源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻二十二 玉鬘

 [第八段 源氏、玉鬘の人物に満足する]

【現代語訳】
 見苦しくはなくていらっしゃったのを嬉しくお思いになって、紫の上にもお話し申し上げなさる。
「ある田舎者の中で暮らしてきたので、どんなにかわいそうな様子だろうかと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見える。このような姫君がいるのだと、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などがこの邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、至極まじめな顔ばかりしてここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからなのだ。精一杯世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」とおっしゃると、
「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」とおっしゃる。
「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」と言ってお笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって手習いに、
「 恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ

(夕顔をずっと恋い慕っていたわが身は同じなのだが、その娘はどのような縁でここ

に来たのであろうか)
 ほんとうに、まあ」と、そのまま独り言をおっしゃるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。

 

《他人の娘であることを承知で、その親が知らないことをいいことにして無断で引き取り、それを、死なせてしまったかつての自分の最愛の女性の娘として、幸せにしてやろうというならともかく、その姫君を餌に、六条院を訪れる貴公子たちの心を騒がせてみたい、と源氏は考えました。

『評釈』は「そういういたずらを楽しむ年になったのである」といいますが、随分な悪趣味に思われます。

紫の上が「よくありませんよ(原文・けしからず)」と言うのが、彼女の気持ち以上にもっともです。

ただ、このことは前に右近にも、連れて来させる話をしている中でもしていて(第三段)、右近もそれを承知の上で「ただお心のままにどうぞ」と言っていましたから、そういういきさつはともかく、またそれが源氏にとってはただのいたずらでも、六条院で注目を浴びる花形になるのなら、女性としての幸福を与えることになるのだと、当時は、女性の目からも見えたのでしょう。

してみると、紫の上の「けしからず」も、姫のことを思ってではなく、兵部卿宮(源氏の弟)を初めとする貴公子たちについてのことなのでしょうか。考えてみれば、源氏に、「あなたをこそ、…そのように扱って見たかった」と言われて、赤くなっているのは、あなたにはそれだけの魅力があると言われたのだと考えるから、なのでしょう。

そういう立場に姫はいるというふうに考えるべきところなのでしょう。

作者も、この姫に悪いというような書き方はどこにもしていません。

源氏は、「いたずら」の種にするとは言え、あの夕顔の娘がそれに相応しい姫として自分のもとにやって来ることになったについて、改めて宿縁を感じて、歌を詠みます。この巻の名は歌によっていますし、この歌によって後世、この姫を玉鬘と呼び習わします。》


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第六段 玉鬘、六条院に入る

【現代語訳】

 こういう話は九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのだが、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、その皆を残して来たので、また他に人もいない。京は何と言っても広い所なので、町の物売り女などのような者をたいそううまく探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは伏せておいたのであった。

右近の実家の五条の家にまずこっそりとお移し申し上げて、女房たちを選び整え、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。

大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
「いとしいと思っていた女が、気落ちしてさびれた山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜していましたところ、聞き出すことが出来なくて年頃の女性になるまで過ぎてしまっていたが、思いがけない方面から聞きつけたので、せめて聞きつけた今からでもと思って、引き取ることにします」と言って、

「母も亡くなってしまいました。中将をお預け申しましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのようで大きくなったので、田舎めいたことが多いでしょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
「ほんとうに、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでした。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」と、おおようにおっしゃる。
「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思いしておりますので」などとおっしゃる。
「立派にお世話しているなどと言っても、することも多くなく、暇でおりますので、嬉しいことです」とおっしゃる。
 殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう。厄介な昔の女性をお集めになることですわ」と噂したのだった。
 お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や何やかやかとお贈りなさっていた。



《ここの冒頭に九月とありますが、少女の巻末で明石の御方は十月に六条院に入ったとあったことが思い出され、前節の話とちぐはぐです。ここはその翌年の九月なのだとか、前節の紫の上は明石が来月入ることが決まっているから、来る前から「北の町におられる人(原文・北の御殿)」と言ったのだとか、諸説あるところのようです。

 さて、いよいよ姫が院に移ってきて、源氏は花散里に預ける話をします。

この人が表に出てきたのはこれまで三回、花散里の巻と、源氏の巻の須磨謫居の前後に訪問した時ですが、そこでも少し触れたように、この人は源氏に大変特異な地位を与えられていました。なお、夕霧が「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」と思った(少女の巻第六章第五段)というような人であることも、この物語の場合、大切なことかも知れません。

『人物論』所収・沢田正子著「花散里の君~虚心の愛~」がこの人について分かりやすく説いていますので、そこからこの人の人柄をまとめますと、「女の情念や苦悩を意志の力によって積極的に自制し、自らに執することなく生きる」ことによって「冷静に物事に対処しうる理性と人々の心を寛く容認するつつましさ」を獲得した人、「努力と諦念によりそこ(人間的煩悩)を通過して自由の地を得た」人ということになるでしょうか、その結果、源氏から深い信頼を得て、姉のように頼みとされている人です。「涼やかな透徹した明るさ、心温かさが生命」とも同論は呼んでいます。

そういう人であればこそ、源氏は夕霧を預けもしましたし、ここでまた新しい姫を預けようとするわけです。

そして、ここでのこの君の源氏への応答にもそういう人柄がよく現れているように思われます。》

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第五段 源氏、紫の上に夕顔について語る

【現代語訳】

お住まいになるべき部屋をお考えになると、
「南の町には、空いている対の屋などもない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、

「少し引っ込んでいる感じではあるが、東北の町の西の対が文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
「一緒に住むことになっても、花散里は慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」とお決めになった。

 紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人とは格別にあなたのことを思っているからです」と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
「他人の身の上としても多く見て来たことですが、それほどにも思わない仲においてでも、女性というものの愛執の深さをたくさん見たり聞いたりしてきましたので、決して浮気心は持つまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女の人を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があって気の利いているという点では劣っていたが、上品でかわいらしかったことだ」などとおっしゃる。
「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」とおっしゃる。

 やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いなのである。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。

 

《改めて六条院の女君たちの配置が語られます。院の内は全体がは田の字に区画がされて、東南(原文では南)が紫の上と源氏の住まいで養女にした明石の姫君と暮らしていて、いわば院の表座敷の趣き、西南が梅壺中宮、西北(同じく、後で北)は明石の御方で、東北(原文では丑寅、次節では東)には花散里がいて夕霧が預けられています。

さて夕顔の姫君を迎えるに当たって、その住まいを源氏は考えます。「源氏は、…最もよい位置から、順に」(『評釈』)考えていきます。「姫君の扱いを、かなり重く考えていることになる」(同)と言えます。

そのついでに、作者は三人のお方の都合を挙げて配慮を示しながら、それぞれの女君のことをそれとなく語りますが、なぜか明石の御方のところは挙げられません。そして続く紫の上との対話の中で、明石の御方が源氏から、ひとり異例の扱いを受けていることが語られるのです。

さて、源氏はこの姫を迎えるに当たって、紫の上に夕顔の話をする必要が生じました。前節で手紙と一緒に届けた贈り物は彼女と相談したとあったのに、「今初めて、あの昔の話をお話し申し上げた」というのは変ですが、『評釈』が、これはその時の話だろうと言いますから、少し無理があるような気もしますが、そういうことにしておきましょう。

源氏の話は、いつもながら持って回ったもので(ということは、相手の気持に大変に気を使った丁寧な、ということでもあり、それが当時の女性にとっては、男の色好みの要点であったと思われますが)、しかもよくもまあぬけぬけとも思われる言葉もあって、これをもっともらしく語っている姿を思うと、なかなか滑稽です。

紫の上は、夫に「しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます」という女性がいたことを聞いて、「お恨み申し上げなさる」のでしたが、この人の焼き餅はいつも一時で、すぐに自分なりに納得してしまいます。そういうところが源氏の考える女性の、夫の浮気に対する理想的な対処の仕方なのです。焼きもちを焼かないようではいけない、しかしそれにこだわってはいけない…。女性から見れば虫のいい話ですが、偽らざる願望と言っていいでしょうか。

彼女には、こういう源氏に寄せる思いとともに、あっけらかんとした割り切りのよさ、人の好さがあります。それは源氏に対する信頼とも言えそうですが、ちょっと違って、むしろ自分への自信という方が近いでしょう。

それが「そうは言っても…」と、思ったことはぴしゃりと言うという態度に表れているように思います。

そう言えば、六条院以前の夕顔や空蝉、朧月夜、六条御息所や出家前の藤壺が源氏に振り回されている感じがあったのに対して、この六条院に今いる女君たちは、四人ともに、明石の御方を含めて、どことなく自立している感じがあります。

そして、姫がいる以上当然ではありますが、紫の上は、誰よりもその明石の御方を意識しているようです。》


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第四段 玉鬘、源氏に和歌を返す

【現代語訳】

あの末摘花の何とも言いようもなかったのをお思い出しになると、そのように落ちぶれた境遇で育ったような人の様子が不安になって、まずは手紙の様子を知りたい気持ちにおなりになるのだった。きまじめに、この場合にふさわしくお書きになって、端の方に、

「このようにお便り申し上げますのを、
  知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじと

(今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう、三島江に生えている三

稜のように私とあなたは縁のある関係なのですから)」
とあったのであった。
 お手紙は、右近みずから出かけて、おっしゃったことなどを申し上げる。お召し物や女房たちの物などいろいろと添えてある。紫の上にもご相談申し上げられたのであろう、御匣殿などでも用意してある品物を取り集めて、色あいや出来具合などのよい物をと選ばせなさったので、田舎じみた人々の目には、ひとしお目を見張るほどに思ったのであった。

 ご本人は、
「ほんの形ばかりでも、実の親のお気持ちならばどんなにか嬉しいであろう。どうして知らない方の所に身を寄せることができよう」という様子で当惑していたが、とるべき態度を右近が申し上げ教え、女房たちも、
「自然と、そのようにして一人前の姫君となられたら、大臣の君もお聞きつけになられるでしょう。親子のご縁は決して切れるものではありません」
「右近が、物の数ではない身で、ぜひともお目にかかりたいと念じておりましたのさえ、仏神のお導きがあったではございませんか。まして、どなたも無事でさえいらっしゃったら」と、皆がお慰め申し上げる。
「まずは、お返事を」と、無理にお書かせ申し上げる。
「とてもひどく田舎じみているだろうに」と恥ずかしくお思いであった。

唐の紙でたいそうよい香りのを取り出して、お書かせ申し上げる。
「 数ならぬ三稜や何の筋なればうきにしもかく根をとどめけむ

(物の数でもないこの身はどうして三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう)」
とだけ、墨付き薄く書いてある。筆跡は、かぼそげにたどたどしいが、上品で見苦しくないので、ご安心なさった。

《源氏は、まず手紙を届けさせます。右近が器量は保証しましたが、それだけで源氏の傍に置けるわけではありません。まずは歌の素養を試してみようというわけです。なにせ、かつて末摘花に驚かされたことがありました(末摘花の巻第一章第八段2節など)から、「落ちぶれた境遇で育ったような人」には要注意なのです。もちろん立派な贈り物を添えて、右近が取り次ぎました。

一方、姫は、「どうして知らない方の所に身を寄せることができよう」と不安に思ったと言います。この人の意志が語られたのは、長谷寺参詣の道中で母に会いたいと祈った以外は、ここが初めてですが、右近から幾度も源氏の話を聞かされて来ているはずで、今さらどうしたのかという気がします。

前節で、源氏の命を受けて姫を捜していたはずの右近自身が、ここに来て姫を源氏に託すことに躊躇していたことと合わせて考えると、右近と姫は、源氏の世話になることをストレートには喜べない気持があったということになります。

作者はこのあたりを書く時に、この二人と源氏の間に、これまでとは違った、新しい課題を与えようという思いが湧いていたのではないかと思われますが、話はそのようには進みません。

ここでは右近は懸命に源氏の世話になるように説得します。そして姫のお付きの者たちはもちろん、折角の素晴らしい話を手放してなるものかとばかりに、姫を口説きます。姫には不安な、必ずしも気に染まないことであっても、彼等にとっては自分たちの明日からの生活が夢のように変わるに違いない絶好の機会が、目の前にぶら下がっているのです。

結局「無理に(返事を)お書かせ申し上げ」ることになり、その返事はすぐさま届けられ、源氏が「(その返事が)上品で見苦しくないので、ご安心なさった」とあって、あとはこの姫の六条院の生活が始まるばかりになりました。》

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第三段 源氏、玉鬘を六条院へ迎える

【現代語訳】

 このように聞いてから後は、幾度も右近一人だけ別にお召しになって、
「それならば、その人をここにお連れ申しあげよう。長年、何かの折ごとに、残念にも行く方知れずにしていることを思い出していたが、大変ありがたく聞き出しながら、今まで会わないでいるのも、つまらないことだ。
 父の大臣には、どうして知らせる必要があろうか。たいそう大勢の子どもたちで賑やかなようであるが、数ならぬ身で今さら仲間入りしたところで、かえってつらい思いをすることであろう。私は、このように子どもが少ないので、思いがけない所から捜し出したとでも言っておこうよ。色好みの者たちに気をもませる種として、たいそう大切にお世話しよう」などとうまくおっしゃるので、ともかくも嬉しく思って、
「すべてお心のままに。大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう。むなしくお亡くなりになってしまった方の代わりには、何としてでもお引き立てになることが、罪滅ぼしをなさることになりましょう」と申し上げる。
「ひどく言いがかりをつけるね」と苦笑いしながら、涙ぐんでいらっしゃる。
「悲しく縁の薄い関係であったと、長年思っていた。このようにここに集っている方々の中に、あの時のような気持ちほどに惹かれる人はなかったが、長生きをして私の愛情の変わらなさを見届けている人々が多い中で、言っても詮ないことになってしまい、右近だけを形見として見ているのは、残念なことだ。忘れる時もないが、そのようにここにいらっしゃったら、たいそう長年の願いが叶う気持ちがするに違いない」と言って、お手紙を差し上げなさる。

 

《初めの源氏の話は、「幾度も」右近を呼んで話したダイジェストだと『評釈』が言います。

そして、右近の返事の前の「ともかくも」が気になりますが、原文では「かつがつ」とあって、『辞典』は「原義は、こらえこらえ」とし、第一の意味に「不満に耐えながら。ともかくも」としています。

つまり、右近は、源氏が引き取ることに「不満」だったようなのです。さればこそ、源氏は幾度も彼女を呼ぶ必要が出来たのでしょう。彼女は、本当は、実の父、今の内大臣に、少なくとも伝えることだけはしなくてはならない、出来ればその了解を得てあとを取りはからいたいと考えた、ということでしょうか。

それにしては彼女が長谷寺で乳母達に語る時に、もっぱら源氏の話をして、乳母達が何とか内大臣に会わせてほしいと話すと、それよりも源氏に、という調子だったことを思うと、意外な気がしますが、あれは、「大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう」、つまり内大臣に伝えるにしても、右近の立場ではそれは源氏以外の人ではあり得ないという考えからのことだったのでしょう。そういうつもりで源氏に話したのに、横取りされた格好です。

しかし、結局は源氏の意向に添うしかないわけであり、また悪い話ではないのですから、「すべてお心のままに(原文・ただ御心になむ)」と言うことになります。そして「(夕顔への)罪滅ぼしをなさることになりましょう(原文・罪軽まはせたまはめ)」と、一言添えます。彼女自身、そう思うことで納得しようとしたのでしょう。

源氏は、その気持を察して「ひどく言いがかりをつけますね」と苦笑します。やはり二人の間には、源氏がつまらない冒険心を起こしたために夕顔を無駄に死なせてしまったのだ、という共通認識があっているようで、その夕顔の娘が源氏の思うままにされるのは、右近として面白くない気持があったと考えておくのがよいのではないでしょうか。

なんとか右近の気持ちをなだめて、源氏は姫への手紙を書くのでした。》


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