【現代語訳】

 女君は、宮の恨めしさなどは口に出して申し上げなさるべきことでもないので、ただ「世やは憂き(自分のせいでつらい思いをしているのだ)」などというように思わせて、言葉少なに紛らわしては、山里にほんのちょっとお連れくださいとのお思いで、たいそう熱心に申し上げなさる。
「それだけは、私の一存ではお世話できないことです。やはり宮にただ素直にお話し申し上げなさって、あの方のご意向に従うのがよいことです。そうでなかったら、少しの行き違いが生じても、軽率だなどとお考えになるだろうから、大変具合の悪いことになりましょう。そういうことさえなければ、道中のお送りや迎えも、私自身でお世話申しても何の遠慮がございましょう。安心で人と違った性分は、宮もみなご存知でいらっしゃいました」 などと言いながら、時々は、過ぎ去った昔の悔しさが忘れる折もなく、「ものにもがなや(昔のままの自分でありたい)」と取り戻したいと、ほのめかしては、だんだん暗くなって行くまでおいでになるので、とてもわずらわしくなって、
「それでは、気分も悪くなるばかりですので、また楽になりました折に、何ごとも」と言って、お入りになってしまう様子であるのが、とても残念なので、
「それにしても、いつごろにお立ちになるつもりですか。たいそう茂っていた道の草も、少し刈り払わせましょう」と機嫌を取って申し上げなさると、少し奥に入りかけて、
「今月は終わってしまいそうなので、来月の初め頃にも、と思っております。ただ、ごく人目に立たないのがよいでしょう。何も、夫の許可など仰々しくて」とおっしゃる声が、

「何ともかわいらしいことだ」と、いつもより亡き大君が思い出されるので、堪えきれないで、寄り掛かっていらっしゃった柱の側の簾の下から、そっと手を伸ばして、お袖を捉えた。

 

《中の宮は薫に対して匂宮への不満や嘆きは口にせず、ひとえに「自分のせいでつらい思いをしている」ので、一度宇治を訪ねたいというように話した、というのですが、どういうふうに言っても、宇治に行きたいというのは、ここの生活が面白くないからということになりそうで、匂宮と六の君のことに触れないでそういうことを頼むのは簡単ではなさそうに思えます。

逆に、匂宮に関わらないことなら、匂宮に頼めば済む話ですから、これを薫が引き受けるのは、なかなかの難題です。「ほんのちょっと」という言葉に、万事をゆだねたというところでしょうか。

ともあれ薫としては、願ってもない嬉しい話ですが、とりあえずは断らざるを得ません。

しかし、単に断ってしまっては、話は以上終わりとなってしまいます。せっかくの機会に、今の薫の心境からはそれでは済ましたくない気がしますから、宇治の話のついでに、昔のように親しいお付き合いをしたいと「ほのめかし」ながら、暗くなるまで居座って何となくの話を続けます。

中の宮は女房たちの目もあることで、心配になって来ました。そこで、体調を理由に、今日はここまでで、と奥に引き下がろうとします。

慌てた薫は、「いつごろにお立ちになるつもりですか。たいそう茂っていた道の草も、少し刈り払わせましょう」と、うまい口実で何とか話を継ごうとします。『評釈』は「口から出まかせに」言ったのだと言いますが、それでは薫に少々かわいそうで、彼としては取りすがるような思いなのだと読みたいところです。

 すると中の宮も、急に寄り縋る希望が湧いて来たという気持ちでしょうか、「来月の初め頃にも」と、ずいぶん具体的で、しかも差し迫った希望を告げます。何か、こちらの方が思わず口を突いて出た言葉のように思われます。

が、薫もその言い方に、彼女の切実な思いを感じたのでしょうか、「何ともかわいらしいことだ」と、いとおしく心惹かれて(と言うのでは足りないくらいに、一瞬に心を鷲づかみにされたといった具合で)、思わず(なのでしょうか)「簾の下から、そっと手を伸ばして、お袖を捉え」てしまいます。》

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