【現代語訳】

 昨日今日と全然お召し上がりにならなかった食事を、少々はお召し上がりになったりなどしていらっしゃる。
「昔からあなたへの愛情が並大抵でなかったことは、大臣がひどいお扱いをなさったために世間から愚かな男だとの評判を受けましたが、堪えがたいところを我慢して、あちらこちらが進んで申し込まれた縁談をたくさん聞き流して来た態度は、女性でさえそれほどの人はいまいと、世間の人も男らしくないと言ったものです。
 今思うにつけても、どうしてそうであったのかと、自分ながらも昔も浮ついたところがなかったと思われますが、今は、このようにお憎みになってもお見捨てになることのできない子供たちが、とても辺りせましと増えたので、あなたのお気持ち一つで出てお行きになることはできません。また、まあ見ていてくださいよ。寿命とは分からないのがこの世の常ですが」と言って、お泣きになったりすることもある。女君も往時をお思い出しになると、
「胸を打つほどに又となく仲睦まじかった二人の仲は、何と言っても前世の約束が深かったのだな」と、お思い出しなさる。

皺になったお召し物をお脱ぎになって、新調の素晴らしいのを重ねて香をたきしめなさり、立派に身繕いし化粧してお出かけになるのを、灯火の光で見送って、堪えがたく涙が込み上げて来るので、脱ぎ置きなさった単衣の袖を引き寄せなさって、
「 馴るる身をうらむるよりは松島のあまの衣に裁ちやかへまし

(長年連れ添って古びたこの身を恨むよりも、いっそ尼衣に着替えてしまおうかしら)
 やはり俗世の人のままでは、生きて行くことができないわ」と、独り言としておっしゃるのを、立ち止まって、
「何とも嫌なお心ですね。
  松島のあまの濡れ衣なれぬとてぬぎかへつてふ名を立ためやは

(いくら長年連れ添ったからといって、私を見限って尼になったという噂が立ってよ

いものでしょうか)」
 急いでいて、とても平凡な歌であることよ。

 

《「すねたお嬢様」と言いましたが、昨日から食事も喉を通らなかったということですから、彼女としては大まじめです。もっとも、それがまたかわいいという気がしますし、夫の言葉に機嫌を直して、その夫の前で「少々はお召し上がりになったりなど」したというのも、彼女らしい割り切りと言えるでしょう。

夫もまたそういう妻になお言葉をかけてやらねばと思ったらしく、食べている(?)妻に、当然彼女もよく知っているはずの昔のいきさつを、改めて語ります。それしても話しながら「お泣きになったりする」こともあったというのは、さっきまでのからかっているようなやり取りとあまりにうって変わったありようです。

一方、また妻は、二日間も食事も喉を通らないほどに悲しんで待っていたというのに、その話に「胸を打つほどに又となく仲睦まじかった何と言っても前世の約束が深かったのだな(原文・あはれにもありがたかりし御仲のさすがに契り深かりけるかな)」と思い返したというのですから、人の好さも極まったというものでしょう。天真爛漫、根っからのいい人なのです。

夕霧はそういう彼女の前で、これまた驚いたことに、落葉宮の所に行く身支度して出かけようとします。さすがに彼女も黙って見送ることは出来ませんから、怨みの歌を詠み掛けるのですが、夫が脱ぎ捨てた衣をそっと引き寄せながら、独り言として、というのが、また絵になる姿で、読む者の心を打ちます。

このように相手がいじらしく本当に切ない思いを語っていると思われた時、源氏の場合は、その気持をしっかり受けとめて出かけることをやめたこともあったのでした(紅葉賀の巻第三章第四段2節、若菜下の巻第九章第四段など)が、この人にはそういうデリカシイはないようです。

自分の思い立った方向に向かって、そそくさと進んでいくだけです、形ばかりに「とても平凡な歌」を残して…。どうも、なんとも実務的な人です。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ