【現代語訳】
 大将も、
「あれこれと言ってみたが、今は無駄なことだ。宮のお心ではお聞き入れなさることは、難しいことのようだ。御息所が承知済みであったと、世間にはしておこう。仕方のないことだ。亡くなった方に少し思慮が浅かったと罪を着せて、いつからそうなったということもなく、ぼかしてしまおう。今更らしく懸想をして涙を流し尽くして口説いたりするのも、いかにも身につかぬことだろう」と決心なさって、一条邸にお帰りになる予定の日を、何日ごろにと決めて、大和守を呼んで、しかるべき諸式をお命じになり、邸内を掃除し整え、何といっても、女世帯では草深く住んでいらっしゃったのを、磨いたように整備し直して、お気づかいぶりなどは、しかるべきやり方も立派に、壁代、御屏風、御几帳、御座所などまでお気を配りなさり、大和守にお命じになって、あちらの家で急いで準備させなさる。
 その日、自分でいらっしゃって、お車や、御前駆などを差し向けなさる。宮は、どうしても帰るまいとお思いになりおっしゃるのを、女房たちが熱心に説得申し上げ、大和守も、
「まったくご承知するわけにはいきません。心細く悲しいご様子を拝見して心を痛め、これまでのお世話は、できるだけのことはさせていただきました。
 今は、任国の仕事もありまして、下向しなければなりません。お邸内のことも任せられる人もございません。まことに不行届なことで、どうしたものかと心配いたしておりますが、このように万事お世話なさいますのを、なるほど、ご結婚ということを考えてみますと、必ずしも今すぐにそうするのが良いというのではないお身の上ですが、そのように、昔もお心のままにならなかった例は、多くございます。
 あなたお一方だけが、世間の非難をお受けになることでしょうか。とても幼稚なお考えです。気強くお考えでも、女一人のご分別で、ご自分の身の振りをきちんとなさり、お気をつけなさることがどうしてできましょうか。やはり、どなたかが大事にお世話なされるのに支えられて、初めて深いお考えによる立派なご方針も、それによって立てられるものなのです。
 あなた方がよくお教え申し上げなさらないのです。一方では、けしからぬことをも、ご自分たちの判断でかってにお取り計らい申し上げなさって」と、言い続けて、左近の君や、小少将の君を責める。

 

《法要が終わって、夕霧はいよいよ腹を決めました。と言っても無理に結婚を迫るようなことはしないで、彼らしく環境整備から始めます。

宮の説得は無理のようだと見て、まずは、すでに自分たちをそういう目で見ているらしい世間の見方を認める恰好にして、それは御息所の望みで自然とそういう間柄になったのだと思わせるようにしよう、と考えます。

そして宮は、御息所の養生のために一緒に小野に来ていたのですが、その御息所が亡くなった今は、都の一条邸に帰すのが先決です。このままここに住みたいと思っている宮をよそに、彼は自分で帰宅の日取りを決めて大和守に一条邸の手入れを命じます。

さてその移転の当日、帰京を渋る宮の説得に正面から当たったのも、大和守でした。

彼はこれまで法要を取りしきり、一条邸の修理に見事な腕を振るってきたのでしたが、そういわれるだけで、何をしたのか具体的に語られることはありませんでした。

しかしここに至って、その弁舌ぶりが鮮やかに描かれて、夕霧の信頼もなるほどと思わされます。

この「御甥の大和守であった者」(第三章第七段1節)は、宮の従兄(弟)に当たるわけですが、まず宮の躊躇に対して頭から「まったくご承知するわけにはいきません(原文・いとあるまじきことなり)」と全面否定します。次いで、自分がこれまで精一杯の奉仕をしたことを匂わせます。そうしておいて任国に下らなければならないが、後を頼む適当な人がいないと、追いつめます。そしてさらに、宮の考えがどれほど「幼稚」で、女一人がどれほど無力かということを、明解に説いて、最後に「あなた方がよくお教え申し上げなさらない」のがいけないのだと、周囲の女房たちを叱って見せる、という行き届きようです。

女房たちはもちろん帰京を希望しているので「熱心に説得申し上げ」ていたのですが、こう言われれば、その説得に一段と力が入るでしょうし、宮からすれば、もう自分の気持ちを支えてくれる者はないのだという気持になります。

この時、この大和守が、こういうふうに働くことが夕霧の覚えを得て後に自分の利益にかなうと考えていたというふうには読まない方が、この人の人間像を魅力的個性的にするような気がします。》

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