【現代語訳】

 中納言の君が、

「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになって、いらっしゃった。雪もたいそう深くて、普通の身分の人でさえ姿が見られなくなってしまったのに、並々ならぬ立派な姿をして気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅いものではないとよくお分かりになるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
 服喪用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮が待ち受けてお喜び申し上げておられたご様子などを女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、ただもう気の引けることとお思いになっていたが、好意を察しないように先方がお思いでいらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
 打ち解けてというのではないが、以前よりは少し言葉数多くものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。

「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、

「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、移り変わりやすい男女の間柄なのだな」と思っていらっしゃる。

 

《薫が、正月になると職務多端で、簡単には訪問できなくなるだろうと(「多分に自分に対する言い訳である」・『評釈』)、雪を押して、姉妹が寂しく心細く過ごしているところに、やってきました。

すっかり人影が途絶えたおりのことでもあり、貴い身分にもかかわらず気軽に来ていただいたお気持ちを思って、姫君は、いつもよりは丁重に迎えます。

長く片付けてあった「服喪用でない(普段用の)御火桶」を出そうとしてほこりを拭き払いながら、女房たちが、かつて故宮がこの方のおいでをどんなに喜んでお迎えになったことかと思い出して、その噂をしていますが、それ自体が、彼女たち自身の今日の喜びを表していて、さりげない描写ですが、この日の邸の空気をよく伝えているように思います。

姫君も、今度は直接ご挨拶し(前回、薫から不満を言われました・第三章第四段)、自分で話のお相手をするのでした。その応接は、「以前よりは少し言葉数多」い程度でしたが、行き届いたゆかしいもので、薫の心は騒ぎ、彼自身、仏道一筋であると思っていた自分の心の移り行きに、少々驚いてしまいます。「移り変わりやすい男女の間柄なのだな(原文・移りぬべき世なりけり)」を、『集成』は「大君への募る気持を、一面反省する薫の心中」と言いますが、「反省」というより、むしろどうやら自分の気持ちの変化を自然な(人為を越えた)成り行きとして自分に許している気分があるように思われます。

これもかなり「自分に対する言い訳」のように聞こえて、先の「また疎遠にしてはおけない」(第三章第七段)以来続く、大君に傾いて行こうとする自分の気持ちの、彼の中での無意識の正当化、理由付けの一つのように思われます。

というわけで、ここはこの前に訪ねて歌を交わした時(第三章第五段)の「少年と少女のような二人の清純な美しい場面」から見ると一歩進んだ、薫の気持ちの大きな分岐点と言うべきなのではないでしょうか。何よりも、ここでは、彼の中で大君が明らかに中の君と区別して意識されているように思われます。》

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