[第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る]
【現代語訳】1

 月は翳りなく澄みわたって、霧にも遮られずに光が差し込んでいる。浅い造りの廂の軒は、奥行きもない感じがするので、月の顔と向かい合っているようで妙にきまり悪くて、顔を隠していらっしゃる振る舞いなど、言いようもなく優美でいらっしゃる。
 亡き君のお話も少し申し上げて、当たり障りのない穏やかな話を申し上げなさる。それでもやはり、あの故人ほどに思って下さらないのを、恨めしそうにお恨み申し上げなさる。お心の中でも、
「かの亡き君は位などもまだ十分ではなかったのに、誰も彼もがご賛成だったので、自然と成り行きに従って結婚したのだが、それでさえ冷淡になって行ったお心の有様、ましてこのようなとんでもないことに、まったくの他人というわけでさえなくて、大殿などがお聞きになってどうお思いになることか。世間一般の非難は言うまでもなく、父の院におかれてもどのようにお聞きあそばしお思いになることだろうか」などと、ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさると、とても残念で、自分ひとりがこのように気強く思っても、世間の人の噂はどうだろうか、母御息所がご存知でないのも罪深い気がするし、このようにお聞きになって、考えのないことだとお思いになりおっしゃろうことが辛いので、
「せめて夜を明かさずにお帰り下さい」と、せき立て申し上げなさるより他ない。
「驚いたことですね。意味ありげに踏み分けて帰る朝露が変に思うでしょうよ。やはり、それならばお分かり下さい。愚かな姿をお見せ申して、うまく言いくるめて帰したとお見限りなさるようなら、その時はこの心も収めることができず、今までにした事もない、不埒な料簡を起こすことになりそうに存じられます」と言って、とても後々が気がかりで中途半端な逢瀬であったが、いきなり色めいた態度に出ることはほんとうに馴れていないお人柄なので、

「お気の毒で、ご自身でも見下げたくならないか」などとお思いになって、どちらにとっても、人目につきにくい時分の霧に紛れてお帰りになるのだが、心も上の空である。

《夕霧の不器用さに比べて、宮はどこまでも「優美」です。それを理解しない夕霧ではありませんし、根が生真面目な人ですから、相手が拒否している以上、無体なことはしません。しばらく「当たり障りのない穏やかな話」をするのですが、しかしその話題が「亡き君」柏木であるのは、どうもあまり適当ではないのではないでしょうか。

宮は、その話から、みなが許したその柏木との結婚でさえうまくいかなかったのに、義理の妹(雲居の雁)の夫と結ばれるようなことになったら、「大殿」(柏木と雲居の雁の父)が一体どう思われることか、そして父院は、などと「ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさる」ということになって、ますます辛い気持になってしまいました。

彼女は意を決して、夜が明けないうちにお帰りを、と頼みます。

夕霧は、「ほんとうに馴れていないお人柄なので」、自分の切ない望みを口にするとまるで脅迫まがいの恨み言になってしまいます。その一方、これ以上のことをすれば後々の宮への印象が悪くなるのではないかというような気もして心乱れ、すごすごと深い霧の中を帰っていくことになりますが、「心も上の空」です。

何度も言いますが、彼は生真面目な人なのです。生真面目な人の厄介さと滑稽さ…。

そう言えば、かつて私の職場の先輩に酒が入ると口が悪くなる熱血の人があって、宴会で議論が始まると、決まって出る警句がありました。曰く、「だらが本気になるとはたが迷惑する(愚か者が本気になって何かを始めると、周囲が迷惑することが起こる)」。》

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