【現代語訳】

 こうして後は、二条院に気安くお渡りになれない。軽々しいご身分でないので、お考えのままに昼間の時間もお出になることができないので、そのまま同じ六条院の南の町に、長年そうだったようにお住みになって、暮れると、再びこの君を避けてあちらへお渡りになることもできないなどして、待ち遠しい時々があるが、
「このようなことになるとは思っていたが、当面すると、こんなにまでまるっきり変わってしまうものであろうか。なるほど、思慮深い人なら、物の数にも入らない身分で結婚すべきではなかったのだ」と、繰り返し山里を出て来た当座のことなど、現実とも思われず悔しく悲しいので、
「やはり何とかしてこっそりと帰ってしまおう。すっかり縁を切るというのでなくとも、暫く気を休めたいものだ。憎らしそうに振る舞ったら、嫌なことであろうけれど」などと、胸一つに思いあまって、恥ずかしいが、中納言殿に手紙を差し上げなさる。
「先日の御事は、阿闍梨が伝えてくれたので、詳しくお聞きしました。このようなご親切の名残が続いておりませんでしたら、どんなにか故人がおいたわしいことかと存じられますにつけても、深く感謝申し上げております。できますことなら、親しくお礼をも」と申し上げなさった。
 陸奥紙に、気取ったふうもなくきちんとお書きになっているのが、実に美しい。宮のご命日に、例の法事をとても尊くおさせになったのを、喜んでいらっしゃる様子が、仰々しくはないが、言葉通りにお分かりになるようである。

いつもは、こちらから差し上げる手紙へのお返事でさえ、遠慮されることのようにお思いになって、てきぱきともお書きにならないのに、「親しくお礼をも」とまでおっしゃったのが、珍しく嬉しいので、心ときめく思いもするであろう。
 宮が新しい方に関心を寄せていらっしゃる時なので、疎かにお扱いになっていたのも、とてもおいたわしく思われるので、たいそう気の毒になって、格別な趣のあるわけではないお手紙を、下にも置かず、繰り返し繰り返し御覧になっていた。お返事は、
「承知いたしました。先日は、修行者のような恰好で、わざとこっそり参りましたが、そのように考えます事情がございましたときですので。『名残り』とおっしゃるのは、私の気持ちが少し薄くなったようだからかと、恨めしく存じられます。何もかも伺いましてから。あなかしこ」と、きまじめに、白い色紙でごわごわとしたのに書いてある。

 

《薫が、身近な女房に憂さを晴らし、匂宮が六の君に、立場上が半分、実際に惹かれる気持ち半分で(いや、もう少しこちらの比率が高いでしょうか)、すっかり通い詰めで、二条院に顔を見せなくなっているころ、中の宮はひとり寂しいもの思いに暮れていました。

 彼女は、「待ち遠しい時々がある」のですが、夫の心変わりを恨むより先に、身の拙さを顧みずのこのこと都などへ出てきた自分が悪かったのだと、「悔しく悲し」く思っています。

そして、こういう暮らしを続けるよりは、むしろ宇治に帰ってしまいたいという気持ちが強くなって来ました。それも、「すっかり縁を切るというのでなくとも、暫く気を休めたい」のだと、大変に抑制的で、このあたりもこの人の人柄を偲ばせます。

さて、そう考えても、もちろん彼女ひとりでそんなことができるわけはありませんから、薫に相談しようと、「先日の御事」(父宮の命日の供養をしてくれたこと・第二章第八段)のお礼が言いたいということを口実に、おいでいただきたいと手紙を送りました。

 こうした、匂宮や六の君を恨むではなく黙って自分の気持ちを整理しようという彼女の考え方や、薫への手紙の、その悲しみの片端も見せずにお礼を言うためとして、「(事務的な時に使う)陸奥紙に、気取ったふうもなくきちんとお書きになっている」という冷静な姿勢は、この人の清純で賢明な人柄を大変よく示していて、実に好ましく思えます。

 薫は、こちらから手紙を出した時でさえ「てきぱきともお書きにならないのに」、今回は自分の方から、それも「親しくお礼を」言いたいという手紙で、すっかり嬉しくなって「下にも置かず、繰り返し繰り返し」眺めるといった有様です。匂宮の中の宮のところへの訪れが途絶えがちであることは、すでに薫の耳にも入っていたようで、それに心を傷めていた薫には、どうやら彼自身の知らないところで、彼の中にかねて無いではなかった気持ち(第二章第三段)が、次第に形をとって芽生えているようです。

 彼は、「『名残り』とおっしゃるのは、…」と、儀礼とも本気とも思われる言葉でたわむれながら、一応は「きまじめ」な返事を送りました。》

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