【現代語訳】

 こういう話は九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのだが、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、その皆を残して来たので、また他に人もいない。京は何と言っても広い所なので、町の物売り女などのような者をたいそううまく探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは伏せておいたのであった。

右近の実家の五条の家にまずこっそりとお移し申し上げて、女房たちを選び整え、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。

大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
「いとしいと思っていた女が、気落ちしてさびれた山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜していましたところ、聞き出すことが出来なくて年頃の女性になるまで過ぎてしまっていたが、思いがけない方面から聞きつけたので、せめて聞きつけた今からでもと思って、引き取ることにします」と言って、

「母も亡くなってしまいました。中将をお預け申しましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのようで大きくなったので、田舎めいたことが多いでしょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
「ほんとうに、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでした。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」と、おおようにおっしゃる。
「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思いしておりますので」などとおっしゃる。
「立派にお世話しているなどと言っても、することも多くなく、暇でおりますので、嬉しいことです」とおっしゃる。
 殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう。厄介な昔の女性をお集めになることですわ」と噂したのだった。
 お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や何やかやかとお贈りなさっていた。



《ここの冒頭に九月とありますが、少女の巻末で明石の御方は十月に六条院に入ったとあったことが思い出され、前節の話とちぐはぐです。ここはその翌年の九月なのだとか、前節の紫の上は明石が来月入ることが決まっているから、来る前から「北の町におられる人(原文・北の御殿)」と言ったのだとか、諸説あるところのようです。

 さて、いよいよ姫が院に移ってきて、源氏は花散里に預ける話をします。

この人が表に出てきたのはこれまで三回、花散里の巻と、源氏の巻の須磨謫居の前後に訪問した時ですが、そこでも少し触れたように、この人は源氏に大変特異な地位を与えられていました。なお、夕霧が「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」と思った(少女の巻第六章第五段)というような人であることも、この物語の場合、大切なことかも知れません。

『人物論』所収・沢田正子著「花散里の君~虚心の愛~」がこの人について分かりやすく説いていますので、そこからこの人の人柄をまとめますと、「女の情念や苦悩を意志の力によって積極的に自制し、自らに執することなく生きる」ことによって「冷静に物事に対処しうる理性と人々の心を寛く容認するつつましさ」を獲得した人、「努力と諦念によりそこ(人間的煩悩)を通過して自由の地を得た」人ということになるでしょうか、その結果、源氏から深い信頼を得て、姉のように頼みとされている人です。「涼やかな透徹した明るさ、心温かさが生命」とも同論は呼んでいます。

そういう人であればこそ、源氏は夕霧を預けもしましたし、ここでまた新しい姫を預けようとするわけです。

そして、ここでのこの君の源氏への応答にもそういう人柄がよく現れているように思われます。》

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