【現代語訳】

 若い女房のそこにいた者が、まず降りて簾を上げるようである。御前駆の様子よりはこの女房は物馴れていて見苦しくない。また、年かさの女房がもう一人降りて、

「早く」と言うと、
「何だかすっかり丸見えのような気がします」という声は、かすかだが上品に聞こえる。
「またそんなことをおっしゃる。こちらは以前にも格子を下ろしきっています。その上どこがまた丸見えでしょうか」と、安心しきって言う。気にしながら降りるのを見ると、まず頭の恰好、身体つき、細くて上品な感じは、たいそうよく亡き姫君を思い出されよう。扇でしっかりと顔を隠しているので顔が見えず、余計に見たくて、胸をどきどきさせながら御覧になる。
 車は高くて、降りる所が低くなっているのを、この女房たちは楽々と降りたが、たいそうつらそうに難儀して長いことかかって降りて、お部屋にいざって入る。濃い紅の袿に、撫子襲と思われる細長、若苗色の小袿を着ていた。
 四尺の屏風をこの襖障子に添えて立ててあるが、上から見える穴なので、丸見えである。こちらを不安そうに思って、あちらを向いて物に寄り臥した。
「何とも、お疲れのようですね。泉川の舟渡りも、ほんとうに今日はとても恐ろしかったわ。この二月には、水が浅かったのでよかったのですが」
「いやなに、出歩くことは、東国の旅を思えば、どこが恐ろしいことがありましょう」などと、二人で疲れた様子もなく話しているのに、主人は音も立てずに臥せっていた。腕をさし出しているのが、まるまるとかわいらしいのも、常陸殿の娘とも思えない、まことに上品である。

 

《いよいよ新しい重要人物が舞台に姿を見せました。車から、まず「若い女房」が姿を見せ、そして「年とった女房がもう一人」姿を見せて(露払いといった趣です)、その後から、その二人に促されて、まずその人の声だけが聞こえます。

彼女は周囲をひどく気にしているようで、女房の「またそんなことをおっしゃる」は、普段からやや過敏な反応があって、お付きの者たちを困らせている様子が窺えます。そうしてやおら姿を見せました。

 見えたとたんに、大君にそっくりだと思われました。「たいそうよく亡き姫君を思い出されよう(原文・いとよくもの思ひ出でられぬべし)」は「(のぞき見している)薫の気持ちを忖度する形で」書かれている、と『集成』が言います。

 「年かさの女房」でさえ「楽々と降りた」のですが、この姫は「たいそうつらそうに困りきって長いことかかって」、やっとのことで車から降りました。田舎育ちとは思えない、何ともひ弱な姫のようで、まるで小娘といった印象がありますが、弁の話によれば二十歳になっています(第七章第四段)。

 「四尺の屏風を…」と薫の視点を紹介しますが、『評釈』も「当時の読者にはわかったのだろうが、今の我々には位置がさっぱりわからない」と言いますから、安心してあまり気にしないで、ともかく薫からは丸見えなのだと思うことにします。

 女房二人は旅に疲れた様子もなく気楽なおしゃべりをしているのですが、その横で、「主人(姫)は音も立てずに臥せってい」ます。

このあたり、作者はこの姫を、総じてやや腺病質なふうに描こうとしているように思えますが、次に「腕をさし出しているのが、まるまるとかわいらしい(原文・まろらかにをかしげなる)」とあって、ちょっととまどいます。

 初めに聞こえた声も「上品(原文・あてやか)」でしたし、「頭の恰好、身体つき、細くて上品な感じ(原文・あてなるほど)」で、最後の臥せっている様子も田舎者とは思えず、「まことに上品(原文・まことにあてなり)」です。

 外見は「上品」で、「まるまるとかわいらしい」のですが、どうも内に(心か体かに)何か弱いところがある、そんな危うげな姫のようです。

 なお、初めのところ、「かすかだが(原文・ほのかなれど)」とありましたが、『辞典』が「ほのか」は「色・光・音・様子などが、うっすらとわずかに表れるさま。その背後に大きな、厚い、濃い、確かなものの存在が感じられる場合にいう。類義語カスカは、いまにも消え入りそうで、あるか無いかのさま」と言い、『光る』がのちの浮舟の巻を語る中で付け加えるように、「大野・『ほのか』は不満足を表すことがあるんです」と言っています。》

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