【現代語訳】

 女御の君もお渡りになって、ご一緒にご看病申し上げなさる。
「普通のお身体でもいらっしゃらなくて、物の怪などがとても恐ろしいから、早くお帰りなさい」と、苦しいご気分ながらも申し上げなさる。若宮が、とてもかわいらしくていらっしゃるのを拝見なさっても、ひどくお泣きになって、
「大きくおなりになるのを拝見できなくなりましょうね。きっとお忘れになってしまうでしょうね」とおっしゃるので、女御は、涙を堪えきれず悲しくお思いでいらっしゃった。
「縁起でもなく、そのようにお考えなさるな。いくら何でも悪いことにはおなりになるまい。気持ちの持ちようで、人はどのようにでもなるものです。心構えの広い人には、幸いもそれに従って多く、狭い心の人には、そのようになる宿縁で、高貴な身分に生まれても、ゆったりゆとりのある点では劣り性急な人は、長くその地位にいることはできず、心穏やかでおっとりとした人は、寿命の長い例が多かったのです」などと、仏神にも、この方のご人柄がまたとないほど立派で、罪障の軽い事を詳しくご説明申し上げなさる。
 御修法の阿闍梨たちや、夜居などでもお側近く伺候する高僧たちは、皆、たいそうこんなにまで途方に暮れていらっしゃるご様子を聞くと、何ともおいたわしいので、心を奮い起こしてお祈り申し上げる。

少しよいようにお見えになる日が五、六日続いては、再び重くお悩みになるということが、いつまでということなく続いて、月日をお過ごしになるので、

「いったい、どのようにおなりになるのだろうか。治らないご病気なのだろか」と、お悲しみになる。
 御物の怪だなどと言って出て来るものもない。ご病気の様子は、どこが悪いとも見えず、ただ日が経つにつれて、ただお弱りになるように見えるので、とてもとても悲しく辛い事とお思いになって、お心の休まる暇もなさそうである。

 

《紫の上が寝付いたのは、女楽(一月十九日)の翌々日で、そのまま二月が終わって二条院に移ったとありましたから、もうざっと二週間になります。

女御が二条院に見舞いに来て、やっと紫の上の病状が具体的に読者の前にあきらかになってきました。なんと、もう彼女は寿命を考えなければならないほどに重態になっていたのです。

源氏は、元気づけようといろいろに語るのですが、その話の何と理屈っぽいこと。よく言えばそれほど動揺していたとも思われますが、作者は、どうもそういう意味で書いているのではなく、真面目のようです。

加持祈祷が続けられますが、「お悩みになるご様子は、どこということも見えず、ただ日が経つにつれて、ただお弱りになる」ということで、これといった手の施しようもないといった様子です。

よくなったように見える時もありますが、「五、六日」をおいてのぶり返しで、どんどん月日が経っていき、それにつれて「ただお弱りになるようにお見えになる」ばかり、源氏は、当然ながら付きっきりで看病します。

こうして明石の女御が二条院に里下がりして、源氏とともに紫の上の傍にいるのを見ると、六条院は、「火を消したようになって」(前段)しまったことが、一層はっきりします。

それについて『の論』所収「柏木の生と死」が「すでに諸家の説かれるように」としながら「紫の上が六条院を去ったということは、六条院の経営に象徴される源氏の独自の栄華が翳りはじめたことを意味するだろう」と言います。先回りして言ってしまえば、実はあの「女楽」(第四、五章)が、六条院の、そして源氏にとっての、翳りのない華やぎの最後だったのです。

今そこに残っているのは、すでに過去の人となっている花散里と明石の尼君、そして逆に幼いことを強調され続けている女三の宮です。

そして、それが実は新たな出来事を引き起こすことになるのです。》

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