【現代語訳】1

 宮を場所相応にとても特別に丁重にお迎え入れ申し上げて、この君は主人側として気安くおもてなしになるがまだ客人席の仮の間に遠ざけていらっしゃるので、まことにきびしいことよと思っていらっしゃる。お恨みなさるのもさすがにお気の毒で、物越しにお会いになる。
「『たはぶれにくき(戯れてなどいられないほど恋しい気持ち)』なのですよ。こうしていつまで」と、ひどくお恨み申し上げなさる。だんだんと道理をお分かりになってきたが、妹のお身の上のことでも物事をひどく悲観なさって、ますますこのような結婚生活を嫌なものとすっかり思い込んで、
「やはり決して何とかこのようには打ち解けまい。うれしいと思うお方のお気持ちも、きっとつらいと思うようになるにちがいない。自分も相手も幻滅したりせずに、もとの気持ちを失わずに、最後までいたいものだ」と思う考えが深くおなりになっていた。

《大君は、匂宮は客分として丁重にもてなしますが中の宮の部屋に招じ入れ、一方薫は身内同然に気安く親しく迎えていますが、依然として「客人席の仮の間に遠ざけられて」いる(『集成』は「廂の間に招じられているのであろう」と言います)のであって、決して近づくことは許していません。そうしながら、薫が恨めしく思っていることは分かるので、相手をしないものではなく、「物越しに」は応対します。

彼女は、妹が宮の訪れを待ちわびて胸を傷めていたのを見ていて、結婚ということにますますの恐れを持ってしまって、結婚すれば、ひとときは大切にされても、いずれはお互いに「幻滅」することになるだろう、それならかえってこのままの淡いお付き合いでいた方がいい、と心に言い聞かせてしまっているのでした。

 もっともそれは、実はそれほど薫が自分にとってこの上なく大切に思われているということであるはずなのですが、彼女はそれに気づいていないようです。

 「物質的援助の必要から、肉体的関係を強要される屈辱の堪え難さを、大君の薫拒否の理由に加えることができよう」とする説(『人物論』所収「大君―結婚拒否の意味するものー」池田節子著)もありますが、そういう問題は彼女の中では影を潜めているのではないでしょうか。一般的には彼女の言う「幻滅」(原文・見おとす)にその「屈辱」の顕現が含まれていないとは言えないかもしれませんが、ここに至ってなお彼女自身からそのことが一言も語られない以上、読者の過度の読み加えと言うべきではないかと思われます。

 逆にその点を『光る』は「丸谷・この小説の一番へたな読み方は、経済的条件だけで読むことです」と言いますし、『講座』所収「大君の死」(増田繁夫著)も「一般にこの物語の女性たちの中には、こうした場合に功利的に、また現実的に対応する態度をとらず、ひたすら自己の思いこんだ方向へ進んでゆく傾向の人たちが描かれている」と言います。

中の宮を自分の代わりに薫と結婚させようという考えは、そういう「物質的援助」の確保を意図したものではなく、せめてそうして薫を身近に置きたいということであって、そこにはもちろん彼女の密かなエゴイズムではあるにしても、純粋に精神的な欲求だったと考えるべきではないでしょうか。

薫と大君が物語的には驚くべく精神的に造形されていうということは言えそうで、その点ではこれも『光る』の言葉ですが、「大野・ぼくは、『宇治十帖』というのは、…実験小説だと感じるんです」という説になるほどと思わされます。》

 ※ 昨日は、風邪をこじらせて、寝込んでしまいまして、無断で休載しました。続けてお読みの方が
  あれば、ご迷惑をおかけしました。
   どうやら復調しましたので、、なんとか書き続けます。皆様も、お大事に。
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