【現代語訳】
「結局捨てて逝っておしまいになったら、この世に少しも生きている気がしない。寿命がもし決まっていて生き永らえたとしても、深い山に紛れ入ってしまうつもりです。ただ、とてもお気の毒に、お残りになる方の御事を心配いたします」と、答えていただこうと思って、あの方の御事におふれになると、顔を隠していらっしゃったお袖を少し離して、
「このようにはかないご縁ではありました、お気持ちの分からないようにお思いになられてしまうのも効がないので、このお残りになる人を、同じようにお思い申し上げてくださいと、それとなく申し上げましたが、その通りにしてくださったらどんなに安心して死ねただろうにと、このことだけが恨めしいことで、思いが残りそうに思われます」とおっしゃるので、
「このようにひどく物思いをする身の上なのでしょうか。何としても、他の人には執着することがありませんでしたので、ご意向にお従い申し上げずになってしまいました。今になって、悔しく心痛む思いがします。けれども、ご心配申し上げなさいますな」などと慰めて、たいそう苦しそうになさるので、修法の阿闍梨たちを召し入れさせて、いろいろな効験のある僧全員して、加持して差し上げさせなさる。ご自分でも仏にお祈りあそばすこと、この上ない。
世の中を特に厭い離れなさいとお勧めになる仏などが、とてもこのようにつらい目にお遭わせになるのだろうか。見ている前で草木が枯れていくようにしてお亡くなりになったのは、何と悲しいことであろうか。引き止める手立てもなく、足摺りもしそうに、人が愚かだと見たりすることも気にしない。
ご臨終と見申し上げなさって、中の宮が自分も一緒にと嘆き悲しみなさる様子ももっともなことである。正気を失ったようにお見えになるのを、いつものように利口ぶった女房連中が、
「もう今は、まことに不吉なこと」と、お引き離し申し上げる。
《薫は何とか大君と話を続けたいと、さらに語りかけます。あなたが死んでしまわれたら、自分は山にこもってしまうつもりだが、そうすると後に一人残る中の宮が心配だ、…。
妹のことを言われると、大君も口を開かずにはいられません。あなたが私の代わりにあの子に思いをかけて下さらないので、私は死んでも死に切れないのです、…。
薫は、今になってみればそうすればよかったのかもしれないとなかば悔いる思いですが、今はともかく「けれども、ご心配申し上げなさいますな」、私が引き受けますと、慰めます。ついさっき言ったこととはずいぶん話が違いますが、この際言葉のつじつまなどはどうでもよく、話ができればいい、大君の心を安らげられさえすればいいという、彼の真心と考えておきます。
そして、重ねて懸命の加持祈祷ですが、薫の言葉を聞いて安心したのか、もはや大君に力は残っておらず、「草木が枯れていくようにしてお亡くなりになっ」てしまいました。
紫の上の場合は「消えてゆく露のような感じがして」亡くなったのでした(御法の巻第二章第二段)から、ここも大変よく似ていると言えるでしょう。
ただ、決定的に違うのは、紫の上の臨終を看取る役を務めたのは主として娘の明石中宮で、源氏はその場にいるにはいたのですが、脇役的だったのに対して、大君は薫に看取られてほとんどその腕の中での臨終だったという点で、言うならばこの二人の愛はその最高潮のところで、そのままに閉じられ、少なくとも大君にとっては完全なままで永遠のものとなったわけです。それは決して本当の意味で幸福なものとは言えないでしょうが、彼女にとっては、自分に可能な唯一にして最善の方法だったということなのでしょう。
大君の死の気配を察したのでしょうか、奥に入っていた中の宮が出てきて、亡骸に取りすがって、自分も一緒に行くのだと悲しむのを、女房たちが、「利口ぶっ」て、縁起でもないとなだめて引き離します。『評釈』は「癪に障る連中である」と我がことのように大変怒っています。》