【現代語訳】1

 帝におかせられては、お思い立ちあそばした事柄を、むげに中止できまいとお思いになって、中納言に御依頼あそばした。そのころの右大将が病気になって職をお退きになったので、この中納言に、御賀に際して喜びを加えてやろうとお思いあそばして、急に右大将におさせあそばした。
 院もお礼申し上げなさるものの、
「とても、このような急に身に余る昇進は、早すぎる気が致します」とご謙遜申し上げなさる。
 東北の町にご準備を整えなさって目立たないようになさったが、今日はやはり儀式の様子も格別で、あちこちでの饗応なども、内蔵寮や穀倉院からご奉仕をおさせになった。
 屯食などは公式の作り方で頭中将が宣旨を承って、親王たち五人、左右の大臣、大納言が二人、中納言が三人、参議が五人で、殿上人は例によって内裏も東宮も院も、残る人は少ない。

お座席やご調度類などは、太政大臣が詳細に勅旨を承ってご準備なさっている。今日は、勅命があっておいでになった。院もたいそう恐縮申されて、お座席にご着席になる。
 母屋のお座席に向かい合って、大臣のお座席がある。たいそう美々しく堂々と太って、この大臣は、今が盛りの威厳があるようにお見えである。
 主人の院は、今もなお若々しい源氏の君とお見えである。御屏風四帖に、帝が御自身でお書きあそばした唐の綾の薄緂の地に、下絵の様子など、尋常一様であるはずがない。美しい春秋の作り絵などよりも、この御屏風のお筆の跡の輝く様子は、目も眩む思いがし、御宸筆と思うせいでいっそう素晴らしかったのであった。
 置物の御厨子、絃楽器、管楽器など、蔵人所から頂戴なさった。右大将のご威勢も、たいそう堂々たるものにおなりになったので、それも加わって、今日の儀式はまことに格別である。御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人が、上の者から順々に馬を引き並べるうちに、日がすっかり暮れた。

 

《とうとう帝が乗り出して来られました。これまで幾度か源氏の辞退を受けて思いとどまってこられたようでしたので、読者としてはさすがにもうないかと思わされていましたが、ここに至って、夕霧を介しての祝賀で、彼にはその労のために右大将の位が与えられて、中納言と兼務となります。

花散里の邸に万端の準備がしつらえられ、「内蔵寮や穀倉院から、ご奉仕をおさせにな」り、「頭中将が宣旨を承って」、宮中に「残る人は少ない」といった案配で参列します。

さらに祝賀の席は太政大臣がわざわざ出向いて差配し、また臨席します。

『評釈』が「お道具類」(「御屏風四帖」、「置物の御厨子、絃楽器、管楽器など」を指すのでしょうか)について「一つ一つ趣を変えていることに注意されたい。一つ一つ前よりも立派になっていくことに、予想外のものになっていくことに注意されたい」と言います。

もうこれで祝賀も四回目になりますので、その違いのよく分からないものにとっては、またかという感を拭えませんが、当時の読者は、この少しずつ違っていく繰り返しをきちんと理解して、やはりさすがは帝の催し、さすがは源氏のご威光、という思いで読むことができたのでしょうか。

もっとも一方で、確かに、帝からのなにがしかのことがあって第一人者たる源氏の賀となりとも言えるので、これがなかったら、なにやら画竜点睛を欠くような気もします。とすると、紫の上と中宮の祝賀の話をもう少しうまく簡潔に処理してほしかったということになるでしょうか。

『評釈』だったでしょうか、この作者は大変律儀な人で、読者があのことは、と思いそうなことは皆書き込むというところがある、というようなことを言っていたと思いますが、あるいはここなどもその一端で、あの人ならどんなお祝いをするだろうかという読者の興味の全てに応えようとしたのかも知れません。

ところで、最後の「御馬四十疋…上の者から順々に馬を引き並べる」は、「庭上に」ということです(『集成』)が、宮中からお祝いなどを運んできた馬でしょうか、「上の者から(原文・上より)」がよく分かりません。》

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