【現代語訳】

 唱歌の人々を御階に召して、美しい声ばかりで歌わせて、返り声に転じて行く。夜が更けて行くにつれて、楽器の調子など、親しみやすく変わって、「青柳」を演奏なさるころに、まったくねぐらの鴬が目を覚ますに違いないほど、大変に素晴らしい。私的な催しの形式になさって、禄などたいそう見事な物を用意なさっていた。

明け方に、尚侍の君はお帰りになる。御贈り物などがあるのだった。
「このように世を捨てたようにして毎日を送っていると、年月のたつのも気づかぬありさまだが、このように齢を数えて祝ってくださるにつけて、心細い気がする。
 時々は、前より年とったかどうか見比べにいらっしゃって下さいよ。このように老人の身の窮屈さから、思うままにお会いできないのも、まことに残念だ」などと申し上げなさって、しんみりとまた情趣深く、思い出しなさることがないでもないから、かえってちょっと顔を見せただけで、このように急いでお帰りになるのを、たいそう堪らなく残念だという思いにおなりなるのだった。
 尚侍の君も、実の親は親子の宿縁とお思い申し上げなさるだけで、世にも珍しく親切であったお気持ちの程を、年月とともに、このようにお身の上が落ち着きなさったにつけても、並々ならずありがたく感謝申し上げなさるのであった。

 

《「楽人などはお召しにならない」と前段にありましたが、「唱歌の人々」は集められていたようで、どういう違いがあるのだろうかと思われますが、ともあれ、楽しい集いの裡に源氏の四十の賀が終わります。

が、ここで『評釈』が「ところが、本当のところ、私たちはこの宴の模様を聞いて最初『おや』と思った」と言います。「なぜなら、前奏『藤裏葉』の巻の…『朝廷をお始め申して、大変な世を挙げてのご準備である』という予告(第三章第一段)から、さぞかし盛大な宴が催されるであろうという期待していた私たちだった」。しかし実際はそういう華やかさはまったくなく、内容は充実していたとはいえ、内輪のお祝いで終わりました。

確かに、あれだけの準備がされていたのですから、いくら「厳めしい儀式は、昔からお嫌いなご性分」(第五章第一段)であったにしても(実はこれまであまりそういう感じはしないのですが)、また「朱雀院の御病気」(同第二段)のことがあるにしても、それだけの理由で直前になって朝廷からのお祝いの話がまったく取りやめになってしまったというのは、確かに少し意外ではあります。

しかし逆にそれによって、源氏の謙虚さが現れるとも言えるでしょう。と言うよりも、作者は実はそのことを言いたかったのかもしれません。それでも、公的祝いがあったのにまさるとも劣らない祝いができたのだ、と源氏を讃えることになったわけです。

「私的な催しの形式になさって、禄など…」とは、縮小したように聞こえますが、実は「準太上天皇としては規定があって、自由にならないからである」(『集成』)と言いますから、逆に、規定を越えた禄などが与えられたという意味のようで、結局あくまでも源氏の権勢を引き立てる形で宴は終わります。

玉鬘が、源氏に感謝の意を抱きなが帰っていきます。源氏はいまだに心を残しているようでが、しかし、事態は、玉鬘の問題ではない方に展開します。彼女も、ここではまだ定かではありませんが、実は若菜上下巻の物語上の方向性を暗示するという大役(それは若菜下の巻の終わり間近でふり返って触れることにします)を務めて、舞台から下がっていきます。》

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