【現代語訳】

とても気にくわないとお思いになるが、以前のようには奪い取ったりはなさらない。たいそう念入りに書いて、ちょっと下に置いて歌を口ずさみなさる。声をひそめていらっしゃったが、漏れて聞きつけられる。
「 いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと

(いつお訪ねしたらよいのでしょうか、明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃった言

葉では)
 『上より落つる(どうしたらいいのでしょう)』」とでもお書きになったのであろうか、手紙を包んで、その後も、「いかでよからん(どうしたらよかろう)」などと口ずさんでいらっしゃった。人を召してお渡しになる。

「せめてお返事だけでも見たいものだわ。やはり、本当はどうなのかしら」と、様子を窺いたくお思いになっている。

 日が高くなってから返事を持って参った。紫の濃い紙が素っ気ない感じで、小少将の君がいつものようにお返事申し上げた。以前と変わらず何の甲斐もないと書いて、
「お気の毒なので、あの頂戴したお手紙に手習いをしていらっしゃったのを、こっそり盗みました」とあって、中に破いて入っていたが、「御覧にだけはなったのだ」と、お思いになるだけで嬉しいとは、とても体裁の悪い話である。とりとめもなくお書きになっているのを見ておいきになると、
「 朝夕に泣く音を立つる小野山は絶えぬ涙や音無の滝

(朝な夕なに泣いている小野山では、尽きない涙は音無の滝なのでしょうか)」
とか読むのであろうか、古歌などを心乱れた様子で書いていらっしゃるが、そのご筆跡なども見所がある。
「他人の事などでこのような浮気沙汰に心焦がれているのは、はがゆくもあり、正気の沙汰でもないように見たり聞いたりしていたが、自分の事となると、なるほどまことに我慢できないものであることだ。不思議だ。どうしてこんなにも気がもめることだろう」と反省なさるが、思うにまかせない。

 

《雲居の雁は、手紙を書く夕霧を横目で見ながら、気になって仕方がありません。『評釈』が「大将の浮気もいよいよ本物の相をおびて来、雲居の雁の嫉妬もいつになく内にこもって真剣である」と言います。

確かにそこに言うように、以前御息所からの手紙を隠した時(第三章第二段)は、夕霧はなんとか妻をなだめようとしていましたし、雲居の雁の方も取り上げた手紙のことを翌朝には忘れていたくらいでしたが、ここでは「背を向き合ったまま」(前段)で、不信の気持を抱いたままじっと夫の様子を窺っています。

小野の里から返事が来ました。「日が高くなってから」と言ったのは、待たせたという意味でしょうか。小野は叡山の麓、洛中三条あたりから一里半ほどの所ですから、使者の往復にそのくらいの時間が掛かるのは普通かと思われますから、待ちわびている夕霧の時間の感覚でしょう。

宮からの返事はなく、小侍従からでしたが、気を利かせて、宮の手すざびの紙切れを同封してくれていました。それは夕霧の手紙の端に書いたのをちぎったというなかなか微妙なものではありました。しかし「音無の滝」は、夕霧の手紙の「上より落つる」に対応する言葉のようですから、それからすると少なくとも手紙を最後まで読んでくれたことだけは間違いなく、これまでとは様子が違います。そう思うと夕霧の心はいやが上にも高ぶり、いよいよ恋しい気持が募ります。

「他人の事などで…」という思いは、彼がそれまでいかに堅物を通していたかということを思わせ、あわせて今の思いが本物であることを保証する恰好になっています。すでに第二夫人として惟光の娘がいるのですが、それとは全く異なる存在であるようです。》

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