【現代語訳】

 ここの主人も高貴な方なのであった。娘の尼君は、上達部の北の方だったが、その方がお亡くなりになって後、娘をただ一人大切にお世話して、立派な公達を婿に迎えて大切にしていたけれども、その娘が亡くなってしまったので、情けない、悲しいと思いつめて、髪も下ろして、このような山里に住み始めたのであった。
「せめていつまでも恋いしく思い続けている娘の形見と思いよそえられるような人を見つけたいものだ」と、所在なさも心細いままに思い嘆いていたところに、このように、思いがけない人で、器量や様子も優っているような人を得たので、現実のこととも思われず、不思議な気がしながらも、嬉しいと思う。年は取っているが、とても美しく由ありげで態度も上品である。
 以前の山里よりは、川の音も物やわらかである。家の造りは、風流で、木立も趣があり、前栽なども興趣あり、風流を尽くしている。秋になって行くので、空の様子もしみじみとした中で、家の前の田の稲を刈ろうとして、その土地柄風の真似ごとをしては、若い女たちが、民謡を謡いながらおもしろがっている。引板を鳴らす音もおもしろく、かつて見た東国のことなども思い出されて、あの夕霧の御息所がおいでになった山里よりは、もう少し奥に入って、山の斜面に建ててある家なので、松の木蔭が鬱蒼として、風の音もまことに心細く、することもなく勤行ばかりして、いつとなくひっそりとしている。

 

《「ここの主人」は僧都の母君のことですが、その人を特に「高貴な方」とし、「娘の尼君」も「上達部の北の方」ですから、立場はともかく身分的にはほぼ薫クラスの人の夫人だった人で、そのように設定したのは、浮舟がいい人に救われたのだという形にしようとしているのでしょう。当然のように「とても美しく由ありげで態度も上品」です。

 そういう人が、浮舟を見つけて、亡くなった娘の身代わりに世話をしようと思ったのですが、それがまた「(その娘よりも)器量や様子も優っているような人」だったこともあって、大変な幸運と思って懸命に世話をしてくれます。

 「以前の山里」は宇治のことで、こう書かれると、以下の山里の様子は、浮舟の目を通して語られているような感じになりますが、後の描き方は、そうでもなさそうです。やはり作者の説明でしょうか。

 そこでは、わび住いとは言え、実に落ち着いたのどかな生活が営まれていました。つまり、浮舟としては、大変な幸運に恵まれたのです。

その終わりのあたり、「かつて見た東国のことなども思い出されて」とありますが、後につながりません。『評釈』はここでは句点(。)を振って文を終えていて、「(以下に)何か脱落があると思われるが、諸本すべて同様である」と言います(ただし、『集成』は、読点(、)で区切って、そのまま後に続けています)。

そして突然「あの夕霧の御息所が」と出てきて面食らいますが、そう言えば、かつて夕霧の落葉宮の母が御息所と呼ばれて、この小野に住んでいたことが思い出されます(夕霧の巻頭)。「当時小野と呼ばれた地域はかなり広かったらし」く(『評釈』)、ここは、その御息所が住んでいたところよりも、奥の方と言います。

先に宇治と比べ、ここでまたあの御息所を持ち出したのは、それによって、これまで小野という土地はあったにしても、どことなく妖しげな話であったものを、場面に物語上の有機性を持たせて、リアリテイを確保しようとした、というようなことなのでしょうか。

ところで、ここで『評釈』が興味深い見解を挙げています。実はこの言葉によって、「作者がこの『手習』の巻をかくころには、『夕霧』という巻名は存在し固定していた」というのです。なるほどあの御息所は右大臣夕霧の御息所ではなく、「一条の御息所」だったのですから、ここの「夕霧」は物語の名前と考えざるを得ません。そうすると、各巻の名は物語が進むにつれて順を追ってつけられたのではないかということになり、同書は、それらを作者自身が名づけていったのだと考えているわけです。》

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