源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻二十二 玉鬘

第三段 源氏の和歌論

【現代語訳】

「さまざまな草子や歌枕によく精通し読み尽くして、その中の言葉を取り出しても、詠み馴れた型は、たいして変わらないだろう。
 常陸の親王がお書き残しになった紙屋紙の草子を読んでみなさいと贈ってよこしたことがありました。和歌の規則がたいそうびっしりとあって、歌の病として避けるべきところが多く書いてあったので、もともと苦手としたことで、ますますかえって身動きがとれなく思えたので、わずらわしくて返してしまいました。よく勉強なさっている方の詠みぶりとしては、ありふれた歌ですね」とおっしゃって、おもしろがっていらっしゃる様子であるのは、お気の毒なことである。
 上は、たいそう真面目になって、
「どうしてお返しになったのですか。書き残して、姫君にもお見せなさるべきでしたのに。私の手もとにも、何かの中にあったのも、虫がみな駄目にしてしまいましたので。まだ見てない私などは、やはり特に心得が足りないのです」とおっしゃる。
「姫君のお勉強には、まったく必要がないでしょう。総じて女性は、取り立てて好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません。どのようなことにも不調法というのも感心しないものでしょう。ただ自分の考えだけは、ふらふらせずに持っていて、うわべはおだやかに振る舞うのが、見た目にも無難というものです」などとおっしゃって、返歌をしようとはまったくお考えでないので、
「『返してしまおう』とあるようなのに、こちらからお返歌なさらないのも、礼儀に外れていましょう」と、お勧め申し上げなさる。思いやりを忘れないお心なので、お書きになる。いたてお気楽そうである。
「 返さむと言ふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ

(返そうとおっしゃるにつけても、独り寝のあなたをお察しいたします)
 ごもっともですね」
とあったようである。

 

《源氏の、そして作者の作歌論と女性論です。いずれも鋭いところを突いた、好い論だと思われます。

「常陸の親王」は末摘花の父君、彼女はその父の書き残した歌学書(原文では「髄脳」)を大事に持っていて、父の教えとしてよく学んだのでしょう。しかしそれを源氏に「読んでみなさいと贈っ」たというのは、ちょっと驚きです。彼女としては好意のつもりなのでしょうが、源氏をどれほどの人と見定めることしないで(できないで)、父を誇るという気持ではなかっただろうかと思われて、彼女の子供っぽい独りよがりぶりが感じられます。

その歌学は、大変厳格なものだったようです。

当時、実際にそういう歌学書が複数あったようで、「中国の詩学の詩病を機械的に和歌に適用して修辞上の禁忌を説いたもの」(『集成』)だったそうですから、この父上の書もその系統のものだったということなのでしょう。

それを読んだ源氏の、歌の規則をあまり勉強すると、歌が型どおりのものになって、「身動きがとれなく」なってしまう、という作歌論は、歌が社交の道具になったこの時代には珍しい論なのではないでしょうか。「やまと歌は、人の心を種とし」という古今集の序に帰ったような論です。

しかしここは、そこから展開した女性論の方がさらに興味をひきます。

たしか山本周五郎の「梅咲きぬ」だったと思いますが、武家の嫁姑の間でまったくここに書かれたような話が交わされる話があり、ラジオの朗読で、しみじみと聞かされたことがありました。案外、その周五郎の考えの原点はここにあるのではないでしょうか。

一つのことに凝ると、その人の関心がそこに集中して、他が疎かになる、女は男の背後にあって、家という全体を守らねばならない立場だから、何か一つが出来ればよいのではなく、何でもある程度出来なくてはならない、そしてできれば、それが表に見えなければもっとよい、そういう女性論で、『評釈』の言うように一見、「男の立場で考えた時に意見である」ように見えますが、男と女の動物としての本性に敵った基本的考え方であろうと思われます。

もちろん人間は動物でありながら、「本能の壊れた動物」と言われて(岸田秀の説)動物を離れようとする、あるいは離れざるを得なくなったという、妙な傾向を持った生き物ですから、すべからくこの意見だけで足りるというわけではありませんが、少なくとも一般の動物ならそう文句を言わないで、納得できる考え方だろうという気がします。

源氏は紫の上に言われて、末摘花に返歌を送りますが、彼女を揶揄したような内容で、どうも「思いやりのあるお心」とは言いがたいような気がします。

やはり、蓬生の巻末でも言いましたが、源氏は、ひたすら彼を信じて待っていた彼女の誠実さを認めているとは言い難いと思われます。

ともあれ、こうした異質の女性も含みながら、六条院の華やかな生活がここから始まっていくことになります。》

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第二段 末摘花の返歌

【現代語訳】
 どなたもお礼のご挨拶は並大抵ではない。お使いへの禄もそれぞれに気の使いようだが、末摘花は、東院にいらっしゃるので、もう少し違って一趣向あってしかるべきなのに、几帳面でいらっしゃる人柄で、定まった形式は違えなさらず、山吹の袿で、袖口がたいそう煤けているのを、下に衣も重ねずに使いの者にお与えになった。お手紙には、とても香ばしい陸奥国紙で、少し古くなって厚く黄ばんでいる紙に、
「どうも、戴くのは、かえって恨めしゅうございまして。
  きてみればうらみられけり唐衣返しやりてむ袖を濡らして

(着てみると恨めしく思われます、この唐衣はお返ししましょう、涙で袖を濡らして)」
 ご筆跡は、特に古風であった。たいそうにやにやなさって、直ぐには手放しなさらないので、紫の上は、どうしたのかと覗き込みなさった。
 お使いに取らせた物がとてもみすぼらしく体裁が悪いとお思いになって、ご機嫌が悪かったので、使いは御前をこっそり退出した。女房たちは、ひどくささやき合って笑うのであった。このようにむやみに古風に体裁の悪いところがおありになる振る舞いに手を焼くのだとお思いになる。気恥ずかしくなる美しい目もとである。

「昔風の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』といった恨み言が抜けないですね。私も、同じですが。まったく一つの型に凝り固まって、当世風の詠み方に変えなさらないのが、ご立派と言えばご立派なものです。人々が集まっている中にいることを、何かの折ふしに、御前などにおける特別の歌を詠む時には『まとゐ』が欠かせぬ三文字なのですよ。昔の恋のやりとりは、『あだ人…』という五文字を、休め所の第三句に置いて、言葉の続き具合が落ち着くような感じがするようです」などとお笑いになる。

《衣裳を頂いた方々は、それぞれにお礼の手紙を書き、使いに禄を与えるのですが、中で末摘花の君は、ひとり相変わらず場違いな対応ぶりのようです。

まず、「東院にいらっしゃるので、もう少し違って一趣向あってしかるべき」というのは、六条院から離れて住んでいるのだから「もう少し他人行儀に、…内輪じみず、恋人ふうであるべきだ、の意」と『集成』は言います。

「袖口がたいそう煤けているの」は、「若いころの着古したのを与えたのであろう。…新品より身につけた物をやるという習慣が当時あった」からだと『評釈』が言います。しかし、いくら何でも袖口が汚れた物では、禄にはならないのでしょう。

紙はまたしても「陸奥国紙」です。姫が最初に源氏に贈った歌もこの実用紙に書かれていて、源氏はあきれたものでした(末摘花の巻第一章第九段1節)。

お礼の歌を贈り、使いに禄を与えるという一連のことについて、やることなすこと、形だけは作法どおりですが、その内容がみんなずれているのです。

歌は、言うに及ばないでしょう。贈り物に対するお礼の言葉とは到底思われません。『評釈』が言うように、彼女はもう源氏の訪れなど全然期待していないにもかかわらず、お出でのないことを恨む歌になってしまいました。彼女としては、ここで「恋人ふうであるべきだ」と思ったのでしょう。

『評釈』が「お使いに取らせた物がとてもみすぼらしく…、使いは御前をこっそり退出した」について、使いに不機嫌な様を見せるのは普段の源氏らしくないと言います。確かに余計にねぎらっていいところですが、曲がりなりにも自分の室である人が家来に示したあまりの不調法に、言うべき言葉がなかったのでしょう。家来の方がそういう主人に気を利かしてみずから引き下がったように思われます。

源氏はその歌について紫の上に語ります。以下は、源氏の(作者の)和歌論です。

まずは、決まり文句で歌を詠むと、それなりに形にはなるが、それだけでは心を打つ歌にはならない、この姫の歌は、決まり文句だけだ、と。

それはまた、作者の当時の歌についての批評でもあるでしょう。以下、和歌論が続きます。》

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第一段 歳末の衣配り~その2

【現代語訳】2
 紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿と、流行色のとても素晴らしいのは、こちらのお召し物、桜の細長に艶のある掻練を取り添えたのは、姫君の御料である。
 浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練を付けて、夏の御方に、曇りなく明るくて、山吹の花の細長は、あの西の対の方に差し上げなさるのを、紫の上は見ぬふりをして想像なさる。内大臣がはなやかでああすっきりしていると見えるけれども、優美に見えるところがないのに似ているようだと、となるほどと推し量られるのを、顔色にはお出しにならないが、殿がご覧やりなさると、関心は並々でない。
「いや、この器量比べは当人の腹を立てるに違いないことだ。美しいといっても、衣裳の色には限りがあり、人の器量というものは、劣っていても、また一方でやはり奥底のあるものだから」と言って、あの末摘花の御料に、柳の織物で由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたものも、とても優美なので、人知れず苦笑されなさる。
 梅の折枝に蝶や鳥が飛び交う唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて、明石の御方にということで、気品があることが思い遣られて、紫の上は憎らしいとお思いになる。
 空蝉の尼君に、青鈍色の織物のたいそう気の利いたのを見つけなさって、ご自分のお召し物にある梔子色の御衣で、聴し色なのをお添えになって、同じ元日にお召しになるようにとお手紙をもれなくお回しになる。なるほど、似合っているのを見ようというお心なのであった。

 

《さてそうして「衣配り」です。源氏は、一斉に粋を懲らした衣裳を纏わせて、その日一度に「似合っているのを見ようというお心なの」です。華やかな企画で、彼の春を鮮やかに彩るはずです。配られた衣裳と、それに対する紫の上の反応の目に留まるコメントを簡単に整理しましょう。

・紫の上・「紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿」と「流行色のとても素晴らしいの」

・明石の姫君・「桜の細長に艶のある掻練を取り添えたの」
・夏の御方(花散里)・「浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練」
・西の対の方(玉鬘)・「曇りなく明るくて、山吹の花の細長」~「明るくてぱっとした黄系統」(『評釈』)の衣裳から紫の上は内大臣同様に「すっきりしているけれども、優美に見えるところがない」方なのだろうと想像を巡らす。

・末摘花・「柳の織物で由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたもの」~「本人とはずいぶんかけ離れて、なまめいたもの」(『評釈』)と感じて笑ってしまう。
・明石の御方・「梅の折枝に蝶や鳥が飛び交う唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて」~「衣装から想像して気品があるのを、…憎らしい」と思う。
・空蝉の尼君・「青鈍色の織物でたいそう気の利いたの」と「梔子色の御衣で、聴し色なの」

以上七人です。こうしてみると、中宮が入っていないこと、空蝉が入っていることが目につきます。

「同じ元日にお召しになるように」と渡したもので、中宮は正月は宮中でしょうから、別枠ということなのでしょうか。

空蝉の出家は蓬生の巻末にありましたが、『集成』が「源氏の庇護の下にあること、ここにはじめて見える。二条の院の東の院に居る」と言います。末摘花と一緒に居ることになります。

末摘花については、『集成』も「似合わぬ色合いのものをわざと選ぶ趣」と言います。当の末摘花は、おそらくそれが自分に不似合いだなどとは思わず、従ってまたそういう源氏の意図にも全く気づかずに、ありがたくいただくのでしょう。ずいぶんひどい扱いで、源氏の人間性を疑いますが、こういう感覚もまた、彼らにとっては当然のものだったのでしょう。

語られる順番が、そのまま序列であると『評釈』が言いますから、そうすると、六条院での扱いは、明石の御方が最後で、末摘花以下です。こういう場合、結局は出自の差なのでしょう。源氏も、いろいろ悪ふざけをしながらも、その程度には末摘花を重んじている、とも言えて、少しほっとします。

ところで、ここに列挙された衣裳(織物)は、まさか現実の誰かが纏っていた物を思い出して語ったというわけではないでしょうから、こういう品があったらさぞ見事だろうと作者が想像で描き出したものなのでしょう。そしてこう書いたものを読む女房たちをなるほどと思わせたことでしょうから、大変なセンスだったと言えます。》

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第一段 歳末の衣配り~その1

【現代語訳】1

 年の暮に、お飾りのことや女房たちの装束などを、高貴な夫人方と同じようにとお考えになっておいでなのだが、あのように一人前に見えても、田舎めいている点もありはしないかと山里育ちのように軽んじ想像申し上げなさって、こちらで仕立てたのも一緒に差し上げなさる折に、我も我もと技を競って織っては持って上がった細長や小袿の色とりどりでさまざまな織物を御覧になって、
「たいそうたくさんの織物であることだ。それぞれの方々に、羨みがないように分けないといけないね」と、紫の上に申し上げなさるので、御匣殿でお仕立て申したのも、こちらでお仕立てさせなさったのも、みな取り出させなさる。
 紫の上は、このような方面のことは、それはまたとても上手で、世に類のない色合いや艶を染め出させなさるので、めったにいない人だとお思い申し上げになさる。
 あちらこちらの擣殿から進上したいくつもの擣物をお比べになって、濃い紫や赤色などをさまざまお選びになっては、いくつもの御衣櫃や衣箱に入れさせなさって、年配の上臈の女房たちが伺候して、「これは、あれは」と取り揃えて入れる。紫の上も御覧になって、
「どれもこれも、劣り勝りの見えないもののようですが、お召しになる人のお顔立ちに似合うように選んで差し上げなさい。お召し物が姿に似合わないのは、みっともないことですから」とおっしゃると、大臣も笑って、
「それとなく、他の人たちのご器量を想像しようというおつもりのようですね。では、あなたはどれをご自分のにとお思いですか」と申し上げなさると、
「それは鏡で見ただけでは、どうして決められましょうか」と、そうは言ったものの恥ずかしがっていらっしゃる。


《田舎から上ってきたばかりでバックの何もない玉鬘に、正月の衣裳で恥を掻かせてはならないと、源氏は、自分の方で仕立てた装束を贈ることにしました。

そういう話を聞くと、職人達が「我も我もと技を競って織っては持って上が」るということになるようで、それが「御匣殿でお仕立て申したの」のようです。

その一方で、『評釈』によれば、「紫の上御自身もしあげたものが多い」のだそうで、それが「こちらでお仕立てさせなさったの」です。単に立ち上がった姿さえほとんど語られることがない高貴の人が、手づから染め付けの作業をするというのは、意外な気がしますが、「当時にあってはそれが一つの仕事なのである」(同)のだそうです。

その双方をまとめて「あちらこちらの擣殿から進上したいくつもの擣物」ということになるのでしょうか、ともかく大変な数の衣裳が揃いました。それは玉鬘一人にという料ではなかったようで、「それぞれの方々に、羨みがないように分けてやるとよい」ということになって、ずらりと並べて華やかな品評会です。作者を含む女房たちにとって、垂涎の光景で、このあたりは、これでもかといった調子で力を込めて語られているように思います。

紫の上が上臈の女房に「お召しになる人のお顔立ちに似合うように選んで差し上げなさい。お召し物が姿に似合わないのは、みっともないことですから」という、微妙な注文をしました。行き届いた配慮で、その衣裳を身につけている先方の姿を思い描きながら選べ、ということなのでしょう。

すかさず源氏に、それであなたはどれを選ぶかと言われて、顔を赤くして恥ずかしがっているとは、まったくカマトトではないかと思わせるほどの、かわいい純情ぶりです。彼女には、源氏の邸を仕切る第一人者としての顔と、そういう少女のような顔との両面が、バランスよく備わっているのです。》

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第九段 玉鬘の六条院生活始まる

【現代語訳】
 中将の君にも、
「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
「数にも入らない者ですが、このような者もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのも具合が悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。

筑紫でも思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのも、比較にならないと思い比べられることだ。お部屋のしつらえを初めとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくさせていただきなさる方々のご様子は、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのもいまいましいことこの上ない。
 豊後介の心根をなかなかできないことだと姫君もご理解なさり、右近もそう思って口にする。いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろうと考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。

豊後介も家司になった。長年田舎暮らしに沈んでいた者としては、急にすっかり変わって、どうして仮にも自分のような者が出入りできる縁などあろうかと思っていた大殿の内を、朝な夕なに親しく出入りし、人を従えて、事務を行う身となることができることを、たいそう面目に思ったのだった。

大臣の君のお心配りが細かに行き届いて、世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。

 

《中将の君は夕霧、今十四歳です。急に二十歳過ぎの姉が出来たことになりますが、生真面目な人ですから、父に言われたとおりに実の姉と思い込んでの改まった、そして大層へりくだった挨拶です。女房たちは、もし姫の生い立ちや周りの事情をご存じだったらこんな挨拶はなさらないだろうにと、むしろ居心地悪く思うほどでした。

ともかくも、こうして姫の六条院生活が始まります。それは彼ら一党にとってまったく目も眩むような変化でした。

筑紫の屋敷をあれほど立派なものはないと思っていたのに、それさえも比べようもないものでした。また、大弐はもちろん、大夫の監でさえ、大した者だと思っていたのですが、源氏を見、六条院に暮らすようになって、今や、そう思っていたこと自体が忌々しく思えるほどの身の上になりました。

しかし、都の人から見れば、お上りさんで、ついつい侮った扱いをしないとも限りませんから、源氏は専属の家司を任命して身の回りを取りはからわせます。

ここで改めて豊後介の貢献が思い出されます。思えば、彼がもっとも苦しい決断をしたのでしたし、その後の働きも、ひたすら父の遺言を守るだけのために、出立の時以来、それこそ一行に降りかかる艱難辛苦を一人の手でかき分けてきたと言ってもいいでしょう。

源氏もその功を認めて、改めて「玉鬘」姫付きの家司として任用されます。『評釈』が「職場を放棄して上京したのだから、普通なら罰せられるところだが、太政大臣のお声掛かりでその問題は吹き飛んで」しまったのだと言い、なるほどと思います。》

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