【現代語訳】
 その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。以前から光る源氏などといった名はずっとお聞き申し上げていたものの、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
 お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
「この戸口から入れる人は、特別な気がするね」とお笑いになって、廂の間のご座所にお座りになって、
「燈火が暗くて、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いにならないかね」と言って、几帳を少し押しやりなさる。

たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難がなく見えるので、嬉しくて、
「もう少し明るくしてくれないか。あまりに奥ゆかしすぎる」とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。「遠慮のない人だね」と少しお笑いになる。

なるほどと思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
「長年お行く方を知らないで、心にかけぬ間もなく嘆いていましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほどをお数えになって、
「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来まして」と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、私の他に誰が思いましょう」と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。

右近にしかるべき事柄をお命じになって、お帰りになった。


《初めの源氏の印象は、姫は「御几帳の隙間から」覗いたりしないようです(『評釈』)から、すると乳母のものでしょうか。同書は、別本には「ここに兵部の君(乳母の下の娘)の名が…見える」(同)として、「ずっとお聞き申し上げていた」の主語はこの人だろうとします。そう言えば、このところ(第三章第八段以来)乳母の姿が見えませんが、どうしたのでしょう。

 源氏は、この年三十五歳、もはや中年を過ぎた年と言ってもいいように思われますが、田舎から上ってきたばかりの人の目とはいえ、まだ「ますます恐ろしいまでに思われるお美しさ」と言われます。読者としては、少々戸惑う気持になっても仕方ないところではないでしょうか。

その源氏は、自分をこの姫を恋う人に見立てて、このごろすっかり持ち味となった軽口を言いながらやって来ます。あるいは年甲斐もない気持の昂揚に、自ら照れて、その気持をごまかそうとしているのかも知れません。先の、梅壺の中宮や花散里に言い寄ろうとして、うまくいかなかったことに対する経験値、反省はこの人には全くないようなのです。

「遠慮のない人だね(原文・おもなの人や)」について、諸説あります。

『評釈』・「右近が軽々しく姫君を見せようとしたことに対して、柔らかくたしなめたのであろう」

『集成』・「右近のこと。(源氏が)自分の顔がはっきり見えることを気にしている」

『光る』大野・「源氏が、(灯の芯をかきあげさせまでして)玉鬘の顔をよく見ようとする自分のことを笑っているわけです」

『評釈』が一番標準的でしょうか。しかしこのあたり、源氏がさかんに軽口をきいていること、また「と少しお笑いになる」とあることから見ると、これも後の二つのような、軽口的なニュアンスがあます。ここでは『光る』説がおもしろく思われます。

次の「なるほどと思われる(原文・げにとおぼゆる)」も、①姫が「なるほど夕顔に似ていると思われる」(『評釈』、『谷崎』)と、②「なるほど、右近の言ったとおり美しい」(『光る』)と、③源氏が「なるほど立派だ」(『集成』)と、諸説ありますが、「お目もとの」と容姿の一部を言っていることからみると、普通には、①ではないでしょうか。

源氏は、実際に姫と向き合うと、姫が右近からお互いの関係を聞かされているのを知らないのか、「親の顔は見たいものと聞いている」とか、「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例は…」と、すっかり実の親としての物言いです。

彼が実の父ではないことを知っている姫が「申し上げることもなく、恥ずかしい」という気持になるのも、まったく無理ありません。》

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