源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

受身の源氏

第二段 源氏、柏木に皮肉を言う

【現代語訳】

 ご主人の院は、
「寄る年波とともに、酔泣きの癖は止められないものだな。衛門督が目を止めてほほ笑んでいるのは、まことに恥ずかしくなりますよ。そうは言ってももう暫くの間だろう。さかさまには進まない年月だ。老いは逃れることのできないものだよ」と言って視線をお向けになると、誰よりも一段とかしこまって塞ぎ込んで、本当に気分もたいそう悪いので、試楽の素晴らしさも目に入らない気分でいるのだったが、その人をつかまえて、わざと名指しで、酔ったふりをしながらこのようにおっしゃる。

冗談のようであるが、ますます胸にこたえて、杯が回って来るのも頭が痛く思われるので真似事だけでごまかすのをお見咎めになって、杯を持たせたまま何度も無理にお勧めなさるのでいたたまれない思いで困っている様子は、普通の人と違って優雅である。
 すっかり具合が悪くなって我慢できないので、まだ宴も終わらないのにお帰りになったが、そのままひどく苦しくなって、
「いつものようなひどい深酔いをしたのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのであろうか、居心地が悪いと感じていたためか、上気してしまったのだろうか。そんなに怖気づくほどの意気地なしだとは思わなかったが、何とも不甲斐ない有様だった」と自分自身思わずにはいられない。
 一時の酔いの苦しみではなかったのであった。そのまままひどくお病みになる。

 

《さて、問題の箇所です。

式部卿宮や老いた上達部が孫たちの舞を見て涙を流しているのを見て、若者たちは笑っていたのでしょうか。その様子を横で見ていた先ほどまでの大人の態度を一変させて、「酔ったふりをしながら」柏木に、絡みました。

急にどうしたのでしょうか。せっかく柏木のお陰もあって、好い一日になって、今楽しい場だというのに。柏木が恐縮している間は、不快な思いを抑えることができていたけれども、それがいささかでも気を許していい気持ちそうにしているのは断じて許せない、ということなのでしょうか。

今、あなた方は笑っているが、そういうあなた方もすぐに私たちのような老人になるのだ、…。

 源氏は、見ておれ、思い知らせてやる、と言っているわけではありません。ただ、お前たちもいずれ私たちのような思いをすることになるのだ、と言っているに過ぎません。『構想と鑑賞』は「ひどい皮肉」、「明らかな当てこすり」と言いますが、所詮は嫌がらせの域を出ません。前掲の『の論』所収「柏木の生と死」には、石田穣二の次のような説が引用されています。

 「少なくとも言葉の語る所、源氏の立場は全くの受身である。柏木への態度としてみれば、寛容と言うより他ない。より即して言へば、柏木に対する敗者の意識、この意識をうべなう気持がある」云々。

 柏木は、その日源氏の優しく見える対応を受け、おそらく、明らかにお役に立てたという気がして、かろうじて立ち直りかけたところだったのですが、その皮肉とも言えないような自虐的嫌みによって心をずんと刺されました(彼の耳には、いい気になるな、私は結構こたえているのだ、決して忘れないぞ、といったふうにも聞こえたということなのでしょうか)。

 柏木のおびえは、「一面には柏木の小心のためであり、他面では源氏に憎まれては世に立って行けないというほど、源氏が偉大なためである」と言い、「密通そのものはまだよいとして、(柏木にとって)対手がわるかった」と言います。

源氏は、藤壺とのことがあってもなお、表向きは平然として父・帝と対話をしていましたが、もし知られていたら同じようにできたでしょうか。いや、知られないようにするところが源氏の見事さで、その結果父に余計な心痛をかけないで済んだとも言えます。

そうだとすると、若い二人が密通を知られてしまうような未熟者同士だったために、源氏と二人の三人ともが傷つくことになってしまったという点で、「対手がわるかった」というのは、その三人のことということになりそうです。

 宴の席で柏木は追いつめられ、ほうほうの体で家(落葉宮邸であったことが次段でわかります)に帰ったものの、そのまま寝付いてしまったのでした。

 さて、少し長くなりますが、ここで考えてみると、若菜の巻になって物語の展開に大きな変化が生じています。

それは、これまで事件を起こすのは、すべて源氏自身だったのに対して、この巻では、すべての事件が彼以外の別の人によって引き起こされ、源氏はそれに巻き込まれながら、脇で見ていることしかできなくなっている、という点です。

これ以前の事件は、女性関係はもとより、須磨流謫さえ追いつめられていたとは言え、自分で去ることにして、行き場所も自分で決めて行動し、それによって物語が展開してきたのでした。

ところが、若菜の巻では、その冒頭が朱雀院の事情から語り始められているのが象徴的と言えるかも知れませんが、頑なに拒んでいた四十の賀の祝は玉鬘のサプライズによって突破され、女三の宮の降嫁も院の懇願があってこそのことでした。蹴鞠の日の垣間見は猫のいたずらという不可抗力によるものでしたし、柏木の密通も紫の上の看護の隙をつかれて彼の意思の働きようのない状況の下でした。そして悪阻に苦しむ女三の宮を見舞いに来て帰ろうとする源氏に女三の宮が、『光る』が言うところの「これだけいい歌を詠まなければ」、源氏は泊まることもなく、したがって柏木の手紙を見つけてしまうこともなかったはずなのでした。

結局彼がこの二巻で自らの意志でしたことと言えば、女三の宮降嫁の要請に「うん」と言ったことと、この宴席で皮肉を言ったことくらいだけと言ってもいいので、ほとんどが起こったことに追われて対応しているだけです。

その結果、源氏は、自分が若い頃に犯した罪の罰を、そのままの形で引き受けることになりました。彼自身は、今、そのことをそれほどには意識していないようですが、他人の起こす出来事の中で翻弄される姿は、まさにその因果応報が天の摂理であることを如実に現していると言っていいでしょう。

もちろんそれは単に勧善懲悪というような意味ではなくて、人の生はすべてある逃れがたい摂理の中に絡め取られてあるのだ、という恐るべき認識に繋がるものなのです(もっとも逆に、太宰治が抱いた「もしも、あのドスト氏が、罪と罰を…アントニムとして置き並べたものとしたら?」(『人間失格』)という疑問には、別の恐ろしさもありますが、それは別の問題です)。

ともあれ今ここで源氏は、この密通問題を表に出せない以上、柏木にも女三の宮に対しても同じように何もできません。彼はもうすっかり前半生の「錬金術師のようなスーパーヒーロー」(若菜上の巻第二章第一段)ではなくなって、せいぜいこういう嫌みを言って鬱憤を晴らすことしかできない、という事態になっています。
 今、物語を主導しているのは、朱雀院の愚かしさと若い二人のそれぞれの未熟さと至らなさ、つまり人間の弱さなのであって、かつての「スーパーヒーロー」がそれに振り回されているといった事態なのです。》


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第二段 源氏、玉鬘と対面

【現代語訳】

 人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり、尚侍の君とご対面がある。お心の中では、昔をお思い出しになることがさまざまとあったことであろう。
 実に若々しく美しくて、このように四十の御賀などということは、数え違いではないかと思われる様子が、優美で子を持つ親らしくなくいらっしゃるのを、久々に歳月を経て拝見なさるのはとても恥ずかしい思いがするが、やはり際立った隔てもなくお話をお交わしになる。
 幼い君も、とてもかわいらしくていらっしゃる。尚侍の君は、続いて二人もお目にかけたくないとおっしゃったが、大将が、せめてこのような機会に御覧に入れようと言って、二人同じように、振り分け髪の無邪気な直衣姿でいらっしゃる。
「年を取ることも、自分自身では特に気にもならず、ただ昔のままの若々しい様子で、変わることもないのだが、このような孫たちができたことで、きまりの悪いまでに年を取ったことを思い知られる時もあるのですね。
 中納言が早々と子をなしたというのに、仰々しく分け隔てして、まだ見せませんよ。誰より先に私の年を数えて祝ってくださった今日の子の日は、やはりつらく思われます。しばらくは老いを忘れてもいられたでしょうに」と申し上げなさる。

 尚侍の君もすっかり立派に年を重ねて、貫祿まで加わって、素晴らしいご様子でいらっしゃる。
「 若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな

(若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて、お育て下さった元の岩根を祝う今日の子の

日ですこと)」
と、努めて母親らしく申し上げなさる。沈の折敷を四つ用意して、御若菜を御祝儀ばかりに召し上がる。御杯をお取りになって、
「 小松原末のよはいにひかれてや野辺の若菜も年をつむべき

(小松原の将来のある齢にあやかって、野辺の若菜も長生きするでしょう)」
などと詠み交わしなさっているうちに、上達部が大勢南の廂の間にお着きになる。
 式部卿宮は参上しにくくお思いだったが、ご招待があったのに、このように親しい間柄で含みところがあるように取られるのも困るので、日が高くなってからお渡りになった。大将が、得意顔でこのようなご関係ですべて取り仕切っていらっしゃるのも、いかにも癪に障ることのようであるが、御孫の君たちはどちらからも縁続きゆえに、骨身を惜しまず雑用をなさっている。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言をおはじめ申して、相当な方々ばかりが、次々に受け取って献上なさっていた。お杯が下されて、若菜の御羹をお召し上がりになる。御前には、沈の懸盤四つ、御坏類も好ましく現代風に作られていた。

 

《髭黒の左大将は、当然ながら一家でやって来ていました。さっそく玉鬘との対面があります。これも丸二年ぶりです(『集成』は三年ぶりの対面と注していますが、足かけで数えているのでしょうか。『集成』の年立てで玉鬘の出仕は一昨年の春となっています)。

源氏の若々しさは例の通りですが、玉鬘はすでに二児をもうけていて、二人もかわいらしい姿で義父の前に立ちました。

ところが、その時の源氏の挨拶はずいぶんひどいもののように聞こえます。

「私はまだ若いつもりでいるのだが、こうして孫を見せられると、年を自覚するしかないな。息子の夕霧は、ことさら(私を気遣ってだろう)子供を見せに来ないが、あなたにこのように年を数えての祝いをされると、ちょっといやになる。こんな事をしてくれなければ、もうしばらく若いつもりでいられたのに」と、そんな嫌みに聞こえます。

挨拶の場面ですから、大将も同席しているのではないかと思われますが、源氏としては照れ隠しの軽口というような気持なのでしょうか。当の子供もいるのですから、もうちょっと穏やかに言えそうなものだという気がします。『評釈』は玉鬘に対する間接的な慕情の表現と読んでいるようですが…。

続く、「尚侍の君もすっかり立派に年を重ねて」の「も」は、源氏と並べたのではなく、子供二人が立派だということに並べて言ったのでしょう。

その彼女の歌は、源氏の言葉をさらりとかわして、今日はあなたのお孫を見ていただきたつ、連れて来ましたと、「母親」の立場を強調したものでした。「努めて」と言った所以でしょうか。その上でのこういう話の躱し方が、この人を「女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだ」(藤袴の巻末)とする所以なのでしょう。

そう言われると、源氏も引き下がるしかなく、「その子にあやかって私も長生きできよう」と、普通のお祖父さんになるしかないのでした。

この巻の名は、ここの源氏の歌によるとされ、また次の巻も再び若菜が小道具として使われることで、上・下巻とされていることについて『光る』が、「丸谷・男の老いをこれほど華やかに、そして皮肉に言う題は王朝風俗のなかで探してもほかに見あたらない」と言っていて、確かに、考えてみると、老人がもはやかなうはずもない若返りの願いを抱きながら若菜汁をすすっている図は、なかなかにすさまじいものがあります。

ほとんどの巻名は、この後も含めて格別な意味があるようには思われませんが、これと最後の「夢の浮き橋」は、さまざまなことを思わせる名前だという気がします。

ともあれ、源氏が「厳めしい儀式は、昔からお好みにならないご性分であるから、皆ご辞退申し上げなさ」っていた四十の賀が、こうして愛娘の嬉しいわがまま、という形でのサプライズによって強行されて、それが突破口となったのでしょう、彼は後に、紫の上、中宮、そして勅命での賀と、すべての賀を受け入れることになります。》

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