【現代語訳】
「さまざまな草子や歌枕によく精通し読み尽くして、その中の言葉を取り出しても、詠み馴れた型は、たいして変わらないだろう。
常陸の親王がお書き残しになった紙屋紙の草子を読んでみなさいと贈ってよこしたことがありました。和歌の規則がたいそうびっしりとあって、歌の病として避けるべきところが多く書いてあったので、もともと苦手としたことで、ますますかえって身動きがとれなく思えたので、わずらわしくて返してしまいました。よく勉強なさっている方の詠みぶりとしては、ありふれた歌ですね」とおっしゃって、おもしろがっていらっしゃる様子であるのは、お気の毒なことである。
上は、たいそう真面目になって、
「どうしてお返しになったのですか。書き残して、姫君にもお見せなさるべきでしたのに。私の手もとにも、何かの中にあったのも、虫がみな駄目にしてしまいましたので。まだ見てない私などは、やはり特に心得が足りないのです」とおっしゃる。
「姫君のお勉強には、まったく必要がないでしょう。総じて女性は、取り立てて好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません。どのようなことにも不調法というのも感心しないものでしょう。ただ自分の考えだけは、ふらふらせずに持っていて、うわべはおだやかに振る舞うのが、見た目にも無難というものです」などとおっしゃって、返歌をしようとはまったくお考えでないので、
「『返してしまおう』とあるようなのに、こちらからお返歌なさらないのも、礼儀に外れていましょう」と、お勧め申し上げなさる。思いやりを忘れないお心なので、お書きになる。いたてお気楽そうである。
「 返さむと言ふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ
(返そうとおっしゃるにつけても、独り寝のあなたをお察しいたします)
ごもっともですね」
とあったようである。
《源氏の、そして作者の作歌論と女性論です。いずれも鋭いところを突いた、好い論だと思われます。
「常陸の親王」は末摘花の父君、彼女はその父の書き残した歌学書(原文では「髄脳」)を大事に持っていて、父の教えとしてよく学んだのでしょう。しかしそれを源氏に「読んでみなさいと贈っ」たというのは、ちょっと驚きです。彼女としては好意のつもりなのでしょうが、源氏をどれほどの人と見定めることしないで(できないで)、父を誇るという気持ではなかっただろうかと思われて、彼女の子供っぽい独りよがりぶりが感じられます。
その歌学は、大変厳格なものだったようです。
当時、実際にそういう歌学書が複数あったようで、「中国の詩学の詩病を機械的に和歌に適用して修辞上の禁忌を説いたもの」(『集成』)だったそうですから、この父上の書もその系統のものだったということなのでしょう。
それを読んだ源氏の、歌の規則をあまり勉強すると、歌が型どおりのものになって、「身動きがとれなく」なってしまう、という作歌論は、歌が社交の道具になったこの時代には珍しい論なのではないでしょうか。「やまと歌は、人の心を種とし」という古今集の序に帰ったような論です。
しかしここは、そこから展開した女性論の方がさらに興味をひきます。
たしか山本周五郎の「梅咲きぬ」だったと思いますが、武家の嫁姑の間でまったくここに書かれたような話が交わされる話があり、ラジオの朗読で、しみじみと聞かされたことがありました。案外、その周五郎の考えの原点はここにあるのではないでしょうか。
一つのことに凝ると、その人の関心がそこに集中して、他が疎かになる、女は男の背後にあって、家という全体を守らねばならない立場だから、何か一つが出来ればよいのではなく、何でもある程度出来なくてはならない、そしてできれば、それが表に見えなければもっとよい、そういう女性論で、『評釈』の言うように一見、「男の立場で考えた時に意見である」ように見えますが、男と女の動物としての本性に敵った基本的考え方であろうと思われます。
もちろん人間は動物でありながら、「本能の壊れた動物」と言われて(岸田秀の説)動物を離れようとする、あるいは離れざるを得なくなったという、妙な傾向を持った生き物ですから、すべからくこの意見だけで足りるというわけではありませんが、少なくとも一般の動物ならそう文句を言わないで、納得できる考え方だろうという気がします。
源氏は紫の上に言われて、末摘花に返歌を送りますが、彼女を揶揄したような内容で、どうも「思いやりのあるお心」とは言いがたいような気がします。
やはり、蓬生の巻末でも言いましたが、源氏は、ひたすら彼を信じて待っていた彼女の誠実さを認めているとは言い難いと思われます。