【現代語訳】

 あの弟御の童をお供として連れておいでになっていた。他の兄弟たちよりは器量もよく見えるその子を呼び出しなさって、
「この子がその人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。お手紙をちょっとお書きください。誰それがということではなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」とおっしゃると、
「拙僧は、この案内役になってきっと罪障を負いましょう。事情は詳しくお話しいたしました。今は、ご自身でお立ち寄りあそばしてしかるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」と申し上げなさると、にっこりして、
「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。私は、在俗の姿で今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。
 幼い時から、出家を願う気持ちは強くありましたが、母三条宮が心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、俗事にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごしますうちには、また断れない事も次々と多く加わって過ごしておりますが、公私ともに止むを得ない事情によってこうしていますものの、それ以外のところでは、仏がお制止になる筋のことを少しでも聞き及んでいることは何とか守り抜こうと、身を慎んで、心の中は聖に負けませんのに、ましてや、ちょっとしたことで重い罪障を負うようなことなどは、どうして考えましょうか。まったく有りえないことです。お疑いなさいますな。ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというだけで、きっと嬉しく気が休まりましょう」などと、昔から深かった道心をお話しなさる。
 僧都も、なるほどと、うなずいて、
「ますます尊いことです」などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、
「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」と、思いあぐねてお帰りになるときに、この弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。

 

《薫は、帰ることにはしたものの、帰り際に、「別の道を案出した」(『評釈』)ということのようです。

 連れてきていた浮舟の弟を僧都に見せて、あなたが案内できないのなら、この子に手紙を持って行かせたい、ちょっと手紙を書いてくれないか、と言い出しました。

 しかし僧都は、それでも出家の身の自分がそういう男女のことに関わることはできないと、断り、一方で「今は、ご自身でお立ち寄りあそば」すのに「何の差支えがございましょう」と言うのですが、これがちょっとよく分かりません。

『講座』所収「横川僧都の消息」は、戒を冒しての、正当ではない出家だった(第一段)のだから、もう「その夫の資格で」立ち寄るのは構わないと言っているのだと言います。しかしそれなら、前段ですでにそれは言えたことだったでしょう。

僧都は、浮舟の心が乱れることを気にして薫を案内するのを見合わせたはずで、ここのように、自分の罪障になるから案内できないが勝手に行くのは構わないというのでは、ひとえに彼女のために戒を冒してまでも出家させた彼らしくなく、初めに描かれていた高徳の相貌とはずいぶん異なる考え方ではないかと思われます。

結局、薫のような人がそこまで言うのなら、自分などではもはや止めることはできない、ということで、ただ少なくとも自分が手引きをすることはしないでおきたい、ということのように見えます。

 一方、では薫はなぜ自分では行かれないのかと言えば…、じつはそこのところは語られていませんが、確かに薫のような人がいきなり乗り込んでいくのはいかにも唐突で、匂宮ならやったかも知れませんが、手順を踏んでなるべく穏やかに自然に事を運ぼうとする薫のやりかたではないとは言えそうです。

 ともあれ、彼は何とか僧都の手紙を得たいと、まず僧都の疑念を晴らすために語ります。

私は「幼い時から、出家を願う気持ちは強く」あり、ただ諸般の事情でそれができないで来ただけで、普段から仏の戒めを守り「身を慎んでいて」、気持ちとしては「心の中は聖(修行に専念する私度僧・『集成』)に負け」ないつもりでいるくらいだから、決して色恋を引きずってあの人に会いたいのではない、ただただ母親に様子を伝えてやりたいだけなのだ、…。

 話を聞いて僧都は感心しました。そこで手紙を書いた、というのなら、話は簡単ですが、しかし、それでも手紙を書こうとは言いませんでした。そうこうしているうちに「日が暮れてしまっ」て、薫は、今日は本当に帰るしかないと、腰を上げます。

 その時になって、ちょっと変なのですが、初めて僧都は薫の後ろにいた(であろう)童を見たようです。僧都は思わず(でしょうか)その子を誉めました。そして、…。》

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