【現代語訳】

 今日の拍子合わせの役には子供を召そうとうことで、右の大殿の三郎君で尚侍の君の御腹の兄君に笙の笛、左大将の御太郎君に横笛と吹かせて、簀子に伺候おさせになる。
 内側には御茵を並べてお琴を御方々に差し上げる。秘蔵の御琴類をいくつも、立派な紺地の袋に入れてあるのを取り出して、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に琴(キン)のお琴、宮には、このような仰々しい琴はまだお弾きになれないかと心配なので、いつもの手馴れていらっしゃる琴を調弦して差し上げなさる。
「箏のお琴は、弛むというわけではないが、やはり、このように合奏する時の調子によって、琴柱の位置がずれるものだ。よくその点を考慮して調弦すべきだが、女性の力ではしっかりと張ることはできまい。やはり大将を呼んだ方がよさそうだ。この笛を吹く者たちも、まだ幼いようで、拍子を合わせるには頼りにならない」とお笑いになって、
「大将、こちらに」とお呼びになるので、御方々はきまり悪く思って、緊張していらっしゃる。

明石の君を除いては、どなたも皆捨てがたいお弟子たちなので、お気を遣われて、大将がお聞きになるので、難点がないようにとお思いになる。
「女御は、ふだん主上がお聞きあそばすにも、楽器に合わせながら弾き馴れていらっしゃるので安心だが、和琴は、たいして変化のない音色なのだが奏法に決まった型がなくて、かえって女性は弾き方にまごつくに違いないのだ。春の琴の音色は、おおよそ合奏して聞くものであるから、他の楽器と合わないところが出て来ようかしら」と、何となく気がかりにお思いになる。

 

《「拍子合わせ」は「調子をそろえる役の意であろう。笛を合奏の軸にする」(『集成』)ということのようですが、それでは笛の方が主になるようで、よく分かりません。オーケストラのチューニングのオーボエの役割というようなことなのでしょうか。それに二人というのは、ちょっと変ですが…。

「内側」は、簀子から見てのことで、廂の間、そこに「御茵」(敷物)を敷いて、それぞれのお琴が置かれて、四人の貴婦人が座につきます。

並べられた琴の三台は源氏の秘蔵品のようですが、女三の宮だけは、それはまだ手に余るとあって、普段使い慣れたものが置かれます。どうも前の、あなた程度の人はなかなかいないという話(第三章第五段)と話が合わないように思われます。間接的に、源氏がいかに桁外れに名手だったということになりますが、それはまあ、そういうことだったのだ、ということで通過します。

中で、箏の琴の合奏用の調弦が女性ではできないということで、夕霧を呼んでそれをさせることにしました。さて、男性が、それも名に負う貴公子が来るとあって、座に緊張が走ります。

そこから後の話は、ちょっと解りにくく思われ、特に、「春の琴は」以下は「古来不審とされている」(『集成』)ところだそうです。

夕霧が来るのを待つ間に源氏が思ったことという格好で、教え子たちが、今や一人前になってきた息子の前で恥を掻かねばよいが、という心配のようです。明石の御方の琵琶は父入道が鍛えたもので、自分が教えたものではないし、女御は帝のお側にいて合奏の経験が豊富だから大丈夫、問題は定型のない和琴(即興性が強いということでしょうか、ジャズ的なもの?)と、源氏から見れば技術未だしの姫宮の箏の琴です。

自分の教え子がその成果を人前で披露するのを脇で見るのは、教えた者にとっては経験しないと分かりにくい大きなプレッシャーですが、源氏のような大変立派な父親が自分の妻二人について息子に品定めをされることに、やはり不安を感じているというのは、なかなか面白い光景です。それなら呼ばなければいいようなものですが、そこはまた一方で、どうだと、聞かせたい気持ちもあるのでしょうか。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ