源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 夕霧の物語(一)

第六段 試験の当日


【現代語訳】

 大学寮に参上なさる日は、寮の門前に、上達部のお車が数知れないくらい集まっていた。まるで世間にこれを見ないで残っている人はあるまいと思われるほどで、この上なく大切に扱われて、装束を整えられて入ってこられる冠者の君のご様子は、ほんとうにこのような生活には耐えられないくらい気高くかわいらしい感じである。
 例によって、賤しい者たちが集まって来ている席の末に座るのをつらいとお思いになるのは、無理もないことである。
 ここでもまた、大声で叱る者がいて目障りであるが、少しも気後れせずに最後までお読みになった。
 昔が思い出される大学の盛んな時代なので、上中下の人は、我も我もとこの道を志望し集まってくるので、ますます、世の中に学問があり有能な人が多くなったのであった。擬文章生などとかいう試験をはじめとして、すらすらと合格なさったので、ひたすら学問に心を入れて、先生も弟子もいっそうお励みになる。
 殿でも、作文の会を頻繁に催し、博士、文人たちも得意である。すべてどのようなことにつけても、それぞれの道に努める人の才能が発揮される時代なのであった。

 

《試験当日です。「大学寮の試験は学年末にある。学年は八月に始まるから、試験は七月にある」(『評釈』)のだそうです。

門前の上達部は、試験の見物人なのだそうで、まるでスポーツ大会です。

しかし、身分のない人々にとっては、唯一最大の出世の門で、ここで優秀な成績を上げれば、官吏登用など将来が保証されるという重要で有意義な試験ですから、全国から多くの若者が集まってきているようです。

ここは言うなれば、全国中学総体に、皇室の子息が参加されるといった趣で、周囲の好奇の目は大変なものだったでしょう。

しかし冠者の君(元服して冠を付けた若君の意・ここは夕霧)は臆することなく、見事な成績で合格しました。

『評釈』は「試験問題がわかっていて、あらかじめ勉強しているのだからできるのが当然である。試験は形式ばかり、ショウー化している」のだと言います。前節の感嘆は何だったのかと思われますが、それでも「先生も弟子も」結果に満足して、「いっそうお励みになる」のですから、それなりのものではあったのでしょう。

「昔が思い出される大学の盛んな時代」とありますが、「昔」とは、作者の時代からいわゆる「聖代」と考えられていた延喜天暦の時代を顧みているのでしょう。

夢のような時代の物語なのだと、比類ない学問を身につけていた作者が、学問への夢を語っているように聞こえます。》

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第五段 大学寮試験の予備試験

【現代語訳】

 今では寮試を受けさせようとなさって、まずご自分の前で試験をなさる。
 いつものとおり、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などといった人を招き、指導の大内記を呼んで、『史記』の難しい巻々を、寮試を受ける時に博士が反問しそうなところどころを取り出して、ひととおりお読ませ申し上げなさると、不明な箇所もなく、諸説にわたって読み解かれるさまは、爪印もつかず、あきれるほどよくできるので、
「お生まれが違っておられるのだ」と、皆が皆、涙を流しなさる。大将は誰にもまして、
「亡くなった大臣が生きていらっしゃったら」と、口に出されて、お泣きになる。

殿も我慢がおできになれず、
「他人のことで、愚かで見苦しいと見聞きしておりましたが、子が大きくなっていく一方で、親が代わって愚かになっていくことは、私はたいした年齢ではありませんが、世の中とはこうしたものなのですねえ」などとおっしゃって、涙をお拭いになるのを見る先生の気持ちとしては、嬉しく面目をほどこしたと思った。
 大将が杯をおさしになると、たいそう酔っぱらっている顔つきは、とても痩せ細っている。大変な変わり者で、学問のわりには登用されず、顧みられなくて貧乏でいたのであったが、お目に止まるところがあって、このように特別に召し出したのであった。
 身に余るほどのご愛顧を頂戴して、この若君のおかげで、急に生まれ変わったようになったと思うと、今にまして将来は、並ぶ者もない声望を得るであろう。


《前掲「平安末の学制」によれば、大学寮には、紀伝・明経・明法・算の四つの「道」(学科)があり(後に、音、書が新設)、夕霧は紀伝道に入ったようで、そこは、教官二名(文章博士)と、学生は上位の「文章生」と下位の「擬文章生」のそれぞれ定員二十人ずつで構成されていたようです。

「寮試」はそこの試験で、それに合格することよって、擬文章生になります。つまり、それによって初めて正式の学生に数えられるということでしょうか。

夕霧は早くもその第一関門試験を受けることになったので、模擬試験が行われましたが、その結果はまことに文句の付けられないものなのでした。

ところで、「殿も我慢がおできになれず…嬉しく面目をほどこしたと思った」は長い一文で、途中から話の焦点がするりと変わって行きます。

初め、「殿も」と語り始められた時は、直前からの繋がりを考えても、この文は「涙をお拭いになる」で結ばれることが予想されるはずです。ところが、そこで終わらないで、「のを見る先生の気持ちとしては」とまったく予想外の展開をしていき、あたかも先生のことを語るのが主眼であったかのように、そちらに話題が移っていって、結局この予備試験の話は、「声望を得るであろう」と、先生の方の話になって結ばれます。

話題が右左にたゆたうように揺れ動いていく、こういう書き方はこの物語に時々出てくるものです。いかにも女性的な語り口、と言うと叱られそうですが、一つの話題から次の話題に一繋がりで続いていく、近代の、いわゆる「意識の流れ」と呼ばれる技法(もちろんこれは普通モノローグを中心とする技法で、日本では、横光利一の『機械』が、実験的に取り入れた作品として著明)のような文章だという気がします。これまでにもあったと思いますが、また出てきたところで触れることにします。》


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第四段 夕霧の勉学生活


【現代語訳】

 引き続いて、入学の礼ということをおさせになって、そのまま、この院の中にお部屋を設けて、本当に造詣の深い先生にお預け申されて、学問をおさせ申し上げなさった。
 大宮のところにも、めったにお出かけにならない。昼夜かわいがりなさって、いつまでも子供のようにばかりお扱い申していらっしゃるので、あちらでは勉強もおできになれまいと考えて、静かな場所にお閉じこめ申し上げなさるのであった。
「一月に三日ぐらいは参りなさい」と、お許し申し上げなさのであった。
 じっとお籠もりになって、気持ちの晴れないまま、殿を、
「ひどい方でいらっしゃることだ。こんなに苦労をしなくても、高い地位に上り、世間に重んじられる人もいるではないか」と思い申し上げなさるが、いったい性格が、真面目で浮ついたところがなくていらっしゃるので、よく我慢して、
「何とかして必要な漢籍類を早く読み終えて、官途にもついて、出世しよう」と思って、わずか四、五か月のうちに、『史記』などという書物を、読み了えておしまいになった。


《夕霧は十二歳と言いましたが、源氏はこの年齢ですでに葵の上を妻としていて、しかも宮住まいをしながら「(藤壺の)かすかに漏れてくるお声を慰めとして、内裏の生活ばかりを好ましく思っていらっしゃる」(桐壺の巻末)といった案配だったのでした。

それと比べると、この夕霧の扱いはあまりに厳格なものと言えますが、また逆に夕霧の優等生ぶりもなかなかのものです。

彼はこれまで大宮(祖母)と一緒に暮らしていて、大事にされていたのでした。しかしそこでは、お祖母様が「いつまでも子供のようにばかりお扱い申していらっしゃる」ので、十分な勉強はできまいと、源氏は、この院(二条院東院)に部屋を造って、そこに「お閉じこめ申し上げなさる(原文・籠めたてまつりたまへる)」のでした。

彼はもちろん不満に思いはしますが、それは思うだけで、「何とかして必要な漢籍類を早く読み終えて…」と、至って前向きです。

『集成』によれば、『史記』『漢書』『後漢書』『文選』の四書が大学のテキストで、試験は全て『史記』から出題されたと、『評釈』が言います。

『史記』は、全百三十巻と言われ、ちなみに日本の「新釈漢文大系」では全十二巻になります。それを「四、五ヶ月で読み了えておしまいになった」というのをそのままに読めば、おそるべき勉強で、芥川龍之介は『ジャン・クリストフ』を一週間で軽く読み上げたと言われますから、そういう勢いだったのでしょうか。『評釈』も「驚くべき精進」と感嘆しています。
 しかし、少し後の資料ですが、ウェブサイト「平安末の学制」によれば、「(寮試・入学試験は)『史記』『漢書』『後漢書』などを面接官の前で朗読した。平安末の寮試の詳細が分かっているが、あらかじめ課題となる箇所が受験生に知らされていたので、試験といっても形式的になっていた」ということのようですから、平安中期の頃も、実際はそれほど大変なものではなかったのかも知れません。》

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第三段 響宴と詩作の会

【現代語訳】

 式が終わって退出する博士や文人たちをお召しになって、また再び詩文をお作らせになる。上達部や殿上人も、その方面に堪能な人は皆お留めになる。博士たちは律詩を、普通の人は大臣をはじめとして絶句をお作りになる。興趣ある題の文字を選んで、文章博士が奉る。夏の短いころの夜なので、すっかり夜が明けたころに披講される。

左中弁が読み上げ役をお勤めした。容貌もたいそうきれいで、声の調子も堂々として、荘厳な感じに読み上げたところは、たいそう趣がある。世の信望が格別高い学者なのであった。
 このような高貴な家柄にお生まれになって、この世の栄華をひたすら楽しまれてよいお身の上でありながら、窓の螢を友とし、枝の雪にお親しみになる学問への熱心さを、思いつく限りの故事をたとえに引いて、それぞれが作り集めた句がそれぞれに素晴らしく、「唐土にも持って行って伝えたいほどの世の名詩である」と、当時世間では褒めたたえるのであった。
 大臣のお作は言うまでもない。親らしい情愛のこもった点までも素晴らしかったので、涙を流して朗誦しもてはやしたが、女の身では分からないを口にするのは生意気だと言われそうなので、嫌なので書き止めなかった。

 

《儀式の後は余興の漢詩の会です。

「夏の短いころの夜…」は、それほどたくさんの人が参加していたということでしょう。

左中弁が提出された詩を、それぞれ読み上げます。左中弁は正五位上という位、文章博士よりも二段階上に当たる人です。上位の人に読み上げて貰えるのは、作者としては名誉なことと思われます。

前節の儀式の場面とはうって変わって、「博士たちは律詩を、普通の人は…絶句をお作りになる」と、きちんと秩序が守られています。やはり、長いものよりも短い方が作りやすいのでしょう。もっとも、短歌よりも俳句の方が簡単だと言ったら、本当はやはり問題があるでしょうが。

専門家である博士達と、「その方面に堪能な」上達部、殿上人が集まっただけあって、それぞれ「唐土にも持って行って伝えたいほどの」立派な詩文が作られたようで、一同の面目躍如、ちょっと安心です。

しかし、本会よりも二次会の方がきちんとしていたという趣で、まるで羽目を外したかのようなあんなに大騒ぎだった式の後で、和気藹々、型どおりにこういう二次会が行えるものだろうかという気もします。

作られた詩は、どれもこれも、夕霧の素晴らしさを称えるものであり、源氏の作は、「親らしい情愛のこもった点までも素晴らしかったので、涙を流して朗誦しもてはや」されたと言います。源氏の父性愛というのは、前節にも「とてもかわいいとお思いであった」とあり、この後も時々出てきますが、どうも不似合いに思われて、どこまで本物だろうかと思ってしまいます。

思うに、時にこの作者は、ストーリーの一貫した展開よりも、その場面々々で読者を喜ばせることを優先して考える時があるのではないでしょうか。もしこの物語が絵を見ながら語り聞かせられたのだとすれば、その可能性は更に高くなるでしょう。

もちろん、若紫の巻を書く時に、すでに明石の巻が作者の構想にあったであろうように、大きな流れは意識されていたでしょうが、その一方で、あたかも『枕草子』の筆者が、読者である女房たちの評の影響を受けながら一段ずつを順次書き継いでいったらしいのと同じような意識が、この作者にもあったのではないかという気がします。

同時代の文筆家として、作風の違いはあっても、そういう点で共通する認識があることにそれほど不思議はありません。

「窓の螢を友とし、枝の雪にお親しみになる」は御存知、蛍の光、窓の雪ですが、出典の『蒙求』には、それぞれ「雪に映じて書を読む」「練嚢に数十の蛍火を盛り以て書を照らす」とあり、「窓の」「枝の」は紫式部が作ったイメージです。窓の蛍や枝の雪では書物は読めないでしょうが、これもまた絵としての美しさが優先してのことでしょう。》

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第二段 大学寮入学の準備

【現代語訳】

 字(あざな)をつける儀式は東の院でなさる。東の対を準備なさった。上達部、殿上人が、めったにないことでどんなことかと思って、我も我もと参集なさる。博士たちもかえって気後れしてしまいそうである。
「遠慮することなく、慣例があろうからそれに従って、手加減せず厳格に行え」とお命じになるので、無理に平静をよそおって、他人の家から調達した衣装類で身につかず不恰好な姿などにもかまいなく、表情や声づかいをもっともらしくして、席について並んでいる作法をはじめとして、見たこともない光景である。若い公達は堪えきれず笑ってしまう。

実は、笑ったりなどしないような、年もいった落ち着いた人ばかりをと選び出して、お酌などもおさせになっているのだが、いつもと違った席なので、右大将や民部卿などが一所懸命に杯をお持ちになっているのを、あきれるばかり文句を言っては叱りつける。
「全体、相伴役の方々ははなはだ不作法でござる。これほど著名な我々を知らなくて、朝廷にはお仕えしているのか。はなはだけしからん」などと言うと、人々がみな堪えきれず吹き出してしまったので、再び、
「うるさい。お静かになされ。はなはだ不作法である。退席していただきましょう」などと脅して言うのも、まことにおかしい。
 見慣れていらっしゃらない方々は、珍しくおもしろいと思い、この大学寮ご出身の上達部などは得意顔に微笑みながら、源氏がこのような道を愛好されて、入学おさせになったのは結構なことだと、ますますこのうえなく敬服申し上げていらっしゃる。
 ちょっと私語すると制止する。無礼な態度であると言っても叱る。やかましく大声を上げている博士たちの顔が、夜に入ってからは、かえって一段と明るくなった燈火の中で、道化じみて貧相で不体裁な様子などが、何から何までなるほど実に普通でなく、変わった様子であった。大臣は、
「とてもだらしなく、気の利かぬ者なので、やかましく叱られてまごつくだろう」とおっしゃって、御簾の内に隠れて御覧になっていたのであった。
 用意された席が足りなくて、帰ろうとする大学寮の学生たちがいるのをお聞きになって、釣殿の方にお呼び止めになって、特別に賜物をなさった。

 

《「字(あざな)」とは、「(大学に)入学した学生の名簿につける中国風の二字の名」(『集成』)で、「貴族の子弟が大学に進むことはほとんどなかった」(同)ので、この儀式は大変珍しいことだったようで、たくさんの「上達部・殿上人」がやってきます。

単に見物というのではなく、参列者としてのようです。一方、儀式を取りしきる大学の博士は文章博士で従五位下、つまり一座の中のほぼ最下位の人々ですから、並み居る参列者に「気後れ」するのも無理ありません。

ところが博士は、定められた通り「厳格に行え」と言われていますから、普段は簡略に行っていたのでしょうか、ろくに衣裳も整わず、サイズも合わないような借り物で「不格好な姿」、それでも式の進行は「もっともらしく」厳かに型どおりに行わなくてはなりません。参列者には夕霧の同輩などもいたのでしょうか、見たこともないアンバランスな格好や振る舞いに思わず笑い出してしまう者までいる始末です。その中には「右大将や民部卿」もいたのですがそれぞれ従三位、正四位上ですから、博士よりも数段上位なのですが、ここでは厳しく叱りつけられます。

こういうところを見ると、身分社会と言っても、必ずしも位階一辺倒というわけではなく、その時々の役割もまたそれなりに認められていたようです。

しかし若者は相変わらず遠慮なく笑うし、博士は職分を全うすべく、さらに居丈高になります。いつの時代も、学校というところには、こうした傾向がいくらかはあるのでしょうか、彼らと博士達との、なんともぎくしゃくした、しかし馴れ合いとも思われる関係が、滑稽というか、ちょっとしたドタバタ劇の様相です。

源典侍の一件と言い、末摘花を廻る頭中将との一件と言い、この作者はこうした、ちょっと品のない場面を描いてみせるのが好きなようです。

そしてそういう場面でも、これまでは源氏がその中心でしたが、ここでは彼はそういう舞台の脇から眺めて面白がっているという役回りに変わっています。

しかし、自分がやらせておいて、その学者達の振る舞いの見苦しさを笑うというのは、ひいては夕霧の大学入学をも笑うことであって、それは大事な息子に対する父親の姿勢とは思えず、ちょっと解せない気がします。

私には、作者はつい興が乗りすぎたのではないか、と思われるのですが…。》

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