【現代語訳】

 殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにつけても、
「つらい土地であることだ。鬼などが住んでいるのだろうか。どうして今までそのような所に置いておいたのだろう。思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」と思うにつけても、自分の迂闊で世慣れしない心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。

御病気いらっしゃる折に、このような事件でご困惑なさっているのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
 宮の御方にもお渡りにならず、
「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。

生前の姿形がまことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
「生きていた時には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れず、このような事につけて、ひどく物思いをする運命だったことだ。世間の人と異なって道心を志した身が、思いの外に、このように普通の人のようなままでずっと過ごしているのを、仏なども憎いと御覧になるのだろうか。人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」と思い続けなさりながら、ひたすら勤行をなさる。

 

《薫は、使いの大夫から話を聞いて、まずは改めて浮舟のあまりにあっけない生涯を悲しみます。

 そして次に、普通ならもう少し具体的な事情を知りたいと思いそうなところだと思うのですが、彼は「つらい土地であることだ」と、運命論的な方に思いを致します。「世を宇治山と人は言ふなり」(『古今集』983)の歌を意識しての言葉で、彼はここですでに大君を亡くし、今また浮舟を亡くしたことで、自分とこの宇治の地の不幸なかかわりを思うのです。大君を失ったこの地に浮舟を置いたというのは何という迂闊か、というのが、彼の嘆きです。

 こういう感じ方を『評釈』は「おそらく、薫は浮舟に対して根本的な愛情を持っていないのであろう。…宇治の姫君の身代わりとして、宇治においておこう、というのは、浮舟をおもちゃとして扱っていることだ」と厳しく言いますが、「根本的な愛情」などという近代的な愛情観は当時普通には考えられなかったことなのではないかという気がする、ということは以前書きました(浮舟の巻第六章第四段)。 

 『評釈』の言うところに従えば「形代としての愛情」に過ぎないということになるでしょうか、しかし、そういう愛情の底に細いながら一筋流れる思いやりや慈しみの気持が「根本的な愛情」とは違うものだというような見方は、当時はなかったものではないかという気がするのです。

 源氏と紫の上の間にあった愛情は、当時の人の考えうる愛情の最上のあり方だったのではないかと思われますが、それでも特に晩年においては、紫の上にとっては源氏の身勝手に対する従属の関係を免れず、苦しみでしかありませんでした。そしてそれでさえ今の作者にとってはお伽噺になっているでしょう。

 今、薫は、ひたすら誠実に自分を責めます。そしてついには、これは、自分の仏道精進のために仏がお与えになった試練なのではないかとさえ考えて、「ひたすら勤行をなさる」のですが、それを作者は好しとしているのであって、少なくとも、そんなこの男は「根本的な愛情」を持ってはいなかったのだと語っているのでは、決してないように思われます。

 そしてさらに言えば、こういう源氏や薫の愛情を当時における「根本的な愛情」ではないというのであれば、匂宮の愛情はいわば愛欲に過ぎないのですから、すべては男のエゴイズムによる女の悲劇ということになってしまって、この物語は愛の物語としての存立基盤を失うことになるのではないでしょうか。

 さて、分を越えた大言壮語は措いてお話しに戻りますと、薫のひたすら勤行する姿は、紫の上を失った嘆きに沈む源氏の姿に重なります。もちろん多くは年齢によるであろう、彼の未熟感は覆うべくもありませんが。》

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