【現代語訳】2

夜はたいそう更けて行く。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが、しみじみと聞こえて、ひっそりと人の少ない宮邸の中の様子を、「こうも変わってしまう世の中だな」と思い続けなさると、平中の真似ではないが、ほんとうに涙が出てしまう。昔に変わって、落ち着いて申し上げなさる一方で、「この隔てをこのままでいられようか」と、引き動かしなさる。
「 年月をなかに隔てて逢坂のさもせきがたく落つる涙か

(年月を隔ててやっと逢えたのに、関があっては堰き止めがたく涙が落ちます)」
 女、
「 涙のみせきとめがたき清水にてゆき逢ふ道ははやく絶えにき

(涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても、お逢いする道はとっくに絶

え果てました)」
などとまったくお受け付けにならないが、昔をお思い出しなさるにつけても、
「誰のせいで、あのような大変なことが起こり世の騷ぎもあったのか、この自分のせいではなかったか」とお思い出しなさるので、

「なるほど、もう一度くらいは会ってもいいことだった」と、ご決心が鈍るのも、もともと重々しい所がおありでなかった方で、この何年かは、あれこれと愛情の問題も分かるようになり、過去を悔やまれて、公事につけ私事につけ、数えきれないほど物思いが重なって、とてもたいそう自重してお過ごしなさって来たのだが、昔が思い出されるご対面に、その当時の事もそう遠くない心地がして、いつまでも気強い態度をおとりになれない。
 昔に変わらず洗練されて、若々しく魅力的で、並々でない世間への遠慮も思慕も思い乱れて、溜息がちでいらっしゃるご様子など、今初めて逢った以上に新鮮で心が動いて、夜が明けて行くのもまことに残念に思われて、お帰りになる気もしない。

 

《源氏は、話しているうちに、だんだん思いが募ってきて、とうとう隔ての障子に手を掛けて「引き動かし」ながら、歌を詠み掛けます。

言い寄られる朧月夜は、次第に源氏の言葉に事態を許す気になっていきます。そして自分で源氏の謫居の原因は自分だったのだからということを口実に、「ご決心が鈍る」のでした。

『光る』がここで、「大野・朧月夜は陽気で、何ごとも悪いと思わない性格です」と言っていますが、「陽気」というのは以前のことで、「世間の事が分かって来た」(第二段)と自ら言う彼女に、ここであのかつての華やかな奔放さを見ようとするのは、少し無理ではないかという気がします。言うなら、あの陽気さのなくなった軽々しさとでも言いましょうか。作者も「もともと重々しい所がおありでなかった」と批判の、というより彼女のための弁解の一言を付け加えます。

『人物論』所収「朱雀皇権の巫女・朧月夜論」(河添房江著)が、朧月夜について、「夕顔をプレテクストする(下敷きとする、というよう意味でしょうか)ような〈遊女性〉」を指摘していますが、彼女生来の派手で軽いところ、つまり好色なところは、ここに至って、花宴の巻で初めて登場してきた時に感じられた若々しく奔放な「無邪気さとあだっぽさ」(第二段2節)とは違った、女性の弱さとしての「遊女性」とでもいったものに変わっているように思われます。

源氏が「スーパーヒーローから、ほんの少し、下界に下りてきた」(第二章第一段)のと同様に、この人も作者の中で変わってきたようです。

と言っても、作者はこの女性を批判しているのではないようです。「昔に変わらず洗練されて…」以下は、障子の内側に入っての源氏の、「案の定だ。やはり、すぐに靡くところは」(前段)と思ったことなどきれいに忘れたような賛嘆の思いを通して、朧月夜の昔に変わらぬ、あるいはそれにも増しての魅力を語っています。》

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