【現代語訳】

 雪があたりが暗くなるほどに降る日、一日中物思いに沈んで、世間の人が興ざめなものという十二月の月が翳りなく空にかかっているのを、簾を巻き上げて御覧になると、向かいの寺の鐘の音がして、枕をそばだてて、「今日も暮れぬ」と(悲しい気持ちで)、かすかな音を聞いて、
「 おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば

(後れまいと空を行く月が慕われる、いつまでも住むわけではないこの世なので)」
 風がたいそう烈しいので蔀を下ろさせなさるが、四方の山を写して鏡のように見える汀の氷が、月の光にたいそう美しい。

「京の邸のこの上なく磨いたのも、こんなにまではできまい」と思われる。

「ちょっとでも生き返りでもなどなさったら、一緒に語りあえるものを」と思い続けると、胸がいっぱいになる。
「 恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にやあとを消なまし

(恋いわびて死ぬ薬が欲しいゆえに、雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい)」
「半偈を教えたという鬼でもいてくれたら、かこつけて身を投げたい」とお考えになるのは、未練がましい道心であるよ。
 女房たちを近くにお呼び出しになって話などをおさせになる様子などが、まことに理想的でゆったりとして奥ゆかしいのを、見申し上げる女房たちの若い者は心にしみて素晴らしいとお思い申し上げる。年とった者は、ただ口惜しく残念なことを、ますます思う。
「ご病気が重くおなりになったのも、ただあの宮の御事を心外なことと見申し上げなさって、物笑いで辛いとお思いのようでしたが、何といってもあの御方にはこう心配していると知られ申すまいと、ただお胸の内で二人の仲を嘆いていらっしゃるうちに、ちょっとした果物もお口におふれにならず、すっかりお弱りあそばしたようでした。
 表面では何ほども大げさに心配しているようにはお振る舞いあそばさず、お心の底ではこの上なくいろいろとご心配のようでして、故宮のご遺戒にまで背いてしまったことと、本意でなく妹君のお身の上をお悩み続けたのでした」と申し上げて、時々おっしゃったことなどを話し出しては、誰も彼もいつまでも泣きくれている。

 

《薫が大君の容態を聞いて驚いて宇治に来たのは十一月の初めで(第六章第五段)、あれから一か月余りここに籠りきりです。

 都からの弔問客の出入りが終わって、みなが一息ついた後ということでしょうか。一日吹雪いた雪がやんだ夜、一転して冴えわたる冬の月の光の下で、彼は遠く寺の鐘の音を聞きながら今夜も大君を偲んでいます。諸注が、かつて源氏が紫の上と冬の夕暮れを眺めながら「冬の夜の冴えた月に雪の光が照り映えた空」を語る場面(朝顔の巻第三章第二段)を挙げていますが、そこで源氏は「この世の外のことまで思いやられて、おもしろさもあわれさも、尽くされる折り」だと言っていました。薫の「ちょっとでも生き返りなどなさったら」という思いも、そういうところからのものなのでしょう。

 歌の「雪の山」は「ヒマラヤのこと。薬草が多いとされたので、そこには死ぬ薬もあろうから、という含意がある」(『集成』)のだそうです。

 薫は女房たちを呼んで相手をさせます。こういう、いずれ劣らぬ女房たちが傷心の貴公子を囲んでさりげなくしめやかな会話で慰める、という図は、当人たちにとってもさぞかし務め甲斐のある役割だったでしょうし、絵柄としてもたいへん美しく想像できます。

そこでは、若い女房たちは悲しみよりも薫の美しさに見惚れているのですが、中で「年とった者」(例の弁の君でしょうか)が、大君を悼んでプライベートの様子を語ります。彼女から見ると、大君の死はひとえに中の宮の結婚がうまくいかなかったことによるもので、「八の宮の姫として、正式の結婚ではなかったのが一つ、匂宮が通って来なくなったのが二つ。その悩みを、中の宮には見せず、ひとり苦しんだのが病気の原因」と『評釈』は言います。その話を聞いて、若い女房たちも痛ましさにこぞって涙にくれます。

が、大君の死について読者は、それに匹敵することとして、誰も知らないことですが、薫の存在自体があったことを忘れることはできないでしょう。

 彼女にとって薫と一緒にいることは、最大の喜びであったでしょうが、同時にそれがどれほど無常のものであるかということを意識し続けることでもあり、したがって二人の尊厳のために決してそこに溺れないように、おそらく意に反して自らを緊張させ続けなければなりませんでした。そのストレスもまた彼女の心を、そして体を、大きく蝕んだのです。それは、相違点はたくさんあるにしても、やはり『狭き門』のアリサが抱えたものに大変よく似ているように思われます。》

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