【現代語訳】
「お亡くなりになりました騷ぎで、母でありました者はそのまま病気になって、まもなく亡くなってしまいましたので、ますます嘆き沈みまして、喪服を重ね重ねて悲しい思いを致しておりましたところ、長年、大して身分の良くない男で思いを懸けておりました者が、私をだまして西海の果てまで連れて行きましたので、京のことも分からなくなってしまって、その者もあちらで死んでしまいました後、十年余り経って、まるで別世界に来た心地で上京致しましたが、こちらの宮は、父方の関係で子供の時からお出入りしたご縁がございましたので、今はこのように世間づきあいできる身でもございませんが、冷泉院の女御様のお邸などは、昔、よくお噂をうかがっていた所で、おすがりして参上すればよいと思いましたが、体裁悪く存じられまして、深山奥深くの老木のようになってしまったのございです。
 小侍従は、いつ亡くなったのでございましょうか。その昔の、若い盛りと思って見ていました人は数少なくなってしまった老いの果てに、たくさんの人に先立たれた運命を悲しく存じられながら、それでもやはり生き永らえております」などと申し上げているうちに、今夜もまたすっかり夜が明けた。
「もうよい、それでは、この昔語りは尽きないようだ。また、他人が聞いていない安心な所で聞こう。侍従と言った人は、かすかに覚えているのは、五、六歳の時であったろうか、急に胸を病んで亡くなったと聞いている。

このような対面がなくては、罪障の重い身で終わるところであった」などとおっしゃる。

 小さく固く巻き合わせた反故類で、黴臭いのを袋に縫い込んであるのを、取り出して差し上げる。
「あなた様のお手でご処分なさいませ。『私は、もう生きていられそうもなくなった』と仰せになって、このお手紙を取り集めて、お下げ渡しになったので、小侍従に再びお会いしました機会に確かに差し上げてもらおうと存じておりましたのに、そのまま別れてしまいましたのも、私事ながらいつまでも悲しく存じられます」と申し上げる。

さりげないふうに、これはお隠しになった。
「このような老人は、問わず語りにも、不思議な話の例として言い出すのだろう」とつらくお思いになるが、「繰り返し、他言をしない旨を誓ったのを、信じてよいか」と、再び心が乱れなさる。
 

《弁の君は、彼女の母(柏木の乳母)が、柏木の死去への悲歎からなのでしょう、間もなく亡くなり、弁の君自身は男にだまされるなどして、十年余りほど波乱の時を送ることになった話をするのですが、薫の反応は「もうよい(原文・よし)」と、少々冷たいものでした。「また、他人が聞いていない安心な所で聞こう」と言ったのを『評釈』は「特別の待遇を与えたのである」と言うのですが、どうなのでしょう。

 薫にしてみれば、ついに積年の不安が的中する形で明らかになったばかりで、疑問は晴れても問題はかえって具体的になったわけですから、思うべきことは限りなく多く、将来への不安も膨らむばかりでしょうから、老婆の繰り言にいつまでも付き合う気持になれなかったのも無理ありません。

「このような対面がなくては…」は、「仏教では、父母の恩を特に重んじ、実の父母を知らず、孝養を尽くさないのを重い罪とした」(『集成』)ことを言ったもので、その礼を言って、話を終えようとします。一人になりたい気持ちだったと言うべきではないでしょうか。

 弁の君は別れ際に柏木から預かっていた手紙を差し出しました。小侍従から女三の宮に渡すべきものだったと言いますが、それが叶わず、自分で「黴臭い」ながら「肌身はなさず二十二年守り続けたもの」(『評釈』)です。

 薫はそれを「さりげないふうに」しまい込んでしまいます。下手に感動を見せて老女に強い印象を残すことは得策ではありませんし、また目下の者の前でそういう動揺を見せることはできないでしょう。

 彼は、最後に、他言無用を言い渡したのですが、おそらく話を聞いている間の気持とは違って、上位者の立場に帰って毅然として言ったことでしょう。弁の君も「繰り返し」約束しましたが、彼には気がかりが残りました。

ところで弁の君の言葉の始めに「母でありました者は(原文・母にはべりし人は)」とあり、こういう言い方は古文ではよく出てきますが、単に「母は」というのに比べて、血縁よりも因縁のつながりを強く意識した言い方のようにも思われて、面白く思います。》

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