【現代語訳】
「とりあえず、あれを。誰も見ていないうちに」とお促し申す。
「今日は、お返事申し上げることができません」と恥じらって、手習に、
「 里の名をわが身に知れば山城の宇治のわたりぞいとど住み憂き
(里の名をわが身によそえると、山城の宇治の辺りはますます住みにくいことです)」
宮がお描きになった絵を、時々見ては自然涙がこぼれた。
「末長く続くものではない」と、あれやこれやと考えてみるが、他のところに関係をすっかり断ってお逢いしないのは、とても耐えられなく思われることだろう。
「 かきくらし晴れせぬ峰のあま雲に浮きて世をふる身をもなさばや
(真っ暗になって晴れない峰の雨雲のように、空にただよう煙となってしまいたい)
『まじりなば(雲になってしまいたい)』」と申し上げたので、宮は声を上げて泣かれる。
「そうは言っても、恋しいと思っているらしい」とご想像なさるにつけても、物思いに沈んでいる様子ばかりが面影にお見えになる。
真面目な方は、のんびりと御覧になりながら、
「ああ、どのような思いでいるのだろう」と想像して、たいそう恋しい。
「 つれづれと身を知る雨のをやまねば袖さへいとどみかさまさりて
(寂しくわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので、袖までが涙でますます
濡れてしまいます)」
とあるのを、下にも置かず御覧になる。
《「とりあえず、あれを」というのは、返事を書くことを勧めたのです。「誰も見ていないうちに」とありますから、匂宮の手紙の返事を促したわけですが、するとこれを言ったのは、侍従の方でしょうか。
しかし、浮舟は心変わりしたと思われるような気がして、書けません。彼女はただ「手習に」歌を書いてみます。「里の名を」と詠み起こしたのは、薫の歌の「里人」を受けることによって、自分の心変わりをカモフラージュしたということでしょうか。
「宮がお描きになった絵を、時々見」るというのが、よく分かりません。
諸注、この絵は、匂宮と初めて会った時に描いた(第二章第八段)絵としますが、あれは「とても美しそうな男と女が、一緒に添い臥している絵」だったはずで(『光る』が「丸谷・要するに偃息図(春画)を描いたわけでしょう」と言っています)、そんな絵をこういうところで見るものでしょうか。またそれを見て「自然涙がこぼれた」とは、どういう感覚なのだろうかと思います。
それも、どうやら今この場面でのことのようですが、「時々(原文も同じ)」というのも、ちらちら横目で見るように思えて、変です。どういうことなのでしょうか。
しかし、ともかく、ここではもう彼女の心がすっかり匂宮に傾いていることは、よく分かります。二通の手紙を目の前に並べられたことで、自然とその軽重が見えてしまった、ということでしょうか。前段の冷静さからは、一歩踏み出した感じです。
その一方で、そういう関係が「このまま末長く続くものではない」ということもよく理解できます。生活は薫に世話になるしかないのですが、それによって宮との関係を「すっかり断ってお逢いしないのは、とても耐えられなく」思われます。
「かきくらし」の歌は、宮の歌「ながめやるそなたの雲も」(この章冒頭)を受けて、その思いのままに匂宮に送った返事なのでしょう。上の句は宮と薫の間を揺れ動く彼女の心の暗示と思われ、そのつらさに「いっそ死んで火葬の煙となってしまいたい、の意」(『集成』)とすると、ずいぶん率直です。
それを受けて宮が「声を上げて泣かれる」のはいいとして、そこまで彼女を追い詰めたのは彼自身なのですから、彼がどう考えたのか、もう少し知りたいところですが、「『そうは言っても、恋しいと思っているらしい(原文・さりとも、恋しく思ふらむかし)』とご想像なさる」とは、ただやにさがっているだけに見えて、何とも言いようがない気がします。
もちろん作者としては、浮舟を憐れんで、つらく思ったのだ、と言いたいのでしょうが、 源氏もそうでしたが、この人たちは自分の行動によって他人(女性)が苦しい立場になることについて、反省し改めるということがありません(少女の巻第六章第五段)。自分の欲求やそこからの行動は、すべて所与のこととして、その是非を顧みないようなのです。
また、作者もそれはそういうものだと考えているようで、そういう男の側の上から目線に対する批判は見当たらないように思います。
薫への歌の「つれづれと身を知る」は、何も知らない彼には、ただ寂しい気持ちを言っているとしか思われないでしょうが、恋の駆け引きにしてはいささか痛切に聞こえる言葉で、「下にも置かず御覧にな」るのは、一体何ごとかと、思案するというところでしょう。『評釈』は声を上げて泣いた匂宮に比べて、思いが薄いように言いますが、そう比べるには、置かれた事情が違いすぎますし、「たいそう恋しい」と思い合わせると、宮の泣き声に劣らぬ思い入れが現れていると考えてもいいように思われます。》