【現代語訳】

 御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになってこの御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。普通の身分の者でさえ今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、ましてお気の毒な御様子に御妃方もお悲しみに暮れていらっしゃる。
 尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらっしゃって、ひどく思いつめておられるのを、慰めかねなさって、
「『子を思ふ道』には限りがあったのだな。このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式は、堪らなく悲しい。
 今日は人の世を悟りきった僧たちなどでさえ涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち全てが、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにではなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違う思いにおなりになるのも、

「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
 帝をおはじめ申して、お見舞いの多いことは、いまさら言うまでもない。

 六条院も、少し御気分がよろしいとお聞き申しあげなさって、参上なさる。御下賜の御封など、みな同じように退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の格式で威儀をお張りにはならない。世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは格別であるが、わざと簡略になさって、例によって仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
 院におかれては、たいそうお待ちかねでお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて元気を出して御対面なさる。格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席をもう一つ設けて、お入れ申し上げなさる。
 お変わりになった御様子を拝見なさると、来し方行く末のことがこもごも湧いて、悲しく涙を止めがたい思いにおなりになるので、すぐには気持ちをお静めになれない。
「故院にお別れ申したころから、世の中が無常に思われていましたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すことになるまで、遅れ申してしまいました心の弱さを、恥ずかしい気がいたすことです。私自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」と、心を静められないお思いでいらっしゃった。

 

《実際の儀式については語られないまま、院は、大きな懸案を済ませて出家しました。ありとあらゆる人々が、世を挙げての悲しみに暮れています。中でも、いろいろなことがありながら、院からの寵愛をずっと受け続けた朧月夜の尚侍は、うち沈んで側を離れずにいます。

これまで源氏のように周囲に賑やかに人の集まるよう様子の描かれたことのなかった朱雀院ですが、それは語る機会がなかっただけで、今この時に当れば「身分の上下の者たち全てが、皆どよめいて泣き悲しむ」ほどに、彼を慕う多くの人々があったのだと、少し安心させられます。

もっとも、院自身は周囲のそういう様子を見ると、「こうしたふうにではなく静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違う思いにおなりに」なります。できることなら、もっとさっぱりと姿を消したかったのですが、周囲の愛惜の思いを見るにつけ、思うのは女三の宮のことです。

院はそのためらいを「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と語ります。朧月夜を慰めようとして言った「『子を思ふ道』には…」という言葉と噛み合いませんが、どちらも本当の思いなのでしょう。

 そういう院の所に、さまざまな人が出家の「お見舞い」に来ます。そしてもちろん源氏も訪れます。「院におかれては、たいそうお待ちかねで」というのが、意味深長です。

ところで、出家というのは、世の中の縁をすべて切って、仏道三昧に入ると、一応理解していますが、実際どういう事態を意味するのか、今ひとつよく分かりません。

例えば藤壺も出家しましたが、その後も、澪標の巻では源氏と一緒になって、今の中宮の入内を画策していましたし、絵合の巻では彼女の御前で梅壺と弘徽殿の女御の絵合わせを催していました。また、明石の入道は、妻子と共に暮らしていましたから、本当に世の中と絶縁するという感じとはほど遠いように思われます。

そうだとすると、藤壺の場合も同様でしたが、書かれてあるように世を挙げて嘆くといった雰囲気であるのは、一体どういう理由によるのでしょうか。

しかし、私たちはとりあえず、なにがしかの心理的な隔絶感があったのだろうと思って読み進めるしかありません。物語は大きな転換点を迎えることになります。》

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