【現代語訳】

 夜が明けてゆく様子であるが、帰って行きようもなく、かえって逢わないほうがましであったほどである。
「いったいどうしたらよいのでしょう。ひどくお憎みになっていらっしゃるので、再びお話し申し上げることも難しいでしょうに、ただ一言お声をお聞かせ下さい」と、さまざまに申し上げて困らせるのも煩わしく情けなくて、何もまったくおっしゃることができないでおられるので、
「しまいには、薄気味悪くさえなってしまいます。他にこのような例はありますまい」と、まことに辛いとお思い申し上げて、
「そういうことなら生きていても無駄のようですね。いっそ死んでしまいましょう。生きていたいからこそ、こうしてお逢いもしたのです。今晩限りの命と思うとたいそう辛うございます。少しでもお心を開いて下さるならば、それを引き換えにして命を捨てもしましょうが」と言って、抱いて外へ出るので、しまいにはどうするのだろうと、呆然としていらっしゃる。

 隅の間の屏風を広げて妻戸を押し開けると、渡殿の南の戸の昨夜入った所がまだ開いたままになっているが、まだ夜明け前の暗いころなのであろう、ちらっと拝見しようとの気があるので、格子を静かに引き上げて、
「このように、まことに辛い無情なお仕打ちなので、正気も消え失せてしまいました。少しでも気持ちを落ち着けよとお思いならば、せめて一言かわいそうにとおっしゃって下さい」と脅し申し上げるのを、とんでもないとお思いになって、何かおっしゃろうとなさったが、体が震えて、ほんとうに子供っぽいご様子である。
 夜がどんどん明けて行くので、とても気が急かれて、
「しみじみとした夢語りも申し上げたいのですが、このようにお憎みになっていらっしゃっては。そうは言っても、やがてお思い当たりなさることもございましょう」と言って、気ぜわしく出て行く明けぐれは、秋の空よりも物思いをさせるのである。
「 おきてゆく空も知らねば明けぐれにいづくの露のかかる袖なり

(起きて帰って行く先も分からない明けぐれに、どこから露がかかって袖が濡れるの

でしょう)」
と、袖を引き出して訴え申し上げるので、帰って行くのだろうと、少しほっとなさって、
「 明けぐれの空に憂き身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく

(明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいものです、夢であったと思って済まされ

るように)」
と、力弱くおっしゃる声が、若々しくかわいらしいのを、聞きも果てないようにして出てしまったが、その魂はほんとうに身を離れて後に残った気がする。

 

《柏木は、思いは遂げたものの、まだ宮の気持を聞いていませんし、実は顔もきちんとは見ていないので、このままでは帰るに帰れない気持ですが、一方で夜明けが近づき、人に知られないで返らなくてはなりません。あまりにつらく、ほとんど後悔する気持ちです。

何とか一言を聞こうと、繰り返し嘆願しますが、姫宮は、そういう言葉がただ「煩わしく」、また、わが身が「情けなく」て、さめざめと泣いているばかりで、まったく口を利くことができないでいます。

姫宮は、どうやら柏木のことを考えているのではなかったようなのです。

彼女が正気に返って一番先に考えたのは「院(源氏)にも、今はどうしてお目にかかることができようか」ということで、それを思って「まるで子供のようにお泣きにな」った(前段)のでした。つまり彼女は源氏に叱られるのではないか、ということで胸も頭もいっぱいで、そこには柏木の言葉などの入り込む余地は、とてもありそうにありません。

どうしても一言が聞けない柏木は、とうとう姫宮を抱き上げて外に出ようとします。意外な行動で、姫宮は「どうするのだろうと、呆然として」いますし、読者もどうするつもりかと思いますが、声が聞かせてもらえないなら、せめて明るいところで姿を見たいということのようです。ずいぶん危険な振る舞いですが、柏木も動顛して、本当に「正気も消え失せて」いるのでしょうか。

ここで彼は「渡殿の南の戸の昨夜入った所がまだ開いたままになっている」のを見ます。『集成』はこれを「まだ外の暗いことが察しられる、という文面」と言いますが、それよりもこの時柏木は、自分が昨夜何をしたのかということを、例えば監視カメラの映像を見せられるように見せつけられた思いがしたのではないでしょうか。

彼は、廂の間から妻戸を開けて、明けぐれの薄明かりの中で身を震わせている姫宮の「子供っぽい」様子を見ます。

その間にもどんどん夜明けが近づいて、もう帰るしかありません。ほんの一言言葉が交わせれば、という気持だったのが、思いがけない大変なことをしてしまって、しかもその後の後味の悪さに、心をそこに残したまま、柏木は帰っていきます。

ところで、それぞれに気が動顛しているように見える二人が、それでもなお、別れに歌を詠み交わす、というのは、どうも理解しがたく思われます。

『光る』が、特に女三の宮について「丸谷・一つには、ここで歌を返せば、この男は帰ってくれる、という気持もあるけれども、…こういう時には散文としての日常会話よりも、むしろ和歌の方がまだしも楽なんですね。儀式性にこと寄せて型でいくから口にしやすい」と言いますが、当時の男女はこういう時に本当に歌を詠み交わしたのでしょうか。

例えば江戸歌舞伎の胸の空くような小気味いい啖呵に、現実生活では到底そういう名台詞など思いも及ばない町人が、それを聞いて日ごろの溜飲を下げたと言われるように、こういう時にこういう歌が交わせたら、という、ドラマの中だけのことではなかったか、と思うのですが。》

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