【現代語訳】

 入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道については耳をお貸しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを今でもお気にかけていらっしゃって、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
 対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時を見てしまわないうちに、自分から世を捨てたい」と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。

今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略な扱いだとお耳になさることがあったら具合が悪いので、お通いになることがだんだんと同等になって行く。
 当然なこと、無理もないこととは思いながらも、やはりそうであったのかと身に沁みて、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。

東宮のすぐ下の女一の宮をこちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気を紛らしていらっしゃるのだった。どの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。

 夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
 右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
 姫宮だけが同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。

 

《ここに至って六条院には大きな変化が生まれました。それははっきりと目に見えるものではありませんが、時の流れをともなった、動かし難い変化です。

入道の帝・朱雀院はすっぱりと俗世から離れて仏道修行に専念しておられますが、ただ女三の宮のことだけは心から離れず、源氏に託してありながら、なお息子の今上帝にも、よろしくよろしくとお願いしておられます。その結果なのでしょう、姫宮は「二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す」ということになりました。

また、前章で見てきたように明石一族も帝の権勢の中に組み込まれて、世にもてはやされています。

それに比べて紫の上は、年とともに自分の立場の弱さを感じるようになってきました。彼女には帝との繋がりが無く、考えてみればひとえに源氏の愛情だけが頼りですが、彼には女三の宮ができ、自分が年をとっていくとともに、それが心細いものになってきていると感じられるのです。

そこで、そうなりきってしまわないうちに、愛憎の世界から離れたい(と同時に、第一人者であった自分が敗者の惨めさを曝して笑いものになることから逃れたい)と思い始めました。以前一度は睦言のように源氏に願ってみたのでしたが許されず(第二章第二段)、そのままになっていました。

今度はあの時とは違って、少し切実の感がありますが、本気で言い出すのは「生意気なよう」で言えないでいます。「世の無常を想って『心と背く(自分から世を捨てたい)』とは、男でもいかがなもの」(『評釈』)なのだそうです。

そうしているうちにも、源氏は、院や帝の女三の宮への肩入れが強まるにつれて、この姫宮の扱いが変って「お通いになることがだんだんと(紫の上と)同等になって行」きます。

紫の上は、そういう不安を、明石の女御を通しての孫である「東宮のすぐ下の女一宮」を引き取って育てることで、かろうじて紛らわしているのでした。

ここで夏の御方(花散里)という、生涯をそういう愛憎に深く関わらないで過ごしてきた人が、紫の上にあやかって同じように孫を世話しながら、こちらは静かに自足していることが寸描されます。その対照によって、紫の上の心の揺れ、傷みがいっそうはっきりと照らし出されることになります。

髭黒右大臣・玉鬘夫妻も、今はすっかり落ちついて、堂々とした様子で六条院に出入りし、紫の上とも「申し分ない交際をなさって」います。しかし、そう書かれることで、読者はその幸せな二人に向き合っている紫の上が、彼女だけ胸の奥に逃れようのない不安を抱いていることを思わずにはいられません。

そして女三の宮は、自分がそういう六条院の秩序を蝕もうとしているなどということはもちろんご存じではなく、思いもしないままに、「同じように若々しくおっとりしていらっしゃる」のです。

周囲のそれぞれが権威とされるものと密接な繋がりを持ってそれなりに自立した落ちついた生活を持っているのに対して、かつてのシンデレラ・ガールが、ただ一人、実はいかに特異な立場・境遇にいたかということを、直接そうと書かないながら、感じさせている段です。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ