巻三十七 横笛 光る源氏の准太上天皇時代四十九歳春から秋までの物語

第一章 光る源氏の物語 薫成長の物語

第一段 柏木一周忌の法要

第二段 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る

第三段 若君、竹の子を噛る

第二章 夕霧の物語(一) 柏木遺愛の笛

第一段 夕霧、一条宮邸を訪問

第二段 柏木遺愛の琴を弾く

第三段 夕霧、想夫恋を弾く

第四段 御息所、夕霧に横笛を贈る

第五段 帰宅して、故人を想う

第六段 夢に柏木現れ出る

第三章 夕霧の物語(二) 匂宮と薫

第一段 夕霧、六条院を訪問

第二段 夕霧、薫をしみじみと見る

第三段 夕霧、源氏と対話す

第四段 笛を源氏に預ける


【現代語訳】

 故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを、いつまでも残念なことに思い、恋いお偲びになる方が多かった。六条院におかれても、特別の関係がなくてさえ世間に人望のある人が亡くなるのは惜しみなさるご性分で、なおのことこの人は、朝夕に親しくいつも参上していて、人よりもお心を掛けていらっしゃったので、どうにもけしからぬとお思い出しになることはありながら、哀悼の気持ちは強く、何かにつけてお思い出しになる。
 一周忌にも、誦経などを特別におさせになる。

何事も知らぬげに幼い子のご様子を御覧になるにつけても、何といってもたいそう不憫なので、心中さらに願をお立てになって、黄金百両を別にお布施なさるのであった。父大臣は、事情も知らないで恐縮してお礼を申し上げさせなさる。
 大将の君もお布施をたくさんなさり、ご自身も熱心に法要のお世話をなさる。あの一条宮をも、一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる。兄弟の君たちよりもまさるお気持ちのほどを、とてもこんなにまでとはお思い申さなかったと、大臣や母上もお喜び申し上げなさる。亡くなった後にも世間の評判の高くていらっしゃったことが分かるので、ひどく残念がり、いつまでも恋い焦がれなさることは、限りがない。


《巻の名は、第二章第四段の歌に依ります。

 話は、前の巻の続きで、源氏は、相変わらず柏木を悼む気持で「何かにつけてお思い出しになる」と言いますが、そう言われると、彼は、女三の宮については、折々かなりひどい嫌みを言うほどではあっても、柏木については、結局「どうにもけしからぬとお思い出しになることはありながら」という程度にしか考えていないように見えて、あの朱雀院五十の賀の試楽の後の柏木の「お許しなさらないお気持ちの様子に御目差しを拝見致しまして」(柏木の巻第三章第三段1節)というのは、柏木の気のせいだったのだろうか、という気に、またしてもなります。あるいは、「死にし子、顔よかりき」(『土佐日記』二月四日)ということなのでしょうか。

 一周忌の法要の布施にも、「黄金百両を別に」(『評釈』は「これは、この赤児からのもの、と心中ひとり思って」と言います)寄進するのでした。同書は「いま百万円ほどにあたろうか」と添えます。

 源氏だけではありません、夕霧も何かと供養をし、彼はまた、落葉宮にも、彼女の兄弟以上に「一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる」のでした。

柏木の両親は、そういう二人の振る舞いの意味を十分には知らないままに(源氏の方はともかく、普通に考えれば、息子の未亡人に夕霧のような男性がそのようにすることがどういうことを招くかということを先に考えそうなものですが、それはそれでよいと考えるのでしょうか)、柏木の人徳なのだと思うのでしょう、改めて立派だった息子を「恋い焦がれなさる」のでした。

夕霧の「ご自身も熱心に」のところ、原文は「とりもちてねんごろに」です。「とりもちて」の意味は『辞典』には「②物を大切にして行う、③一つことを重大と思って、かかりきる」などがありますが、「ご自身も」(諸注、そう訳しています)となるのがよく分かりません。》

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