【現代語訳】

 あちらでは、お通り過ぎになってしまった様子を、遠くなるまで聞こえる前駆の声々にただならずお聞きになる。心積もりしていた女房も、たいへんに残念に思っている。姫宮は、それ以上に、
「やはり、噂に聞く露草のような移り気なお方なのだわ。ちらほらと人の言うのを聞くと、男というものは嘘をよくつくという。愛していない人を愛している顔でだます言葉が多いものだと、この人数にも入らない女房たちが昔話として言うのを、そのような身分の低い階層にはよくないこともあるのだろうけれども、何事も高貴な身分になれば人が聞いて思うことも遠慮されて、自由勝手には振る舞えないはずのものと思っていたのは、そうとも限らなかったのだ。

浮気でいらっしゃるように、故宮も伝え聞いていらっしゃって、このように身近な関係にまではお考えでなかったのに、不思議なほど熱心にずっと求婚してこられ、思いがけず婿君としてお通いいただくにつけて、また、身のつらさが思い加わるのが、つまらないことだ。
 このように期待はずれの宮のお心なのに、一方ではあの中納言もどのように思っていらっしゃるのだろう。ここには特に気にしなくてはならないような女房はいないが、それぞれ何と思うか、物笑いになって馬鹿らしいこと」とお心を悩ましなさると、気分も悪くなって、ほんとうに苦しい気がなさる。
 ご本人は、たまにお会いになる時、この上なく深い愛情をお約束なさっていたので、

「そうはいっても、すっかりはお心変りなさらないだろう」と、

「訪れがないのも、やむをえない支障がおありなのだろう」と、心中に思い慰めなさることがある。
 久しく日が経ったのを気になさらないことも決してないのに、なまじ近くまで来ながら素通りしてお帰りになってしまうことを、つらく口惜しく思われるので、ますます胸がいっぱいになる。堪えがたいご様子なのを、
「世間並みの姫君にして上げて、ひとかどの貴族らしい暮らしならば、このようにはお扱いなさるまいものを」などと、姉宮は、ますますお気の毒に思って見申し上げなさる。

 

《八の宮邸では、目と鼻の先のところでいつまでも続く大賑わいの様子に、まだおいでにならないかと待っていたのですが、それがそのまま先駆けの声に変って、そして遠のいて行くに至って、どうやらただの素通りだったらしいと、がっかりしています。

 中でも大君は、そもそもは自分の都合から始まったことで妹につらい思いをさせることになったと、宮が恨めしく、つらい思いで「お心を悩ましなさる」のでした。

 やっぱり噂のように「移り気なお方」だったのだ、、男は浮気なものだと女房達が話していたけれど、それは卑しいものの間のことで、高貴な方はそれなりにきちんとした振る舞いをされると思っていたのだけれど、そうではなかったのだ、…、と思い込んでしまいます。実際の匂宮は、あれほどに中の宮に思いを寄せており、時が来たら「誰よりも高い地位に立てよう」とさえ考えている(第四章第八段)のですが、それを知る由もないままに。

 そういう疑いは、そのまま、自分に言い寄ってくる薫に対しても向けられるます。

 当の中の宮は、これまでは、宮から直接「この上なく深い愛情をお約束なさっていた」のを聞いていましたから、少なくとも大君以上には宮を信じることができていて、訪れの間遠なことも訳があるのだと自分に言い聞かせながら、何とか我慢できていたのですが、さすがに今回のように、ついそこまで来ていながら素通りされたと思うと、堪え難いものがあります。

それは同じ悲しみでも、大君のように男の心を疑っての悲しみとは違うと『評釈』が言います。あくまでも宮を信じて、ただ宮に逢えないことを悲しんでいる、普通の女性の悲しみです。

 しかしその様子見る大君は、女性の宿命を思ってしまい、ほとんど妹以上の物思いに心を痛めます。

先に引いた『講座』所収「匂宮と中の宮」(第四章第八段)は、ここに至って物語は、「真相を知らされない、というより理解出来ないが故に生じる心理的懸隔が物語を推し進めていくモーメントとして機能する」と言い、この部分を引用しながら、「『男』の『そらごと』への認識がいま大君の中に確立されたのである。…心理的懸隔をも逆手にとっての、大君の生の完遂こそ作者の関心事であったと言わなければならない」と言います。

匂宮の中の宮を大切に思う真意が大君に伝わっていれば、事態は大きく異なっていたことでしょうが、その機会がなかったことによって、大君にとって世を厭う具体的な理由ができたわけで、もはや自分にとっては生きていくことは悲哀しか招かないと思い定めてしまうことになるのですが、それはまた作者自身の思いの大きな一つだったのだ、と言っているようです。》

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