【現代語訳】

 翌日、雪がちらつき空模様もものあわれで、来し方行く末をお話し合いになる。
「院がお弱りにおなりになったお見舞いに参上して、胸を打たれることがいろいろありました。女三の宮の事を、実に放っておきがたく思し召されて、これこれのことを仰せになったので、お気の毒で、お断り申し上げることができなくなってしまったのを、大げさに人は言いなすでしょう。
 今はそのようなことも気恥ずかしく、不似合いなことだと思うようになっているので、人を通してそれとなく仰せになった時には何とか逃げ申したが、対面した折りに、あわれ深い親心をいろいろおっしゃるのには、すげなくご辞退申し上げることができませんで。
 深い山住み生活にお移りになるころには、こちらにお迎え申し上げることになるでしょう。おもしろくなくお思いでしょうか。どんなことがあっても、あなたにとって今あることから変わることは決してないつもりですから、隔て心を持たないで下さいよ。
 あちらの方にとってこそ、お気の毒でしょう。その方も見苦しからずお世話しよう。皆が皆、穏やかにお過ごしくださったなら」などと申し上げなさる。
 ちょっとしたお遊び事でさえ、あきれたとお思いになって、心穏やかでないご性分なので、「どうお思いだろうか」とお思いになるのだが、まったく平静で、
「ほんとうにお気の毒なご依頼ですこと。私などが、どのような快からぬ心をお抱き申しましょうか。目障りな、こうしていてなどと、咎められないようでしたら、安心してここにおりましょうが、あちらの御母女御の御縁からいっても、仲好くしていただけるでしょうか」と、謙遜なさるのを、
「あまり、こんなに快くお許しくださるのも、どうしてかと不安に思われます。ほんとうは、せめてそのようにでもお許しになって、こちらもあちらの方も事情を分かりあって、穏やかに暮らしてくださるなら、一層ありがたいことです。
 根も葉もない噂などをする人の話は、信じなさるな。総じて、世間の人の口というものは、誰が言い出したということもなく、自然と他人の夫婦仲などを、事実とは違えて意外な話が生まれて来るもののようですが、自分一人の心におさめて、実際の様子に従うのが良い。先回りして騷ぎ出して、つまらない嫉妬をなさるな」と、たいそうよくお教え申し上げなさる。

 

《とうとう源氏は事態を紫の上に話しました。しかしその話の内容は、私たちの知っている事実と異なる点がありました。

 源氏は院が「これこれのことを仰せになった」と言うのですが、この「これこれ」の内容は、実際は、しばらく養育して後に適当な婿を探してほしい、ということだったのですが、ここでは、「今はそのようなことも気恥ずかしく…」と言うのですから、院が妻として迎えてほしいと言われたと言っている訳です。

 すでに事が決まってしまっている以上は、紫の上が受け入れやすいように、出来る限り彼女を傷つけないように話すことは、必ずしも悪いことではありませんから、源氏自身の気持ちで決めたと言うより、院からのたっての頼みとした方が穏やかに話が進みます。

しかし、先にも言いましたが、こういう明らかな嘘を策略として用いる源氏の姿は、これまでにはなかったものです。

 さて、源氏の話を聞いた紫の上の返事は、およそ考えられる最も見事な貞女賢婦のものでした。あまりに立派で、読んで面白くないと感じるくらいで、私には、一瞬彼女がさっと白い仮面をかぶったようにさえ感じられます。

 その返事は、源氏もびっくりしてしまうほどで、彼は、ほっとしながら改めて、例によって言葉を尽くして弁解し、まるで子供に話すように慰め諭します。

 そこでまた驚きですが、作者はそれを「たいそうよくお教え申し上げなさる(原文・いとよく教へきこえたまふ)」と言います。この言い方は、源氏の言うことをよしとして言っているように聞こえます。

『評釈』は、紫の上のこういう源氏への素直で鷹揚な態度を「そこには、ちゃんと紫の上の計算があったはずである。…今の場合、紫の上のほうが、役者は一枚上だったようだ」と言いますが、この人にそういう策略めいた振る舞いは不似合いですし、それでは後の彼女の苦悩が不自然になりそうです。

前段で、彼女はこういう話があることを薄々知っていて、「前斎院」とのこと(朝顔の巻第一章第四段)を思い出してもいたわけで、彼女自身そうとはっきりは意識しないままに、内心、自然とある準備が生まれていた、さまざまなシミュレーションをしていた、というようなことがあったのではないでしょうか。あの時も、彼女はその噂を聞いて「普通のことは恨みごとも憎げなく申し上げたりなさるが、心底つらいとお思いなので、顔色にもお出しにならない」という態度だったのでした。

いずれにしても、ここの彼女の言動は、異母姉妹・髭黒の前北の方に通うところのある、自分を平静に保とうする懸命の振る舞いに違いないのです。》

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