【現代語訳】2

御方もひどく泣いて、
「人より優れた将来のことなど、思ってもいません。物の数にも入らない身には、何ごとも晴れがましく生きがいのあるはずもないとはいうものの、悲しい行き別れの恰好で生死の様子も分からずに終わってしまうことだけが残念です。
 すべてのことは、そうした因縁がおありだった方のためと思われます。そんなふうに山奥に入ってしまわれたなら、人の命ははかないものですから、そのままお亡くなりになったら、何にもなりません」と言って、一晩中しみじみとしたお話をし合って夜をお明かしになる。

「昨日も、大殿の君が、私があちらにいると御覧になっていらっしゃったのに、急にこっそり隠れたようなのも、軽々しく見えましょう。私自身は、何も遠慮することはないのです。このように若宮にお付きになっている女御のためにお気の毒で、思いのままに身を振る舞いにくいのです」と言って、暗いうちにお帰りになった。
「若宮はどうしていらっしゃいますか。どうしたらお目にかかれるでしょうか」と言ってまたも泣く。
「すぐにお目にかかれましょう。女御の君も、とても懐かしくお思い出しになってはお口になさるようです。院も、お話のついでに、もし世の中が思うとおりに行くならば、縁起でもないことを言うようだが、尼君がその時まで生き永らえていらして欲しいと、おっしゃっているようでした。どのようにお考えになってのことなのでしょうか」とおっしゃると、再び笑い顔になって、
「さあ、それだからこそ、喜びも悲しみもまたと例のない運命なのです」と言って喜ぶ。

この文箱を持たせて女御の方の許に参上なさった。

 

《悲しいことは御方も同じです。尼君が、あなたのお蔭で光栄に浴したが、と言った(前節)ので、御方も、自分も今のこの光栄よりも父を失う悲しみが大きいと、口を切ります。

そういう光栄が喜ばしいのは、「そうした因縁がおありだった方」、つまり父がいればこそのもので、喜んでくれる父がいなければ、「何にもなりません」と、嘆きます。

しかし、都にいてはそれもすべて繰り言、二人は手紙を前にただその繰り言や父の思い出話を交わすしかなく、「大殿の君」には伝えずに来たようで、夜が明けてどこに行ったのかと問われるようでは、いかにも軽い振る舞い、御方自身はいいとしても、女御の顔が立ちませんから、源氏が若君を見に来る前に女御の側に帰らなくてはなりません。

ひとりぼっちになる尼君が、また若君に会いたいと泣くので、御方は、源氏が「もし世の中が思うとおりに行くならば」、まためでたい姿を見て貰えようから、長生きをして貰いたいと言っていたことを伝えて慰めます。

御方は、源氏が考えていることを知らぬ態ですが、どうやら、この若君が東宮になることを言っているようです。

「縁起でもないこと(原文・ゆゆしきかね言)」は、尼君の寿命の話をするから(『集成』)とも、帝の位に関わることだから(『評釈』)とも言います。

源氏が心遣いをしてくれていることが分かり、またひ孫のめでたい将来を聞かされて、尼君の気持は一度に晴れるのでした。かつて、大井の邸で姫を六条院に手放すことを躊躇う娘の御方を厳しく説得した(薄雲の巻第一章第二段2節)、あの強く賢明な母の姿は今はなく、すっかりお婆さんになっていて、それを御方が、自分の娘のための勤めとの板挟みになりながら、優しく世話をしている、といった様子です。》

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