜の巻から地上に降りてきた(若菜上の巻第二章第一段)ように、薫もまた、そういう時を迎えたということでしょうか。》

 

  今日は午前中人間ドックに行って来て、投稿がこの時間になりました。

しかし、何度やっても胃カメラは苦手です。初めて鼻からやってみましたが、口からより三割ほど楽でしたけれども、それでも結構大変でした。

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