【現代語訳】

 朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や舞人などが参上しては、合奏が続く。
「こちらの対の上がいつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や琵琶の音色も合わせて、女楽をさせてみましょう。

ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないません。
 きちんと伝授を受けたことはほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠はだれも、また高貴な家々のしかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
 その当時よりも、また最近の若い人々が風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったようです。琴の琴は、また他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、

「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
 二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
「院にもお目にかかりなさらないで何年にもなったが、大人びられたことだと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子は隠れようもなかろう」と、女房たちも拝見する。

 

《朱雀院の祝はまず帝がなさってから、ということで、少し先に延ばして二月十日過ぎと決まり、そこに向かって合同稽古にも熱が入ります。

源氏は、それまでの間に「女楽」をやらせてみよう思いつきました。女性だけの雅楽の合奏で、「これは、六条院ならではの事である。女御の箏(ソウ・琴)、紫の上の和琴(ワゴン)、明石の御方の琵琶、みな名人の域に達している。これに女三の宮の琴(キン)を加えれば、絃楽器は全部そろう」と『評釈』が言います。

そして例によって源氏の蘊蓄が披露されますが、ここは「序論」(『集成』)です。

中で、琴の琴については、どうやらこの頃には女三の宮の腕もこういう人々と肩を並べるほどになったようで、源氏はその腕前を保証しました。

源氏が院の祝賀を思い立ったのは、十月二十日の住吉詣でからかえってのことですから、十一月に初めごろでしょうが、そのころ姫宮の琴はまだ人前に出せるものではありませんでした。それからわずか二ヶ月そこそこにして、「あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」(ということは、まだ名手とは言えないにしても、実質的には当代きっての弾き手ということになりますが)と言われるほどになったというのは、ちょっと想像を絶する上達であるように思われますが、そのあたりはまだ作者の「昔物語」感覚が抜けきっていないせいなのでしょう。

ともあれ姫宮は源氏に褒められて「無邪気にほほ笑んで」喜んでいます。しかし、「二十一、二歳ほど」といえば、当時としては女性として熟年に近い年頃、「女盛り」(『評釈』)なのですから、もう少し大人びた受け取り方があろうと思われるのですが、「まだとても幼げで…」と作者も危ぶんでいます。源氏も、「(父院に会う時は)一段と気をつけてお会い申し上げなさい」と言わずにはおれない有様で、周囲の女房も気が気でない様子です。

読者としては、紫の上がこういう女性のために心を悩ませられているのだと思うと、何か気の毒で、少々おもしろくない気がします。》

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