【現代語訳】

 同じような様子で、二月も過ぎた。言いようもない程にお嘆きになって、試しに場所をお変えになろうということで、二条院にお移し申し上げなさった。院の中は上を下への大騒ぎで、嘆き悲しむ者が多かった。
 冷泉院にもお聞きあそばして悲しまれる。この方がお亡くなりになったら、院もきっと出家のご素志をお遂げになるだろうと、大将の君なども、真心をこめてお世話申し上げなさる。
 御修法などは、普通に行うものはもとより、特別にほかにもおさせになる。少しでも意識がはっきりしている時には、
「お願い申し上げていることをお許しなく、情けなくて」とひたすらお恨み申し上げなさるが、寿命が尽きてお別れなさるよりも、目の前でご自分の意志で出家なさるご様子を見ては、まったく少しの間でも耐えられず、惜しく悲しい気がしないではいられないので、
「昔から、私自身こそこのような出家の本願は深かったのだが、残されて物寂しくお思いになる気の毒さに心引かれて過しているのに、逆に私を捨てて出家なさろうとお思いなのですか」と、ひたすらお引き留め申し上げなさるが、本当にとても頼りなさそうに弱々しくなっていかれて、もうこれきりかとお見えになる時々が多かったので、どうしようと心を惑わされて、宮のお部屋には、ちょっとの間もお出掛けにならず、御琴類にも興が乗らずみなしまいこまれて、院の内の人々はすっかりみな二条院にお集まりになって、こちらの院では、火を消したようになって、ただ女君たちばかりがおいでになって、お一方の御威勢であったと見える。

 

《波紋が次の波紋を呼びます。 

新たに紫の上が大きく体調を崩して、二条院に移るということが起こりました。

そこはかつて長年住み馴れた懐かしい住まいで、「ご自分の邸宅とお思いの」(若菜上の巻第九章第一段1節)、周囲に気遣いのいらないところですから、療養にも心の安定にも、移ること自体は自然なことです。

しかし、女主人の退出とあって、六条院は大騒ぎです。またそれほどの病状と分かって二人の息子も心を傷めます。

そんな中で上は女三の宮降嫁以来考えていた出家(第二章第二段)を再び求めるのですが、源氏は受け入れることができないままに、万般を尽くして付きっきりの看病です。一夫一妻の現代感覚で読むと、いまさらの感もありますが、ここは、こういう形がその当時(より多くの女性を相手にすることが男の大きなステイタスの一つである時代)の男の標準的なあり方であるとして、彼の誠意を汲まねばならないでしょう。

そんな時に、作者は「宮のお部屋には、ちょっとの間もお出掛けにならない」と、あまりに当然で、特に断る必要もないことのように思われる一節を入れ、それによってさりげなく六条院の「火を消したよう」なさまを語って、逆にどれほど紫の上の力が大きかったかを語ります。

ところで、ちょっと分かりにくいのは、例えば『評釈』が「出家、それは二人の別れを意味する。…この世にあるかぎり二度と顔を見ないのだ」と言うように、源氏は紫の上の出家希望に大騒ぎをして反対するのですが、例えば、藤壺は出家して後、源氏の権勢が復活してからは、「お思いの通りに参内退出」ができて、「内大臣(源氏)は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさる」(澪標の巻第三章第二段)のでしたし、その後も源氏は幾度も彼女と会っていて、前斎宮(六条御息所姫君)の入内の相談をした(同第五章第五段)こともあるのであって、出家したからといって、実生活上何ほどの変化もないようにも見えます。

『構想と鑑賞』は、この時の紫の上の出家を源氏が許さない理由について、「紫の上が気がかりで、それに気が引かれて(自分が)出家できないというのなら、今紫の上が出家すれば、心残りがなくて、自分も出家することができるはず」で、「また自分が出家してからにせよともいうが、これも自己本位で、他を思わない考え方」で、「甚だ筋の通らない話」と言い、結局「紫の上の尼姿をみることは堪えられないのであり、換言すれば、紫の上に対する恋情がまだまだ強くて、思い切れないということである」と言います。

一方、紫の上についても「運命として、女三の宮の降嫁を甘受せねばならず、そのことのために源氏を信頼し得ない心持」になっているが、「源氏が進んで求めたこととは思わないから、源氏を恨んだり憎んだりはしない」、ただ「そういう自分の運命が悲しくて、源氏から離れたいのである」、「それと共に、…源氏の同意がない限り出家しようとしないのも、その心の奥に、源氏に対する愛情が潜んでいるためである」と言います。

ちょっと引用が長くなり、かつとびとびで分かりにくいかも知れませんが、つまりここでの二人の対話は、二人の気持の行き違いを示しているようでありながら、どうやら、実はせっぱ詰まったところでの男女の睦言の裏返しに近い一面を秘めたものであるようなのです。》


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