源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 夕霧の物語(二)

第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む

【現代語訳】
 御殿油をお点けして、内大臣が宮中から退出なさった様子で、ものものしく大声を上げて先払いする声に、女房たちが、
「それそれ、お帰りだ」などと慌てるので、姫はとても恐ろしくお思いになって震えていらっしゃる。夕霧は、そんなにやかましく言われるなら言われても構わないと一途な心で、姫君をお放し申されない。姫君の乳母が参ってお捜しするうちに、その様子を見て、
「まあとんでもない。なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」と思うと、実に恨めしくなって、
「何とも情けないことですわ。内大臣殿がおっしゃることは申すまでもなく、大納言殿にもどのようにお聞きになることでしょう。結構な方であっても、初婚の相手が六位風情との御縁では」と、つぶやいているのがかすかに聞こえる。この屏風のすぐ後に捜しに来て、嘆いているのであった。
 男君は、「自分のことを位が低いと軽蔑しているのだ」とお思いになると、こんな二人なのだとたまらなくなって、愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。
「あれをお聞きなさい。
  くれなゐの涙に深き袖の色をあさみどりとや言ひしをるべき

(真っ赤な血の涙を流して恋い慕っている私を、浅緑の袖の色だと言ってけなしてよ

いものでしょうか)
 恥ずかしい」とおっしゃると、
「 いろいろに身の憂きほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ

(色々と身の不運が思い知らされますのは、どのような因縁の二人なのでしょう)」
と言い終わらないうちに殿が入っておいでになったので、姫はしかたなくお戻りになった。
 男君は、後に残された気持ちもとても体裁が悪く、胸が一杯になって、ご自分のお部屋で横におなりになった。
 お車は三輌ほどで姫がひっそりと急いでお出になる様子を聞くのも、落ち着かないので、大宮の御前から「いらっしゃい」とあるが、寝ている様子をして身動きもなさらない。
 涙ばかりが止まらないので、嘆きながら夜を明かして、霜がたいそう白いころに急いでお帰りになる。泣き腫らした目許も人に見られるのが恥ずかしいし、大宮もまたお召しになって放さないだろうから、気楽な所でと思って、急いでお帰りになったのであった。
 その道中は、誰のせいでもなく心細く思い続けると、空の様子までもたいそう曇って、まだ暗いのであった。
 「霜氷うたてむすべる明けぐれの空かきくらし降る涙かな

(霜が寒々と凍てついている明け方の空を真暗にして涙の雨が降ることよ)」

 

《別れを悲しんでいる二人に、内大臣がおいでになる先払い大きな声が聞こえました。先日来内大臣に叱られている大宮邸の女房たちは大慌てに騒動しますし、姫もまたお叱りを受けると震え上がります。夕霧は、開き直って気持ちで、そんな姫を守ろうと、抱きしめます。彼には、我こそは源氏の嫡男という少年らしいプライド(驕り)もあったでしょう。

そこへ、姫の乳母が、大宮に呼ばれて行ったまま帰ってこない姫を探してやって来て顔を出し、二人の姿を見て、言った一言が、ほとんど決死の覚悟をしていたであろう少年のプライドを一挙に吹き飛ばします。「初婚の相手が六位風情との御縁では」。

それは彼が一番気にしていたことです。彼は「こんな二人なのだとたまらなくなって、(原文・世の中うらめしければ)」、恋心も冷めてしまうような気持になります。彼は自分の恋が、源氏の御曹司の恋ではなくて、六位という下々のみすぼらしい恋に思えたのです。『赤と黒』では、レナール夫人が自分のジュリアンへの恋を「姦通」に当たると思い当たって、急に罪悪感に震える場面があります(第一部第十一章)が、ともに、恋する者の心に外の社会が意識された時の戸惑いをよく表しています。

抱いて離さぬつもりだった腕の力もゆるんだのでしょうか、父に呼ばれて「姫はしかたなくお戻りになっ」てしまいます。

そして内大臣は、雲居の雁を、わずか三台に車とともに早々に自邸に引き取ってしまい、若い夕霧は泣き寝入りの他に、なすすべもありません。

最後に歌が詠まれます。それには、例えば『集成』には「(夕霧)」と傍注が付けられていますが、もちろん夕霧が詠んだというわけではなく、作者が地の文のまとめとして添えたもののはずです。そう考えると、その前の恋人同士が詠み交わした歌も、現実の二人の会話として、この場でこの歌が口にされたと考えるのは、ちょっと無理がありそうです。こういう気持だったのだという作者の説明(または描写)の一部なのでしょう。

ともあれこうして、このかわいらしい恋人同士は引き裂かれてしまいました。読者はこの恋物語の成り行きを、実に十巻ほど先、巻三十二梅枝の終わりまで待たなくてはならないのです。》

第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬

 【現代語訳】

大宮のお手紙で、姫君に
「内大臣はお恨みでしょうが、あなたはこうはなっても私の気持ちはわかっていただけるでしょう。いらっしゃってお顔をお見せ下さい」と申し上げなさると、とても美しく装束を整えていらっしゃる。十四歳でいらっしゃった。まだ十分に大人にはお見えでないが、とても子供らしくおっとりとして、しとやかでかわいらしいご様子でいらっしゃる。
「側をお離し申さず、明け暮れの話相手とお思い申していたのに、とても寂しくなることでしょうね。残り少ない晩年に、あなたの行く末を見届けることができないことと、寿命を嘆いていましたのに、今のうちから見捨ててお移りになる先がどんなところかと思うと、とても不憫でなりません」と言ってお泣きになる。

姫君は、恥ずかしいこととお思いになっているので、顔もお上げにならず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。男君の御乳母の宰相の君が出て来て、
「同じくご主人様とお頼り申しておりましたが、残念にもこのようにお移りあそばすとは。内大臣殿は別にお考えになるところがおありでも、そのようにお従いあそばしますな」などと、そっと申し上げると、なお恥ずかしくお思いになって、何ともおっしゃらない。
「いえもう、厄介なことは申し上げてはなりません。人の運命はそれぞれなのだから」とおっしゃる。
「いえいえ、内大臣はわが君を一人前でないとお侮り申していらっしゃるのでしょう。今はそうですが、私どもの若君が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」と、何やら腹立たしいのにまかせて言う。
 冠者の君は物陰に入って御覧になっているのだったが、人が見咎めることを何でもない時は気兼ねもしたが、今はとても心細くてそれも忘れて涙を拭っていらっしゃる様子を、御乳母がとても気の毒に思って見て、大宮に何とか上手に相談申し上げて、大宮は、夕暮の人の出入りに紛れて、対面させなさった。
 お互いに何となく恥ずかしく胸がどきどきして、何も言わないでお泣きになる。
「内大臣のお考えがとてもひどいので、ままよ、いっそ諦めようと思うけれど、これからも私の恋しい方でいらっしゃるだろうことがたまらない。どうして少しお逢いできそうな折々があったころは、離れて過ごしていたのだろう」とおっしゃる様子も、たいそう若々しく痛々しげなので、
「私もきっとそう思うでしょう」とおっしゃる。
「恋しいと思ってくださるでしょうか」とおっしゃると、ちょっとうなずきなさる様子も、幼い感じである。

 

《大宮が雲居の雁を呼んで別れの話をします。彼女は、最後の生き甲斐だった姫を手放すので、思いが高ぶって、ついつい「お移りになる先がどんなところかと思うと」と言わずもがなの言葉も出ます。

夕霧の乳母もいて、これは夕霧一辺倒ですから、内大臣の言うことなど聞かなくていいなどと、大宮よりも乱暴なことを言いますので、さすがに大宮は、そこまで言うなとたしなめます。「人の運命はそれぞれなのだから」は、何気ない言葉のようですが、人生を長く生きて来た人の達観から出たものとして、思いのこもった言葉です。

姫は二人の間にいて、ただ泣いてばかりといった有様です。『評釈』が当時の姫君は「いくつになってもまだあかちゃんで、全くの世間知らず、ほっそりと小さくおとなしくて、なにを聞かれてもかすかにうなずくのがよいとされた」と言います。しかし紫の上の幼少時は必ずしもそうではなく、もっと活発な様子でしたから、そこには作者の当時の常識とはいささか異なった夢があったのかも知れません。あるいは彼女自身の幼少時が幾分か反映されているのでしょうか。

ともあれ雲居の雁は泣いてばかりです。それを物陰から夕霧が見ていて、こちらも忍び泣いています。

その様子を見た夕霧の乳母がかわいそうに思って、大宮に上手に話したので、大宮は二人を逢わせることにしてしまいました。

二人して泣きながらの夕霧の言葉はいかにもまじめで、それへの姫の返事はいかにもいじらしく、大変にかわいらしい光景です。》

 

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第三段 夕霧、大宮邸に参上




【現代語訳】
 折しも冠者の君が参上なさった。ひょっとしてちょっとした隙でもありはしないかと、最近は頻繁にお顔を出しになられるのであった。内大臣のお車があるので、気がとがめて具合悪いので、こっそり隠れてご自分のお部屋にお入りになる。
 内大臣の若公達の、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などといった人々も、皆ここには参集なさったが、御簾の内に入ることはお許しにならない。
 左兵衛督、権中納言なども、異腹の兄弟であるが、故大殿のご待遇によって、今でも参上して御用を承ることが親密なので、その子どもたちもそれぞれ参上なさるが、この冠者の君に肩を並べる美しさはないように見える。
 大宮のご愛情も、並ぶ者なくお思いであったが、ただこの姫君を身近なかわいい者と大切になさって、いつもお側に置いてかわいがっていらっしゃったのに、このようにしてお引き移りになるのが、とても寂しいこととお思いになる。
 内大臣殿は、
「ちょっと内裏に参上しまして、夕方に迎えに参りましょう」と言って、お出になる。
「今さら言っても始まらないことだから、穏便に言いなして、二人の仲を許してやろうか」とお思いになるが、やはりとても面白くないので、

「ご身分がもう少し一人前になったら、不満足な地位でないと見做して、その時に、愛情が深いか浅いかも見極めて許すにしても、改まった結婚という形式を踏んで婿として迎えよう。厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、見苦しいことをしよう。大宮もどうせ厳しくお諌めになることはあるまい」とお思いになるので、弘徽殿女御が寂しがっているのにかこつけて、こちらにもあちらにも穏やかなふうに言い繕って、お連れになるのであった。


《大宮が嘆いているところに、夕霧がやって来ました。月に三回と言われていたのですが、このところしばしばになっているので、こっそりと、でした。

内大臣家の若者たちが列挙されます。彼が引き連れてきたのでしょうか。しかし、いずれも夕霧の美しさには及びません。源氏の息子であってみれば、それは当然のことと作者は言いたげです。

それにしても、「この冠者の君に肩を並べる美しさはない」と、美貌だけが唯一の基準であるように言われるのは、男児として、いくら何でもいかがなものかと思われますが、貴族社会の女性というのは、そういう見方をするのでしょうか。

もっとも、考えてみれば、財力や能力などはこのレベルの人たちなら、みな似たようなもので、結局残るは容貌と文化的センスしかないとも言えます。

さてまた内大臣の思惑が語られますが、今既に「穏便に言いなして、二人の仲を許してやろうか」という気持もあって、いずれは結ばせてやろうということのようですから、どうやらこの人は、まったく源氏との対抗上、この若い二人を引き離そうとしているようです。私は前節で面白い人といいましたが、どうも小粒の人という気がして、何事も王道を行く源氏とは、到底肩を並べる感じではないように思われます。

この人や、朱雀帝がもう少し大きな人間として描かれていたら、本当にゾラやバルザックの諸作のような、人間が意志的にドラマを織りなす十九世紀的文学になっていたかも知れません。

ここでふと、唐突に、源氏と内大臣をドン・キホーテとサンチョ・パンサの組み合わせに思いなぞらえてみました。キホーテとパンサは登場人物として十分に対立する人格たり得ていますが、内大臣は到底源氏に及びません。しかし、女性たちを考えてみますと、紫の上に対して、藤壺、明石、夕顔、六条御息所たちは十分に対抗し得ている、というふうに思われます。

この物語は、やはり女性の物語なのだと、改めて思います。この作者の関心は、女性をあやつっている運命、宿命(「男」も、女性にとってたいへん大きな宿命の要素です、または、だったのです)といったところにあるようです。》

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第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる




【現代語訳】

 内大臣は、あれ以来参上なさらず、大宮をほんとうにひどいとお思い申していらっしゃる。北の方には、このようなことがあったとは、そぶりにもお見せ申されず、ただ何かにつけて、とても不機嫌なご様子で、
「中宮が格別に威儀を整えて参内なさったのに、わが女御が将来を心配していらっしゃるのが気の毒で胸が痛いので、里に退出おさせ申して、気楽に休ませてさし上げよう。立后しなかったとはいえ、主上のお側にずっとお付きになって、昼夜おいでのようですから、仕えている女房たちも気楽になれず、随分つらいと思ってようだから」とおっしゃって、急に里にご退出させ申し上げなさる。お許しは難しかったが無理をおっしゃって、主上はしぶしぶでおありであったのを、むりやりお迎えなさる。
「所在なくていらっしゃるだろうから、姫君を迎えて、一緒に遊びなどなさい。大宮にお預け申しているのは、安心なのですが、たいそう小賢しくませた人が一緒なので、自然と親しくなるのも、困った年頃になったので」と申し上げなさって、急にお引き取りになる。
 大宮は、とても気落ちなさって、
「一人いらっしゃった女の子がお亡くなりになって以来、とても寂しく心細かったのが、うれしいことにこの姫君を得て、生きている間中お世話できる相手と思って、朝な夕なに、老後の憂さつらさの慰めにしようと思っていましたが、心外にも心隔てを置いてお思いになるのも、つらく思われます」などとお申し上げなさると、恐縮して、
「不満に存じられますことは、そのように存じられますと申し上げただけでございます。深く隔意もってお思い申し上げることなど、どうしていたしましょう。宮中に仕えております姫君が、ご寵愛のほどが恨めしい様子で最近退出おりますが、とても所在なく沈んでおりますので、気の毒に思われまして、一緒に遊びなどをして慰めようと存じまして、ほんの一時引き取るのでございます。ここまでお育て下さり、一人前にしてくださったことを、決していいかげんにはお思い申しておりません」と申し上げなさると、このようにお思いたちになった以上は、お引き止め申し上げようとなさっても、お考え直されるご性質ではないので、大変に残念にお思いになって、
「人の心とは嫌なものです。とかく幼い子どもたちも、わたしに隠し事をして嫌なことですよ。また子どもはそのようなものなのでしょうが、内大臣が、思慮分別がおありになりながら、わたしを恨んで、このように連れて行っておしまいになるとは。あちらはここよりも安心だというわけでもあるまいに」と、泣きながらおっしゃる。


《内大臣は、雲居の雁を自邸に引き取ろうと考えますが、源氏が明石の姫君を引き取る時も紫の上に随分な配慮を払って説得したように、正室を納得させるのには注意を要します。 

そこでまずは娘である弘徽殿の女御を里下がりさせて、しばらくしてその相手役ということで雲居の雁を呼び寄せることにしました。

この女御は先に斎宮の女御と立后争いをして敗れたばかり(第三章第一段)で塞いでいたので、それを案じる態です。それはまた、歳が近くもともと斎宮の女御よりも馴染んでおられた(絵合の巻第一章第三段)女御を帝から取り上げることで、立后失敗の腹いせをする意味もあったと『評釈』は言います。

その女御のお相手役だと言えば、正室も納得せざるを得ません。こういう立ち回り方については小才の利くなかなか面白い人です。

そういえば源氏と絵合わせを競った時も、小ずるい立ち回りを見せていたことが思い出されます(絵合の巻第二章第一段)。あの時は功を奏しませんでしたが、今回の手際はなかなか鮮やかですが、それでも源氏の紫の上に対する正攻法の説得と比べると、品が落ちるという印象を拭えません。

一方、雲居の雁を取り上げられる大宮の不満は尽きません。内大臣は、弘徽殿女御をダシに押しきりますが、大宮には恨めしさが残るばかりです。

源氏はこういうときに、特に女性に対しては、決して悪い後味を残さないように努めます。もっとも彼の場合はすべてが思いのままになっていくのですから、そういう心配も無いとも言えますが。

気の毒に、内大臣は、やはり源氏の引き立て役としての立ち位置を抜けられません。》

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第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶

【現代語訳】

「今後いっそうお手紙などを交わすことは難しいだろう」と考えると、とても悲しい。食事を差し上げても、少しも召し上がらず、お寝みになってしまったふうだが、心も落ち着かず、人が寝静まったころに中障子を引いてみるが、いつもは特に錠など下ろしていないのに、固く錠を差して女房の声も聞こえない。たいそう心細い気がして、障子に寄りかかっていらっしゃると、女君も目を覚まして、風の音が竹に待ち迎えられてさらさらと音を立てると、雁が鳴きながら飛んで行く声が、かすかに聞こえるので、子供心にも、何かともの思いをなさっておられるのであろうか、「雲居の雁もわがごとや(心が晴れないこと)」と、独り言をおっしゃる様子は、若々しくかわいらしい。
 とてももどかしくてならないので、
「ここを、お開け下さい。小侍従はおりますか」とおっしゃるが、返事がない。小侍従とは乳母子なのだった。独り言をお聞きになったのも恥ずかしくて、思わず顔を衾の中にお入れなさったが、恋の切なさを知らないでもないとは憎いことだ。乳母たちが近くに臥せっていて、起きていることに気づかれるのもつらいので、お互いに音を立てない。
「 さ夜中に友呼びわたるかりがねにうたて吹き添ふ荻の上風

(真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に、荻の上を吹く風がさらに悲しく吹き

加わるよ)」
「身にもしみける」と思い続けて、大宮の御前に帰って嘆きがちでいらっしゃるのも、「お目覚めになってお聞きになろうか」と憚られて、もじもじしながら臥せっていらっしゃる。
 むやみに恥ずかしい気がして、ご自分のお部屋に早く出て、お手紙をお書きになったが、小侍従にも会うことがおできになれず、あの姫君の方にも行くことがおできになられず、たまらない思いでいらっしゃる。
 女君は女君でまた、騒がれなさったことばかり恥ずかしくて、「自分の身はどうなるのだろう、世間の人はどのように思うだろう」とも深くお考えにならず、美しくかわいらしくて、ちょっと噂していることにも、嫌な話だとお突き放しになることもないのであった。
 また、このように騒がれねばならないことともお思いでなかったのを、御後見人たちがひどく注意するので、文通をすることもおできになれない。大人であったら、しかるべき機会を作るであろうが、男君もまだ少々頼りない年頃なので、ただたいそう残念だ思っているばかりである。

 

《夕霧は、大宮の話がこたえて、食事も喉を通らなくなりました。部屋(そこは、姫君の居所と中障子だけを隔てて隣り合わせです)に引き籠もって、寝たふりです。

 夜、人が寝静まった頃、いつものように、でしょうか、その中障子(襖)を開けて逢おうとしますが、開きません。どうやら姫も厳しく言われたようです。しかし、その物音に姫も目を覚ましたようです。そして「女君」がここで呟いた言葉が、この人の通り名となります。第三章第二段でも書きましたが、「子供心(幼きここち)」とか「若々しくかわいらしい(若うらうたげなり)」とかあって、実にまあ、何ともいじらしい幼い恋の姿といった感じです。

 にもかかわらず、と言うべきでしょうか、そこでもそうでしたが、二人のことを普通には「姫君」、「冠者の君」と呼んで語られているのが、こういう場面では「女(君)」「男君」と明確にここも、呼び変えられていて、幼いながら、このことに関しては一人前扱いです。

そして途中に「恋の切なさを知らないでもないとは憎いことだ」と草子地が入っていて、思春期らしい恋心をうまく表しています。

人が寝静まってから中障子を開けて逢うのが常態だったらしいところからみると、やはりプラトニックなだけの恋ではなかったようです。

ともあれ、逢うことのできないままに、夕霧の方は、それでも何とか手紙を届ける手立てはないものかと思いながら、また姫君の方は、人に知られたことが恥ずかしく、また大人たちが「ひどく注意するので(原文・あはめきこゆれば・「あはむ」は「軽蔑的に避難する意・『集成』)」、まったく周囲の言いなりで、「ただたいそう残念だ思っているばかり」なのでした。姫君は、二つ年上でもあるのですが、「恋の切なさを知らないでもない」と言われる割に、まだまだ小娘であるようです。

伊藤左千夫の佳作『野菊の墓』を思い出します。あそこでもお祖母さんが、それと知らぬ間に二人の仲を取り持つ役と、引き裂く役の双方を担ってしまっていました。》

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