源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 光る源氏周辺の人々の物語

第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く

【現代語訳】

 内大臣はお帰りになったふうにして、こっそりと女房を相手なさろうと座をお立ちになったのだが、そっと身を細めてお帰りになる途中で、このようなひそひそ話をしているので、妙にお思いになって、お耳をとめになると、ご自分の噂をしている。
「えらそうにしていらっしゃるが、人の親ですよ。いずれ、ばかばかしく後悔することが起こるでしょう」
「子を知っているのは親だというのは、嘘のようですね」などと、こそこそと噂し合う。
「あきれたことだ。やはりそうであったのか。思い寄らないことではなかったが、子供だと思って油断しているうちに。世の中は思うようにならないものであることだ」と、ことの子細をつぶさに了解なさったが、音も立てずにお出になった。
 前駆の先を払う声が大きく聞こえるので、
「殿は、今お帰りあそばしたのだわ。どこに隠れていらっしゃったのかしら。」
「今でもこんな浮気をなさるとは」と言い合っている。ひそひそ話をした女房たちは、
「とても香ばしい匂いがしてきたのは、冠者の君がいらっしゃるのだとばかり思っていましたわ」
「まあ、いやだわ。陰口をお聞きになったかしら。厄介なご気性だから」と、皆困り合っていた。
 殿は、道中お考えになることに、
「まったく問題にならない悪いことではないが、ありふれた親戚どうしの結婚で、世間の人もきっとそう取り沙汰するに違いないことだ。大臣が、強引に女御を抑えておられるのも癪なのに、ひょっとして、この姫君が相手に勝てることがあろうかも知れないと思っていたが、くやしいことだ」とお思いになる。

殿どうしのお仲は、普通のことでは昔も今もたいそう仲よくいらっしゃりながら、このような方面では、競争申されたこともお思い出しになって、おもしろくないので、寝覚めがちに夜をお明かしになる。
「大宮だってそのような様子は御存じであろうに、たいへんにかわいがっていらっしゃるお孫たちなので、好きなようにさせていらっしゃるのだろう」と、女房たちが言っていた様子を、いまいましいとお思いになると、お心が穏やかでなくなって、少し男らしく事をはっきりさせたがるご気性にとっては、抑えがたい。

 

《一家の団欒の後、内大臣はこの屋敷のお心寄せの女房のところに「こっそりと」立ち寄ろうと、立っていきます。そして「そっと身を細めてお帰りになる途中」に「このようなひそひそ話」(前節最後の「大宮づきの年輩の女房たち」の言葉)を耳にしてしまいました。身を隠して続きを聞くと、自分と娘の噂話なのです。

それによると、どうやら娘は夕霧といい仲であるらしいと知れました。知らないのは自分だけといった様子です。

一家の主として甥の夕霧に気の利いた話をし、母の満足を得、娘にはきちんと躾をして、いい気分でこっそりと女房の相手をして、折角浮かれ気分で帰るところだったのですが、そこへ冷や水を掛けるような女房たちの言葉で、我が大切な娘が夕霧といい仲だというのです。本当なら出て行って詳しく聞きたいところですが、娘の将来を思えば、穏便にすますしかありません。

その時突然先払いの者が大きな声を挙げて、女房たちに内大臣がまだ屋敷にいたことがばれてしまいます。双方にとって気まずい、喜劇的一瞬が挟まります。

内大臣は、若い二人の間柄を、それだけなら必ずしもだめだと思ったわけではないようですが、なにしろ中宮に娘をと思っていたところを源氏側の斎宮女御に取られたということがあった後なので、東宮妃こそはこの雲居の雁にと目論んでいたので、それを源氏の息子に奪われたのでは、踏んだり蹴ったり、源氏のいいようにされていることになるのが面白くありません。

もっとも「普通のことでは昔も今もたいそう仲よくいらっしゃりながら、このような方面では、競争申されたこともお思い出しになって、おもしろくない」という程度ですから、競い合っているという範囲での話ですから、どうもこの人の考えることは底が浅く感じられます。》

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第五段 夕霧、内大臣と対面

 

【現代語訳】

 内大臣が和琴を引き寄せなさって、律調がかえって今風なのをこのような名人がうちとけてお弾きになっているのは、たいそう興趣がある。御前のお庭の木の葉が落ち尽くして、老女房たちがあちらこちらの御几帳の後に集まって聞いていた。
「風の力けだし少なし(木の葉もおのずから落ちて行くのだ)」と、朗誦なさって、
「琴のせいではないが、不思議としみじみとした夕べですね。もっとお弾きにならないか」ということで、姫君が「秋風楽」に調子を整えて、大臣が唱歌なさる声がとても素晴らしいので、大宮は、みなそれぞれに、内大臣もかわいいとお思い申し上げになっていらっしゃると、いっそう興を添えようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。
「こちらに」とおっしゃって、雲居の雁とは御几帳を隔ててお入れ申し上げなさる。
「あまりお目にかかれませんね。どうしてこうご学問に打ち込んでいらっしゃるのでしょう。学問が身分以上になるのもよくないことだと、大臣もご存知のはずですが、こうもお命じ申し上げなさるのは、考える子細もあるのだろうと存じますが、こんなに籠もってばかりいらっしゃるのは、お気の毒です」と申し上げなさって、
「時々は変わったこともなさい。笛の音色にも昔の聖賢の教えは、伝わっているものです」とおっしゃって、御笛を差し上げなさる。
 たいそう若々しく美しい音色を吹いて、大変に興がわいたので、琴はしばらく弾きやめて、大臣が拍子をおおげさではなく軽くお打ちになって、
「萩が花ずり(早く昇進して衣替えをなさい)」などとお歌いになる。
「大殿も、このような管弦の遊びにご熱心で、忙しいご政務からはお逃げになったものでした。本当に、つまらない人生ですから、満足のゆくことをして、過ごしたいものですね」 などとおっしゃって、お杯をお勧めなさっているうちに、暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、皆がお召し上がりになる。
 姫君はあちらの部屋にお引き取らせなさった。つとめて二人の間を遠ざけなさって、

「お琴の音だけもお聞かせしないように」と、今ではすっかりお引き離し申していらっしゃるのを、
「お気の毒なことが起こりそうなお仲だ」と、お側近くお仕え申している大宮づきの年輩の女房たちは、ひそひそ話しているのであった。

 

《一家の団欒のところに、夕霧が、勉学の合間に「一月に三日ぐらいは」(第二章第四段)と父に許された、大宮への対面といった態でしょうか、やって来ます。

 「こちらに」と招き入れたのは、普通なら大宮と考えるところですが、「雲居の雁とは御几帳を隔てて」と言い、またすぐ「あまりお目にかかれませんね」と続けるところといい、伯父に当たる内大臣だったとする方がよさそうです。

彼は、さすがに娘とのことは気に掛けながらも、その振る舞いや語りかける言葉には、いかにも伯父らしい大様さが感じられ、また間接的ながら上位者にして友人である源氏との親しい関係が明瞭に表されています。

父親の言いつけを言われたままに守って苦労している甥に、心を寄せながら、彼は源氏の厳しい躾に「考える子細もあるのだろうと存じますが」と理解を示しながら批判し、夕霧の置かれた状況に同情しながら、「萩が花ずり(早く昇進して衣替えをなさい)」と、上手に励まします。

源氏が故院から高い身分に生まれ、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道(学問)に深入りするな」(絵合の巻第四章第一段)と教えられたことを、この人も聞いて知っているのでしょう。

彼の言動は、いかにもいい伯父という姿勢で、この甥が気に入っているのではないでしょうか、と思わせます。

しかし、「姫君はあちらの部屋にお引き取らせなさった」と、姫に困ったことが起きないように、若い男から遠ざけることも決して忘れはしません。これはまたしたたかな(と言うほどではありませんが、ともかく)大人の姿勢でもあって、この両面を併せて彼もここでの立派な存在感を示しています。》

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第四段 内大臣の失意

【現代語訳】

「女性はただ心がけによって、世間から重んじられるものですね」などと、人の身の上についてお話し出されて、
「弘徽殿の女御のことを、悪くはなくどんなことでも他人にはひけはとらないだろうと思っていましたが、思いがけない人に負けてしまった運命に、この世は思ったようにはならないものだと思いました。せめてこの姫君だけは、何とか理想どおりにしてみたいものです。東宮の御元服がもうすぐのことになったので、ひそかに期待しているのですが、あのような運の強い人から生まれたお后候補者が、また後から追いついてきました。入内なさったら、まして対抗できる人はいないのではないでしょうか」とお嘆きになると、
「どうして、そのようなことがありましょうか。この家にそのような人がいないで終わってしまうようなことはあるまいと、亡くなった大臣が思っていらっしゃって、女御の御ことも、熱心に奔走なさったのでしたが。生きていらっしゃったならば、このように筋道の通らぬこともなかったでしょうに」などと、あの一件では、太政大臣を恨めしくお思い申し上げていらっしゃる。
 姫君のご様子が、とても子どもっぽくかわいらしくて、箏のお琴をお弾きになっていらっしゃるが、お髪の下り端、髪の具合などが、上品で艶々としているのをじっとみつめなさるので、恥ずかしがって少し横をお向きになった横顔は、顔つきがかわいらしげで、「取由」の手つきが、非常にじょうずに作った人形のような感じがするので、大宮もこの上なくかわいいとお思いになる。調子合わせのための小曲などを軽くお弾きになって、押しやりなさった。

 


《内大臣家にとって、早くから入内していた弘徽殿の女御(内大臣の娘)が、源氏の押した斎宮の女御(六条御息所の娘)に立后されてしまったのは思いがけないことで、大きな痛手でした。

そこで今度はこの姫を東宮(朱雀院皇子、澪標の巻第一章第三段1節で立太子)の妃にと考えていたのでしたが、明石の御方の姫君(四歳)が「また後から追いついて」きたと、嘆き節です。

ちなみに雲居の雁は、もう少し後、第五章第四段で十四歳とされて、ちょうど弘徽殿の女御と斎宮の女御の年齢差が逆転した形であるのは、意味があるのでしょうか。

大宮も、息子の弱音を励ますのですが、自分でも思い出しても残念といった様子で、夫の亡くなったことを嘆くのでした。

ここで描かれる雲居の雁は、「とても子どもっぽくかわいらしくて(原文・いときびはにうつくしうて)」、「顔つきがかわいらしげで、(原文・つらつきうつくしげにて)」と、ひたすらかわいらしいことが強調されていて、その振る舞いも所作もまことに純真そうで、前々節に挙げた、「性的にも結ばれていた」などという読み方の入る余地は無さそうにも思われます。

  むしろ、書かれていることを素直に読んで、源氏の場合とは異なった、多様な愛の形を巧みに描き分けているあたりにも、この作者の力量が現れているのだと考えたいくらいのところではあるのですが。》

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第三段 内大臣、大宮邸に参上

【現代語訳】

 お二方の新任の大饗の宴が終わって、朝廷の行事もなくのんびりとしていたころ、時雨が少し降って荻の上を吹く風もしみじみと感じられる夕暮に、大宮のお部屋に内大臣が参上なさって、姫君をそこへお呼びになって、お琴などをお弾かせなさる。大宮は何事も上手でいらっしゃるので、それらをみなお教えになる。内大臣が、
「琵琶は女性が弾くのは不格好なようだが、いかにも達者な感じがするものです。今の世に、正しく弾き伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。何々親王、何々の源氏とか」などとお数えになって、
「女性の中では、太政大臣が山里に隠しおいていらっしゃる人が、たいそう上手だと聞いています。音楽の名人の血筋ではありますが、子孫の代になって、田舎生活を長年していた人が、どうしてそのように上手に弾けたのでしょう。あの大臣がことの他上手な人だとお思いで、お話になることがよくあります。他の芸とは違って、音楽の才能はやはり広くいろんな人と合奏をし、あれこれの楽器に調べを合わせてこそ、立派になるものですが、独りで学んで、上手になったというのは珍しいことです」などとおっしゃって、大宮にお促し申し上げになると、
「『柱』を押さえることが久しぶりになってしまいました」とおっしゃったが、美しくお弾きになる。
「ご幸運な上に、さらにやはり不思議なほど立派な方なのですね。お年をとられた今までにお持ちでなかった女の子をお生み申されて、側に置いてみすぼらしくするのではなく、れっきとしたお方にお預けした考えは、申し分のない人だと聞いております」などと、弾く手を止めてお話し申し上げなさる。

 

《父親が、娘に思う人があることを知らないまま、家族団欒の時を過ごす、という、いかにもありそうな場面です。

大宮というのは内大臣の母君、女三宮で、これまで幾度か名前は出ながら、娘の葵の上を亡くして嘆いたことの他にあまり出番がありませんでしたが、ここから雲居の雁の祖母として、大きな役割を勤めることになります。

そこに内大臣が訪ねてきます。さて、父親にとって娘というのはやはり特別な存在で、この内大臣のように、それを呼んで琴を弾かせて聞くというのは、一応親爺冥利に尽きる気分と言っていいでしょう。

そしてその琴を聞きながら、彼は娘に、琴だけでは不十分だというのでしょうか、女性が弾くのは不格好なようだが、と言いながら、琵琶も学ぶようにと、それとなく女の心得を教えます。

そこから思い出したように明石の御方の話を始めるのですが、琵琶を勧めたのは、源氏から明石の御方の話をたびたび聞かされていて、その対抗心からのようにも聞こえます。御方の父のことを「音楽の名人の血筋」と承知していたというのも、源氏からの話なのでしょう。

明石の御方は、都ではまだ誰も見た人はいないはずですが、すでに大宮もその噂を聞き及んでいたようで、その評価はなかなかのものです。

こうした話が若い娘にとって意味のあるものだと、大人達は考えるのです。大宮の「弾く手を止めて」お話なる、という一言が、その情景とそれぞれの思いを一気に彷彿させます。》

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第二段 夕霧と雲居雁の幼恋

【現代語訳】

 冠者の君は、同じ邸でご成長なさったが、それぞれが十歳を過ぎてから後は、住む部屋を別にして、「親しい縁者ではあるけれども、男の子には気を許すものではない」と、父大臣がお教えなさって、離れて暮らすようになっていたのだが、子供心に慕わしく思うこともないではないので、ちょっとした折々の花や紅葉につけても、また雛遊びのご機嫌とりにつけても、熱心にくっついてまわって真心をお見せ申されるので、お互いに深く心を交わし合って、姫は、きっぱりとは今でも恥ずかしがりなさることもない。
 お世話役たちも、
「何の、子どもどうしのことなので、長年親しくしていらっしゃったお間柄を、急に引き離して、どうしてきまり悪い思いをさせることができようか」と思っていると、女君は何の考えもなくいらっしゃるが、男君は、あんなにも子どものように見えても、お年にも似ず、どんな仲だったのであろうか。

離れ離れになってからは、逢えないことを気が気でなく思うようである。未熟ながら将来の思われるかわいらしい筆跡で、書き交わしなさる手紙が、不用意さから、自然と落としたり人目に付いたりするときもあるのを、姫君の女房たちは、うすうす知っている者もいたのだが、どうして、これこれだと、どなたに申し上げられようか。見て見ぬふりをしているのであろう。

 

《「冠者の君」は夕霧、何ともかわいらしい幼い恋です。そしてまた、侍女達のそれを見守る優しい態度がほほえましく思われます。夕霧は十二歳、姫は十四歳とされます。

しかし、「お年にも似ず、どんな仲だったのであろうか」とあることについて、『人物論集』所収「夕霧二題」・(深澤三千夫著)が「いくら男が無邪気そうに見えても何と言っても男女の仲、既に方を分かつ前に女の方の無邪気さにつけ込む幼児遊戯の延長の形で性的にも結ばれていた事を暗示するのであろうか」と言い、『集成』も同様に注をしています。

後に「将来の思われるかわいらしい筆跡で(原文・まだ片生なる手の生い先うつくしきにて)」と書いていることもあって、ここでは二人はあくまで「かわいらしい」人なのだと考えたいところですが、どうもそうばかりではないとするのが普通の読み方のようです。

確かに、そういうことがあったとしないと、この後の父大臣の措置が理解しがたいということはあります。

ただ、そういうことがあったにしても、今のところは、そのことによって二人がその分大人になったというようなことがあったのではなく、やることは、その筆跡同様に至って幼く、「書き交わしなさる手紙が、不用意さから、自然と落としたり人目に付いたりするときもある」といった案配だったわけで、「子どものことで事の重大さを知らず」(『評釈』)、「幼恋」と言っても、少し特殊な関係、状況になっていたと考えなくてはならないようです。

そして大切なことは、そういうことがあったとしても、侍女たちは「見て見ぬふりをしている」のであって、それはひとえに、普段の夕霧の素直さ、生真面目さへの好感度によるものと思われ、それはそういうことがあった後も変わらなかったのでしょう。

これまで源氏のさまざまに複雑な、また濃厚な女性関係を見てきた読者にとっては、こういう清涼な恋も見せてほしいという気持もあります。》

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