【現代語訳】

 帰途、

「やはり、実に油断のならない、抜け目なくいらっしゃる宮であるよ。どいういう機会にそういう人がいるとお聞きになったのだろう。どのようにして言い寄りなさったのだろう。鄙びた所だから、このような方面の過ちはけっして起こるまいと思っていたのが浅はかだった。それにしても、私に関わりのない女には、そのような懸想をなさってもよいが、昔から親しくして、おかしいまでに手引してお連れ申して歩いた者に、裏切ってそのような考えを持たれてよいものであろうか」と思うと、まことに気にくわない。
対の御方のことを、たいそういとしく思いながらも、そのまま何年も過ごして来たのは、自分の慎重さが深かったからなのだ。また一方で、それは今始まった不体裁な思いではない。もともと縁のあったことだが、ただ心の中に後ろ暗いところがあっては、自分としても苦しいことになると思ってこそ、遠慮していたのも愚かなことであった。
 最近このように具合悪くなさって、普段よりも人の多い取り込み中に、どのようにしてはるばる遠い宇治までお書きやりになったのだろうか。通い初めなさったのだろうか。たいそう遠い恋の通い路であることだ。おかしなことだと、いらっしゃる所を探されなさった日もある、と聞いたことだ。

そのようなことにお心を乱されて、どこということなくお患いになっていらっしゃるのだろう。昔を思い出すにつけても、お越しになれなかったときの嘆きは、実にお気の毒なほどだった」と、つくづくと思うと、女がひどく物思いしている様子であったのも、事情の一端がお分かり始めになるにつけて、あれこれと思い合わせると、実に情けない。
「難しいものは、人の心だな。かわいらしくおっとりしているとは見えながら、浮気なところがある人であった。この宮の相手としては、まことによい似合いだ」と譲ってもよい気持ちになり、身を引きたくお思いになるが、
「北の方に迎えるつもりの女ならともかくも、やはり今まで通りにしておこう。これを限りに会わなくなるのも、また、恋しい気がするであろうと体裁悪いほど、いろいろと心中ご思案なさる。

「自分が、嫌気がさしたといって、見捨てたら、きっと、あの宮が、呼び迎えなさろう。相手にとって、将来が気の毒なことであることも、格別お考えなさるまい。そのように寵愛なさる女は、一品宮の御方のもとに女房を、二、三人出仕させなさったという。そのように、出仕させたのを見たり聞いたりするのも、気の毒なことだ」などと、やはり見捨てがたく、様子を見たくて、お手紙を遣わす。

 

《さて、匂宮が浮舟との間に関係を持ったことを知ってしまった薫の思いが語られますが、ちょっと予想外のもののように思われます。

 まず、普通ならなにより最初に「それにしても、私に…」ということを思いそうですが、「どのような機会に…」の方が先でした。

 そして「対の御方のことを…」と、自分が中の宮への思いをずっと抑えてきたことを「愚かなことであった」と、浮舟とは関係ないことに思いを飛ばせ、果てには、昔、匂宮が宇治の中の宮に通っていたころ、「お越しになれなかったときの嘆きは、実にお気の毒であった」と思い返して、今もまた浮舟に容易に逢えないことを嘆いておられるとだろうと思ったのでしょうか、「譲ってもよい気持ちに(原文・思ひもゆづりつべく)」なったと言うに至っては、今までの執着は何だったのかという気もします。

しかし、と言って「これを限りに会わなくなるのも、はたまた、恋しい気がするであろう」と「思案」します。

さらにまた、自分が「見捨てたら」、匂宮はきっと浮舟を引き取るだろうが、宮の寵愛は将来きっと薄れるだろうから、その時はどこかの女房に出しておしまいとされるのがオチで、それが浮舟にとって不幸なことになるなどとは、あの宮はお考えにもならないだろう、と考えると、「やはり見捨てがたく」思えてきます。

 こうなると、どうも通常のいわゆる愛情とはずいぶん違ったものです。思い返すと、薫が浮舟を宇治に連れて行く車の中でも、「君も、目の前の女はいやではないが、空の様子につけても故人への恋しさがつのって」(東屋の巻第六章第六段)とあって、彼女は薫にとって結局形代以上ではないことがほのめかされていました。

 薫にとって浮舟は、以前からずっとそうだったのですが(例えば第三章第四段)、ここに至ってなお、愛しい大君の瓜二つの妹という以上ではなかったようで、ここでも、つまりはそういう意味でいとおしまれ、そして親身に案じられています。

 それは私たちが普通に考える男女の愛とは異なるものなのですが、そういう愛情が、匂宮の情熱的な愛情と対峙する愛情として考えられているところに、この作者の、いやあるいはこの時代の愛情観が表れていると言えるのではないでしょうか。

 私たちは普通、匂宮のような激情的愛に対峙する愛の形としては、例えば、互いに強く求め合いつつも対等な個人として相手を尊重し合う関係、というようなものを思い描くのですが、そういう関係は、男性の支配が当たり前のこの時代のよく想像し得ないところのものだったのではなかったのか、…。

 つまり、ここに見られる薫の愛情は、当時にあっては、十分に男女の間の愛情と呼ぶに足るものであったのではないか、ということです。

さればこそ、『無名草子』が薫を絶賛するのだと、私は今、思い当たった気がしていますが、一人合点でしょうか。》