【現代語訳】2

 このように滞在が長くおなりになって人が多かった名残がなくなってしまうことを悲しむ女房たちは、大変なことのあった時の当面の悲しかった騷ぎよりも、ひっそりとして、ひどく悲しく思われる。
「時々、折節に、風流な感じにお話し交わしなさった年月よりも、こうしてのんびりと過ごしていらっしゃったこの日頃のご様子が、やさしく情け深くて、風流事にも実際面にもよく行き届いたお人柄を、今はもう拝見できなくなったこと」と、一同涙に暮れていた。
 あの宮からは、
「やはり、このように参ることがとても難しいのに困って、近くにお迎え申し上げることを考え始めました」と申し上げなさった。

后の宮がお耳にあそばして、
「中納言もこのように並々ならず悲しみに茫然としているそうだが、それは、なるほど、普通の扱いはできない方と、どなたもお思いなのではあろう」と、お気の毒になって、

「二条院の西の対に迎えなさって、時々お通いになるように」と、内々に申し上げなさったところ、

女一の宮の御方の女房にとお考えになっているのではないか」とお疑いになりながらも、会えないことがなくなるだろうことが嬉しくて、おっしゃって来られたのであった。
「そういうことになったらしい」と、中納言もお聞きになって、
「三条宮邸も完成して、お迎え申し上げることを考えていたが。あのお方の代わりだと思ってお世話すべきだった」などと、昔のことを思って心細い。宮がお疑いになっていたらしいことについては、まことに似つかわしくないことと思い離れていて、

「一般的なご後見は、自分以外に誰ができようか」と、お思いになっていたとか。

 

《二人の貴公子が相次いで帰京してしまって、後に残された宇治では、一時の賑わいが潮の引くように掻き消えて、すっかり寂しくなり、「一同涙に暮れて」います。

「時々、折々に…」の感慨は、大君がいたころは、薫の身の回りは大君が間に入って取り仕切りますが、大君亡きあとは、女房たちが直接薫に接する機会が増えたでしょうから、大君には悪いのですが、女房たちにとっては、その後の方が素晴らしい期間だった、ということなのでしょう。

 そこに突然、匂宮から、中の宮を都の呼び寄せることを考えている、という知らせが入りました。

「后の宮がお耳に…」以下は、そういうことになったいきさつの説明で、中宮がそうすることを勧めたのでした。薫が打ち沈んでいることで、中宮が、宇治の姫たちの素晴らしさを察したことによるアドバイスだったというのは、面白い展開です。

 匂宮は、「女一の宮の御方の女房に」取られてしまって、自由に会えなくなるのではないかと「お疑いになりながらも」、一方で、中の宮を薫に取られるのではないかと案じていた(前段)こともありますから、もちろん話はすんなり進みます。

さて、こうして中の宮がしっかりと匂宮のものになってしまうと、薫は、大君への思いを引きずっていて中の宮に目がいかなかったことを悔いる思いです。いや、それでも後見役だけは譲れないと、改めて思い直す薫です。

「総角」という巻の名は、冒頭近くの歌(第一章第二段)によりますが、そこでは、薫から、総角結びのように結ばれたい、と詠み掛けられた大君が拒絶する返歌をしていて、『光る』に「『総角』という題はずいぶんアイロニカル」だとされたのでしたが、この巻の終わりに至り、大きな悲劇は、大君の悲しい死はあったもの、どうも一件落着、大団円の趣です。『評釈』は「あげまきの糸は結ぼほれ、四人の運命が交錯し、今ようやく落ち着くところに来たらしい」と楽観的に言います。》

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