【現代語訳】1

 宮は、たいそうお気の毒にお思いになりながら、派手好きなご性格は、何とか立派な婿殿として期待されようと気を張って、何ともいえず素晴らしい香をたきしめなさったご様子は、申し分がない。

お待ち申し上げていらっしゃるところの様子も、まことに素晴らしかった。身体つきは、小柄で華奢などといったふうではなく、ちょうどよいほどに成人していらっしゃるのを、
「どうだろうか。もったいぶって気が強くて、気立ても柔らかいところがなく、高慢な感じであろうか。そんなことだったりしたら、嫌な感じがするだろう」などとお思いになるが、そのようなご様子ではなかったのであろうか、ご愛着はいい加減になどお思いにならなかったのだった。

秋の夜だが、更けてから行かれたからであろうか、まもなく明けてしまった。
 お帰りになっても、対の屋へはすぐにはお渡りなることができず、しばらくお寝みになって、起きてからお手紙をお書きになる。
「ご機嫌が悪くはないようだわ」と御前の人びとがつつき合う。
「対の御方こそお気の毒だこと。どんなに大きなご愛情であっても、自然と引け目を感じてしまうことがきっとあるでしょう」などと、平気でいられず、みな親しくお仕えしている人びとなので、穏やかならず言う者もいて、総じてやはり妬ましいことなのであった。

「お返事も、こちらで」とお思いになったが、

「夜の間の気がかりも、いつもの夜がれと違ってどうかと」と、気にかかるので、急いでお渡りになる。

 

《六の君との婚儀の夜、宮は、どんな女性だろうと半ば案じながら対面したのでしたが、その様子は「秋の夜だが、…まもなく明けてしまった」と間接的に、その不安があっさりと打ち消されたことが、何とも思わせぶりに語られます。

 そして帰って朝寝の後、後朝の手紙を送っておいて、それでもなお、六の宮からの返事を待たないで、「急いで(中の宮のところに)お渡りにな」りました。彼としての中の宮への精一杯の誠意で、侍女たちの心配はそれとして、この人の「派手好きなご性格」の半面の誠実さが現れています。

しかし、ここでは何と言っても、匂宮が「何とか立派な婿殿として期待されようと気を張って(原文・いかでめでたきさまに待ち思はれむ)」と思ったというのが、大きなポイントだと思います。 

もちろんそれは普通の人なら当然の気持ちですが、この人はそういう気遣いをするような人ではなくて、父帝が宮中住まいを求めても意に介せずに里住みを通し(匂兵部卿の巻頭)、「ご自分のお気持ちから生じたのではない結婚などは、おもしろくなくお思い」(同第二段)であったという人であり、またこの結婚は花嫁側が「(匂宮にとっては)たいしてお気に入りでもない結婚」だと思うくらいのものであるのですから、もう少し自由人的な闊達な振る舞いがほしいところだと思うのですが、これではいささか軽い感じで、結局はいい家のいい子に過ぎないのではないかという疑いを免れません。

源氏には、このように他人の慮りを忖度して自分を飾ろうとするようなことはなく、例えばこういう時彼ならもっと誇り高く、あるいはうぬぼれ強く、自分の行動は当然「立派な婿殿として期待され」ることになるに違いないと思って振舞ったことでしょう。葵上との間はうまくいかなかったのですが、それでもこの匂宮のような気持ちであの三条邸に行ったことなど決して無かったに違いありません。

やはり源氏は偉大だったということのようです。

途中、女房の言う「どんなに大きなご愛情であっても…」は、以前あった「浮気なお心癖」(第一章第五段)のことを言っているのであって、たとえ匂宮の愛情があまねく天下に行き渡る太陽の光のようなもので、六の君に愛情が注がれるからと言って、中の宮への愛情がその分少なくなるというわけではないにしても、中の宮としては負けたような気がするだろう」という意味でしょう。彼女たちも、いわば「帝王の愛情」とでもいうべきもの(同)を想定しながら、その時の当該の女性の悲しみもまた理解しているようです。》

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