【現代語訳】2

 女御の君にも対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会にめったに耳にすることのない曲目をお弾きになるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特にお許しの出にくいお暇をほんの暫くとお願い申し上げなさって御退出なさった。
 お子様がお二方いらっしゃるが、またまたご懐妊の様子で、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけていらっしゃるのであった。

十二月の十一日が過ぎたら参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、こんな興味深い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、

「どうして私にはご伝授下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
 冬の夜の月は人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者にお琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
 年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」と言い続けていらっしゃるうちに、年が改まった。



《源氏が女三の宮を特訓しているという噂を聞いた明石の女御は、ぜひこの機会に聞かなければならないと、おりよく懐妊中だったので、「神事を避けるのを口実にして」(『評釈』)里下がりをしてきました。

 「お子様がお二方」について、『評釈』は東宮と女一宮の二人だとしますが、『集成』は、前に「御子たちが大勢いらっしゃって(原文・御子たちあまた数添ひたまひて)」(第二章第一段)とあったことを挙げて、「すでに女御の手許を離れている東宮と女一宮はのぞいた、二の宮、三の宮であろう」と言います。確かに二人では「大勢」とは言わないでしょうが、女御は入内して七年目、五人目というとちょっと大変すぎるとも思えます。どんなものでしょうか。

 「十二月の十一日が過ぎたら(原文・十一に過ぐしては)」は、主な神事が終わったら、という意味のようで、原文の「十一日」は「十一月」とある本もあるようです。

女三の宮の特訓は夜を徹して行われたようで、源氏は、「美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら」、女三の宮を中心に、心得のある女房たちに囲まれて(しかも女御まで加わって、なのでしょうか)、管弦の遊びを楽しんでいます。

『光る』が、ここの「冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分」について、「大野・これは『枕草子』への鞘当てですね。『枕草子』では『冬の夜の月』は『すさまじきもの』という中にいれてある」と指摘します。

このことは、以前源氏の言葉でも、「冬の夜の冴えた月に雪の光が照り映えた空」を「興醒めな例としてとして言った人の考えの浅いことよ」(朝顔の巻第三章第二段)と語られていました。ただし、現存の『枕草子』の「すさまじきもの」の段にはありません。

さて、こうして夜な夜な管弦の遊びが催される、そのころ、紫の上は、年の暮れとあって六条院全体の新春の支度で「自然とお指図なさる事柄があるので」加わることができないままでした。

かつて源氏は、何か面白いことがあれば、まずは紫の上がいなければならなかったはずのですが、…。彼女は「春のうららかな夕方などに」と慎ましく残念さを言うだけで、じっと我慢し、堪えています。「言い方は考え方を表す。人柄を表すのである」と『評釈』が高らかに讃えますが、彼女の思いは、その分痛切です。》



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