【現代語訳】

 対の上のもとでは、いつものようにおいでにならない夜は、遅くまで起きていらっしゃって女房たちに物語などを読ませてお聞きになる。
「このように、世間で例として引き集めた昔語りでも、不誠実な男や色好みな男、二心ある男に関係した女は、このようなことを語り集めた中にも、結局は頼る男に落ち着くようだのに、どうしたことか、きちんとした居場所のないままに過してきたことだ。確かにおっしゃったように、人並み勝れた運勢であったわが身の上だが、世間の人が我慢できず満足ゆかないこととする悩みが身にまといついて終わろうとするのだろうか。つまらないことだ」などと思い続けて、夜が更けてお寝みになった、

その明け方から、お胸をお病みになる。女房たちがご看病申し上げて、
「お知らせ申し上げましょう」と申し上げるが、
「それはいけません」とお制しなさって、苦しいのを我慢して夜を明かしなさった。お身体も熱があって、ご気分もとても悪いが、院がすぐにお帰りにならない間、これこれとも申し上げない。

 女御の御方からお便りがあったので、
「これこれと気分が悪くていらっしゃって」と申し上げなさると、びっくりして、そちらから申し上げなさったので、驚いて急いでお帰りになると、とても苦しそうにしていらっしゃる。
「どのようなご気分ですか」と手をさし入れ申しあげなさると、とても熱っぽくいらっしゃるので、昨日申し上げなさったご用心のことなどをお考え合わせになって、とても恐ろしい気持がなさる。
 御粥などをこちらで差し上げたが、見向きもなさらず、一日中付き添っていらっしゃって、いろいろと介抱なさりお心をお痛めになる。ちょっとした果物でさえ、とても億劫になさって、起き上がりなさることがなくなって、数日が過ぎてしまった。
 どうなるのだろうとご心配になって、御祈祷などを数限りなく始めさせなさる。僧侶を召して、御加持などをおさせになる。どこということもなく、たいそうお苦しみになって、胸が時々発作を起こしてお苦しみになる様子は、我慢できないほど苦しげである。
 さまざまのご謹慎は限りないが、効験も現れない。重態と見えても、たまたま快方に向かう兆しが見えれば期待もできるが、たいそう心細く悲しいと見申し上げていらっしゃって、他の事はお考えになれないので、御賀の騷ぎも静まってしまった。

あちらの院からも、このようにご病気である由をお聞きあそばして、お見舞いを非常に御丁重に、度々申し上げなさる。

 

《とうとう投げられた小石の波紋が広がり始めました。

紫の上が病に倒れたのです。胸の痛みのようですが、病名はともあれ、女三の宮の降嫁がもたらした心労からの、起こるべくして起こったものに違いありません。源氏への知らせは、直接ではなく、たまたま明石の女御が上に便りをしたことから女御の知るところとなって、そこからのものでした。

源氏は飛び上がって、対に帰ってきます。加持祈祷、精進潔斎、彼はあらゆることを試みますが、回復の兆しがありません。

各方面からの見舞いの中に、朱雀院からのものがありました。ここで『評釈』が「その心の底に、紫が死ねば、の気持はなかったろうか」と言います。

それはもしこの物語が現実の話であったなら否定はできないでしょうが、もしそういうふうに考えるなら、源氏でさえも、一瞬そういうことを考えなかったとは言えないでしょう。この物語の中で、この院はひたすら心優しく(ということは、心弱く、ということでもありますが)誠実な人としては描かれて来ていたように思います。

太宰治の『走れメロス』を思い出します。あの小話では、二人の友人同士がお互いに相手に対する一瞬の疑いを抱いたことを作者は些細なこととして葬ります。太宰は、五%の不純があることを取り立てて、残りの純粋を疑ってはならない(疑わないでほしい)ということを、必死で語ろうとしたのです。もしそれをリアリズムで描こうとすれば、大長編が必要だったでしょうが、太宰にはそれは出来ませんでした。ギリシャ・ローマの昔話にすることによって、かろうじてその思いを描くことができたのでした。大岡昇平は『俘虜記』で別の角度からその問題に迫りました。

生身の朱雀院がもし存在したら、「紫が死ねば」と心の隅で考えたでしょう。しかし、この物語では、書かれていない以上、考えなかったのです。もしそう考えたなら、それは、以前書いたことのある「夾雑物」(蛍の巻第三章第二段)なのであって、彼はこの物語の中に登場する資格を失うのです。

物語は現実を生の形で写すのではなくて、作者の考えるある一定の方向性を持って語ります。もし彼がここでそういうことを考えるような人であるなら、かつて源氏を明石から呼び返すことなど考えなかったのではないでしょうか。そういう意味で、彼もまた純粋なキャラクターを与えられて、興味をそそる人物として、物語の中で生きているのです。

それはさておき、紫の上の病という、この新たな波紋は、また次の波紋を自動的に引き起こします。さし当たっては、朱雀院五十の賀の話も消えて、延期となってしまいました。》

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